カテゴリー「雑記」の記事

90歳の青春パーティー 丘灯至夫さん

2007年6月15日

今日は、「高校三年生」や「ハクション大魔王」などの作詩家・丘灯至夫さんの90歳記念のパーティーにお邪魔した。
丘灯至夫さんは昨年、私の勤務先で白内障手術を受けられた(公表承認済)。手術後に視力が良くなり、独特のおトボケトークで、看護婦さんたちに向かって「みんな美人に見えるヨ」と語り、笑いを振りまいてくれた。
私は昭和歌謡が好きで、ヨーロッパ旅行にも「青春歌年鑑・昭和50年代」なるCDを持って行き、風光明媚な地中海の海岸を走りながら昭和歌謡を聴いたりする。その昭和50年代CDの中でも特にお気に入りなのが「東京のバスガール」(作詞・丘灯至夫さん)であったりする。
この春からは、手術を受ける患者さんと自分のリラックスのために、手術室に昭和時代の床屋のイメージを作ろうと、昭和歌謡を流している。「高校三年生」「東京のバスガール」「高原列車は行く」などの名曲の流れる中で手術をする医者は、そういないであろう。
さて、パーティーのほうは、「高原列車は行く」(歌・岡本敦郎さん)、「ハクション大魔王のうた」(歌・島崎由里さん)、「高校三年生」(歌・舟木一夫さん)の生歌などで楽しんだ。ご本人も「歳の話はしないデ」などと、おトボケトークも絶好調で笑わせてくれたのであった。

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似ている話

2007年4月25日

うちの連れによると、女優の菊池凛子さんと軍事評論家の江畑謙介さんが似ているとのこと。

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おててのしわとしわをあわせて、しあわせ

2007年3月4日

昔からやっているコマーシャル。
しわとしわをあわせても「しわあわせ」にしかならない。本当は、「おゆびのふしとふしをあわせて、ふしあわせ」のほうが正しいと常々思う。

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数年ぶりの体調不調

2006年11月28日

先週の木曜日から死んでいました。ようやく復調。
22日(水)の夜に会合でワインを3杯の後、家で明け方までビールを飲んで(缶ビール350×4本)寝て、翌朝サッカーを見に行くために起きたら二日酔い。
ソルマックを飲んで、「二日酔いだしそのうち治るだろう」と予定通りサッカーを見に行くが、試合中もダルさ絶頂。
試合後、京王線の飛田給(とびたきゅう)から新宿行きの電車でドア脇にもたれながら悶絶。終着まで耐え切れず途中駅で下車。ちょっと休んで帰ろうと思うも余りにだるくて勤務先に電話。
「今、救急に相談できますかー?」
内科当直の先生に電話で相談。
「全身倦怠と吐き気が…実はきのう朝方までビールを飲んで二日酔いもあるんで、肝臓だと思うんですけど、ここまでだるいのは4~5年前に中国のやせ薬を飲んだとき以来で…」
「中国のやせ薬ですか!!」
ヘイ、すみません。目医者の端くれはこんなもんです。ということで時間外で診てもらうことに決定。タクシーで程なく病院へ。
当直の先生には、馬鹿の一つ覚えに「肝臓だと思う」と力説。
「下痢は特に気にならないです。ちょっとゴロゴロしてるけど、持病で過敏性腸症候群もあるのでいつもと同じです。昔、中国のやせ薬飲んで、すごくダルくなってネットを調べたら肝障害と出ていたんで『これだ!』と思って。今回も同じようなダルさで肝臓かなー、と」
「そしたらとりあえずソリタT3に、ステロイドなどを入れて点滴しましょう。今日はそれで様子を見てもらって、明日以降必要なら採血してもらって…」
「いや、もう、本当にありがとうございます。」
で、点滴受けて多少楽になった気分で帰宅。
しかし翌朝も気分優れず、病院で採血して内科を受診。
「あー、これ、肝臓じゃないねー。CRPが上がっとるし、リンパ球が減って好中球が増えとるから感染の所見やねー。レントゲンは腸にガスがちょっと多いし、感染でしょ。」
ガビーン、肝臓じゃなかった。
さらに翌日、内科の別の先生と立ち話。経過を説明。
「先生、それはノロでしょう」
「えー、そうですか! 実は連れがおとといから『ノロウイルスじゃないの?』って言ってて、僕は『いや、二日酔いだし肝臓だと思う』って言い張ってたんですよー」
「それは先生がハズレです」
ヘイ、すみません。目医者の端くれはこんなもんです。
注: 昔飲んだ中国のやせ薬は「氛氟拉明(フェンフルラミン)」。1錠飲んだだけでものすごい倦怠感。

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日本の優勝を喜んだであろう或るアメリカ人について

2006年3月22日

日本の優勝を喜んだであろう或るアメリカ人について

2000年10月の雑記で或るアメリカ人の話を書いた。

シアトルのユースホステルでのお話。
15年ほど日本に住んでいたという40歳近いアメリカの女性が泊まっていた。日本語ができるのでいろいろ話したが,いつしか野球の話になった。
「私は巨人が大好きだった。巨人の野球を観に行って大声で応援したものだった。アメリカに戻ってきてからも野球は観るけれど,巨人を応援するように熱狂的には観れない。」
巨人のことを口にするだけで,遠い目になっているようだった。
「誰がやってた頃ですか?」
「最後の頃は監督が川上さんで,長嶋,王,藤田…」
「長嶋とか藤田はその後巨人の監督をやったんですよ。長嶋はいいときと悪いときがあったけど,藤田は優秀だった」
と,かつてのヒーローがその後も活躍していることを伝えると,言葉無く目が潤み出した。彼女にとっての強固なマイチームが,彼女が離れていた時間を超えて,連続性を見せながら彼女の琴線に迫ったのだろう。

彼女が今年の日本シリーズを観ることができていたならば,彼女はどんな気持ちで観ていただろうか…

今回のWBCで王貞治さんは、50歳を超えた彼女の前に、現役野球人として20年以上振りに再登場したことになる。そして、彼女は王ジャパンの準決勝の快勝を、そして優勝を、 普通のアメリカ人とは違って特別な喜び と共にたたえていることだろう。

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