令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
2000年1月の記事
大阪ショック(その4) (1993年ころの思い出話)
2000年1月25日
大阪で道を訊ねた。
私:「アメリカ村はどこですか?」
大阪人:「あっち行って左に行かはったらええです。嫌でも着きます。」
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南北海道修羅場(その1) (1982年の思い出話)
2000年1月24日
当時私は中学2年生。北海道に転勤した恩師を訪ねる一人旅の道中,函館の西に位置する松前を訪れた。駅前の食堂で昼食を摂っている時,合い席となった男性と会話を交わした。
男性:「何年か前まで東京にいたんですよ」
私:「働いていたんですか?」
男性:「さわり魔だったんです」
私:(…声もなく凍る)
男が東京でしていたのは「さわり魔」ではなく,「サラリーマン」を聞き違えたのだったと気がついたのは,高校生になってからだった…
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日韓長寿対決 (きんさん追悼記念) (1997年の思い出話)
2000年1月23日
何気なくスカパーの韓国TV放送を見ていると,バラエティー番組のスタジオに,きんさんぎんさんが登場した。きんさんぎんさんの一語一挙動に場内は爆笑の連続。しばらくして,今度は韓国最長寿のおばあさんが登場した。沸く場内に相反して,韓国おばあさんはやや力が無い。中央に韓国おばあさん,左右にきんさんぎんさんという位置どりで座布団に座った3人,いつしか司会者そっちのけでけたけた笑ながら話し出したので,司会者が「言葉はわかるんですか?」と訊ねると,ぎんさんが「ぜ~んぜんわかりません」と答えて,場内爆笑。
一番強烈だったのは次のうけこたえ。
司会者:「悩みはありませんか?」
韓国おばあさん:「こんなに長生きして申し訳無い…」
きんさん:「な~んにもありゃしません」(大爆笑)
番組は,ぎんさんから韓国おばあさんへの「長生きしてください」との言葉で幕を下ろした。
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中西哲生トークライブの狂気
2000年1月22日
昨日,川崎フロンターレの中西哲生トークライブに潜入
その場で本を買えばその場でサインをして貰えるということで,サインを貰う。サインを貰う瞬間に「トーキョウ!」コールが巻き起こっていたのは,どういうわけだ?
(上が中西さんのサイン。下は共著の戸塚さん)
もう一つ目玉の中西選手使用済みグッズオークション。ユニフォームやスパイクがセリにかけられ,値が「15000円!」「20000円!」…と,5000円刻みでどんどん吊り上げられて行き,結局平均50000円で捌けていった様は,さしずめハワイで浮かれ気分になった金満日本人観光客のてい。それにしても,キャプテンマーク3個に50000円は,さすがにどうかと思いますよ。(笑)