東日本大震災トリアージ訴訟

  事件番号 終局 司法過誤度 資料
一審仙台地裁 平成30年(ワ)第1336号 和解令和元年12月12日 妥当  

 

【はじめに】
 2011年3月11日に発生した東日本大震災の混乱のさなか、石巻赤十字病院の救急対応現場で、不当に「緑タグ(医療処置不要)」を付されたために適切な処置を受けられず、そのために患者が死亡したとして遺族が提訴した事件がありました。

 

搬送患者遺族が損賠訴訟 震災時の処置対応指摘 石巻赤十字「懸命に対応した」
石巻日日新聞 2019年1月23日(水) 17時39分

東日本大震災で救助された石巻市の女性(当時95)が石巻赤十字病院に搬送されて3日後に亡くなったのは、同院が適切な処置を怠ったためとし、女性の遺族が同院を運営する日本赤十字社に約3220万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁(小川理佳裁判長)に起こした。21日に第1回口頭弁論があり、同院側は請求棄却を求めた。

(続きは石巻日日新聞の元記事を参照。)

 

 まずはお亡くなりになられた95歳女性のご冥福をお祈りいたします。

 インターネット上の記事からは受診時の状況などがよくわからなかったので、自分なりに裁判記録を調べてみました。

 

【被災の状況】

 95歳女性は、震災当時、相続関係のない同居人とマンションの2階で生活していました。一方で、後に裁判を起こすことになる遺族とは疎遠で、震災前は5年以上にわたり会うことがなかったようです。95歳女性は認知症があり、また移動には車椅子が必要であったものの、同居者が作った食事はきちんと食べれていました。震災に見舞われて水道と電気は止まったものの、マンションの備蓄水を利用することができ、食料も作り置きの冷凍ものがあり、当座に困ることはありませんでした。津波はマンションの1階部分まで来たけれども2階部分までは来ておらず、これも当座の生活の障害にはなっていませんでした。ただ、停電のために暖を取るのが難しかったようです。

 そんな中、まだ津波の引かない3月14日、自衛隊のボートがマンションの外を通りかかるのが見えました。もともと通院していた石巻赤十字病院に搬送してもらえば、暖を取ることができて食料も困らないだろうと同居人が考え、資料一式を持たせて自衛隊に搬送を依頼しました。

 病院では一通りの診察が行われましたが、被災者でごった返す中での診察で、「資料一式」や過去の診療録は参照されず、年齢、住所、患者状況、家族状況が「不明」のままでの診察となったようです。当日の診療録には「症状はないが運ばれてきた」と記され、血圧、体温、脈拍等は正常であること、認知症がありそうであることが確認されました。とはいえ高齢であり、震災から3日が経過して十分な飲食をしていない可能性を考えられて、点滴処置がなされました。トリアージとしては「緑タグ」の判定になりました。

 治療終了後、本来なら帰宅可能であるものの、自宅地域が被災しており移動も不自由で帰宅はできず、かといって避難所に受け入れてもらうにも介護が必要なため困難があり、結局は病院内で待機する状態になりました。病院内には同様の高齢者、要介護者が他にも多数いました。また、受診するわけでもないのに病院やって来て、そのまま病院に留まる人も増えてごった返し、誰がどこにいるかを病院側が把握する余裕はなかったようです。95歳女性については、亡くなるまでに特段の訴えは確認されておらず、最後は脱水症状が元で亡くなられたようです。死亡後に、以前に受診していたときの診療録が確認できて、同居人に連絡されました。

 後に原告となる、相続関係がある唯一の遺族は、震災が発生した年の11月に、95歳女性の死亡に関して義援金を申請し、災害弔慰金250万円を受け取りました。

 

【訴訟】

 裁判は、震災の7年後である2018年に起こされました。報道にあるように、原告側は「病院は女性が自力で飲食などができない状態と認識しながら必要な保護行為をせず、漫然と放置し死亡させた」などとして、病院の対応に過失があったと主張しました。病院側は、そのような状況だからといって災害時のトリアージの場面で黄色タグを付けなければいけないという医学的な基準はそもそもない旨を反論しました。原告側は、診察時に95歳女性の過去の診療録等を参照していれば、このようなことにはならなかったはずだ」とも主張しており、裁判所も、過去の診療録等を参照できていなかった点については意を汲み取ったようでしたが、それによっても病院に過失があったとまでは考えなかったようです。

