令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
カテゴリー「雑記」の記事
90歳の青春パーティー 丘灯至夫さん
2007年6月15日
今日は、「高校三年生」や「ハクション大魔王」などの作詩家・丘灯至夫さんの90歳記念のパーティーにお邪魔した。
丘灯至夫さんは昨年、私の勤務先で白内障手術を受けられた(公表承認済)。手術後に視力が良くなり、独特のおトボケトークで、看護婦さんたちに向かって「みんな美人に見えるヨ」と語り、笑いを振りまいてくれた。
私は昭和歌謡が好きで、ヨーロッパ旅行にも「青春歌年鑑・昭和50年代」なるCDを持って行き、風光明媚な地中海の海岸を走りながら昭和歌謡を聴いたりする。その昭和50年代CDの中でも特にお気に入りなのが「東京のバスガール」(作詞・丘灯至夫さん)であったりする。
この春からは、手術を受ける患者さんと自分のリラックスのために、手術室に昭和時代の床屋のイメージを作ろうと、昭和歌謡を流している。「高校三年生」「東京のバスガール」「高原列車は行く」などの名曲の流れる中で手術をする医者は、そういないであろう。
さて、パーティーのほうは、「高原列車は行く」(歌・岡本敦郎さん)、「ハクション大魔王のうた」(歌・島崎由里さん)、「高校三年生」(歌・舟木一夫さん)の生歌などで楽しんだ。ご本人も「歳の話はしないデ」などと、おトボケトークも絶好調で笑わせてくれたのであった。
おててのしわとしわをあわせて、しあわせ
2007年3月4日
昔からやっているコマーシャル。
しわとしわをあわせても「しわあわせ」にしかならない。本当は、「おゆびのふしとふしをあわせて、ふしあわせ」のほうが正しいと常々思う。
数年ぶりの体調不調
2006年11月28日
先週の木曜日から死んでいました。ようやく復調。
22日(水)の夜に会合でワインを3杯の後、家で明け方までビールを飲んで(缶ビール350×4本)寝て、翌朝サッカーを見に行くために起きたら二日酔い。
ソルマックを飲んで、「二日酔いだしそのうち治るだろう」と予定通りサッカーを見に行くが、試合中もダルさ絶頂。
試合後、京王線の飛田給(とびたきゅう)から新宿行きの電車でドア脇にもたれながら悶絶。終着まで耐え切れず途中駅で下車。ちょっと休んで帰ろうと思うも余りにだるくて勤務先に電話。
「今、救急に相談できますかー?」
内科当直の先生に電話で相談。
「全身倦怠と吐き気が…実はきのう朝方までビールを飲んで二日酔いもあるんで、肝臓だと思うんですけど、ここまでだるいのは4~5年前に中国のやせ薬を飲んだとき以来で…」
「中国のやせ薬ですか!!」
ヘイ、すみません。目医者の端くれはこんなもんです。ということで時間外で診てもらうことに決定。タクシーで程なく病院へ。
当直の先生には、馬鹿の一つ覚えに「肝臓だと思う」と力説。
「下痢は特に気にならないです。ちょっとゴロゴロしてるけど、持病で過敏性腸症候群もあるのでいつもと同じです。昔、中国のやせ薬飲んで、すごくダルくなってネットを調べたら肝障害と出ていたんで『これだ!』と思って。今回も同じようなダルさで肝臓かなー、と」
「そしたらとりあえずソリタT3に、ステロイドなどを入れて点滴しましょう。今日はそれで様子を見てもらって、明日以降必要なら採血してもらって…」
「いや、もう、本当にありがとうございます。」
で、点滴受けて多少楽になった気分で帰宅。
しかし翌朝も気分優れず、病院で採血して内科を受診。
「あー、これ、肝臓じゃないねー。CRPが上がっとるし、リンパ球が減って好中球が増えとるから感染の所見やねー。レントゲンは腸にガスがちょっと多いし、感染でしょ。」
ガビーン、肝臓じゃなかった。
さらに翌日、内科の別の先生と立ち話。経過を説明。
「先生、それはノロでしょう」
「えー、そうですか! 実は連れがおとといから『ノロウイルスじゃないの?』って言ってて、僕は『いや、二日酔いだし肝臓だと思う』って言い張ってたんですよー」
「それは先生がハズレです」
ヘイ、すみません。目医者の端くれはこんなもんです。
注: 昔飲んだ中国のやせ薬は「氛氟拉明(フェンフルラミン)」。1錠飲んだだけでものすごい倦怠感。
日本の優勝を喜んだであろう或るアメリカ人について
2006年3月22日
日本の優勝を喜んだであろう或るアメリカ人について
2000年10月の雑記で或るアメリカ人の話を書いた。
シアトルのユースホステルでのお話。
15年ほど日本に住んでいたという40歳近いアメリカの女性が泊まっていた。日本語ができるのでいろいろ話したが,いつしか野球の話になった。
「私は巨人が大好きだった。巨人の野球を観に行って大声で応援したものだった。アメリカに戻ってきてからも野球は観るけれど,巨人を応援するように熱狂的には観れない。」
巨人のことを口にするだけで,遠い目になっているようだった。
「誰がやってた頃ですか?」
「最後の頃は監督が川上さんで,長嶋,王,藤田…」
「長嶋とか藤田はその後巨人の監督をやったんですよ。長嶋はいいときと悪いときがあったけど,藤田は優秀だった」
と,かつてのヒーローがその後も活躍していることを伝えると,言葉無く目が潤み出した。彼女にとっての強固なマイチームが,彼女が離れていた時間を超えて,連続性を見せながら彼女の琴線に迫ったのだろう。彼女が今年の日本シリーズを観ることができていたならば,彼女はどんな気持ちで観ていただろうか…
今回のWBCで王貞治さんは、50歳を超えた彼女の前に、現役野球人として20年以上振りに再登場したことになる。そして、彼女は王ジャパンの準決勝の快勝を、そして優勝を、 普通のアメリカ人とは違って特別な喜び と共にたたえていることだろう。