2001年6月の記事

佐々木竹見騎手

2001年6月26日

5月の連休明けから勤労者となって以来,朝から晩まで忙殺される日々の中で忘れていた,川崎競馬場所属の7000勝ジョッキー・佐々木竹見騎手の引退のこと。

十数年前に競馬に興味を持ちはじめ,持ち前のマニアック志向により関心の対象が中央競馬(JRA)から地方競馬に広がり,初めて大井競馬場に出向いたのが1987年。その日のメインレースは中央競馬・地方競馬の交流競走である「帝王賞」。その帝王賞を獲ったのはテツノカチドキ,騎手は佐々木竹見であった。

既に全盛期を過ぎていたテツノカチドキは,僕にはさほど強い馬には見えなかったし,その証拠に枠連の配当は7000円もつけた。しかし全盛期のテツノカチドキは,中央競馬福島でかつて行われた中央・地方交流競走を楽勝した実力馬であった。

引退を間近に控えた佐々木竹見騎手はインタビューで,騎手生活で一番の思い出を訊ねられ,「テツノカチドキでジャパンカップに出られなかったこと,シンボリルドルフと戦えなかったこと」と答えた。

テツノカチドキは夏負けのさなか,ジャパンカップ出走権を賭けた大井競馬場の「東京記念競走」で,ハンデキャップの軽いロッキータイガーにわずか鼻差負けをし,ジャパンカップの出走の夢を絶たれた。ロッキータイガーはそのジャパンカップで,シンボリルドルフに次ぐ2着に大健闘したのであった。テツノカチドキは,一部で「ジャパンカップ優勝に最も近かった地方競馬所属馬」と言われた。そんなテツノカチドキと,ジャパンカップに出走できなかったことが最大の悔恨だと佐々木竹見騎手は言うのだ。

この有機物のうごめく地球上に,有り余る能力を発揮し切れないまま無機物に帰し,やがて多くの人の記憶から消えてゆく生命がある。

墓場まで追ってくるかのような痛い思い出。誰が「早く受容して前向きに生きろよ」などと軽々しく強弁できようか。

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