 結局、裁判は提訴から1年余りで和解を迎えました(参考記事→朝日新聞)。和解内容の要点は以下の2点であり、和解金の支払いがないいわゆる「ゼロ和解」でした。

1. 病院側が哀悼の意を表すること

2. 災害発生時であっても良質かつ適切な医療の実現のために尽力し、診療を受ける患者や家族の心情にも配慮し、信頼を確保するように務めること

 

 和解に至る直前に裁判所が示した裁判所の考えによると、災害時の診察であっても患者のカルテ等を参照できるようにするよう努めてもらいたいとの思いはあったようですが、その点については最終的な和解内容では具体的には言及されませんでした。

 なお、裁判の中では、原告側から、同居人に対する聞き取り報告が提出されていましたが、事実を淡々と述べた上で、95歳女性の冥福を祈る文言が綴られているのみで、病院の過失を指摘するような形跡はありませんでした。

 

【感想】

 原告からすると、95歳女性が自身の預かり知らぬところで事故によって亡くなられたのは、いくら疎遠になっていたとはいっても無念であったかとは思います。それでも、災害弔慰金を受領した上で、震災から7年も経過してから、押し寄せる被災者の中で医療行為の必要がない患者に対して、それ以上の対応をする義務が病院にあったと訴えるのは、ちょっとやりすぎであるように感じます。

 この事件は、報道では、災害時の病院トリアージの問題として問題提起されたかのように語られたように感じます。確かに、同居人が95歳女性に 持たせたという「書類一式」を確認されなかったという問題があったようですが、これとて、認知症の95歳女性がその書類をどのように取り扱ったのかが不明ですから、病院に過失があったのかどうかも不明だと思います。また、過去の診療録を参照されなかったことを問題にしたようですが、押し寄せる被災者の中で、当座の医療の要否を判断するトリアージの場面で、医療を要さないと判断された人についてまで全てを把握し深堀りする義務を課すことはさすがに無理であると思いました。

 むしろこの事件は、病院側よりも被災者側に教訓を残しうる事件だったように思います。すなわち「大災害の中、医療を要さない状態であるにもかかわらず、わざわざ混乱必至の基幹病院に行くべきではない」という教訓です。このような、裁判をきちんと調べれば難なく導かれるであろう教訓を、報道で一切語られなかったことは極めて残念です。これは報道関係者が裁判報道をするにあたって一次資料に当たらずに、当事者への取材のみに基づいて報道することに起因する問題と思われ、裁判報道の悪しき習慣ではないかと思います。本件でも、裁判記録を閲覧した報道関係者はいないようでした。

 

【法的な問題に対する感想】(非法曹の方には理解が難しいかも知れません)

 訴額は約3200万円でした。内訳は、95歳女性の死亡慰謝料2200万円、原告固有の慰謝料200万円、退職年金と基礎年金に基づく逸失利益約820万円でした(逸失利益は、年金合計約330万円、生活費控除30%、平均余命3.6年により計算。)。先に述べたように、原告は義援金を申請し災害弔慰金を受領しており、義援金を申請したことは原告側がその第1準備書面で述べていました。そうであればその災害弔慰金250万円分は、請求額から引かれていても良かったのではないかとも思いました。

 一方で目を引いたのは、代理人弁護士がついていながら、弁護士費用の請求がなかったことでした。原告の代理人弁護士が、本来この裁判を起こすことにはあまり賛成でなかったからのか、何なのかはわかりません。なんにしても、法律の素人である医療関係者から見たら、弁護士費用を請求しないような弁護活動で病院を訴えるぐらいなら、裁判自体が迷惑なので最初から受任するなよと言いたいところです。私はある程度は法曹の役割を知っているつもりなので、そのような受任がありうることは理解しますが、素人の中には怒る人がいることもやむを得ないと思います。それはあたかも、医学の素人である患者側弁護士が、医療のやむを得ない面に無頓着なままに、原告と一緒になって医療関係者に無茶な怒りをぶつけてきたり、あるいはそのように演じるのと同様ではないかと思います。

 

令和4年3月11日記す。


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