令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
欧州旅行総括2:フランス語が通じなくてショック(笑)、でも中国語は少し通じた。
2014年7月19日
自分のフランス語は、20年前に大学再受験のためにはじめたもので、1994年3月に1ヶ月間、ロワイヤン(Royan)という田舎に語学研修に行き、その後1年間勉強して医学部に合格。1996年秋に仏検2級合格して、このあたりまでが華だったかな(笑)。当時のフランスでは、フランス人は英語があまり好きじゃないとか言われていて、ホテルとかでも英語が通じないことが結構あり、仏検2級程度のフランス語でもだいぶ役に立っていた。しかし時代は変わり、今ではサービス業では英語を話すのが普通になっていて、こちらが下手なフランス語で話しかければ英語で返事が帰ってくるようになっていた。ヨーロッパでは共通言語は完全に英語になってしまい、特別な目的がない限り、わざわざその他の言語を勉強する意義が薄れてしまったようでかなり残念。
もっとも、自分もフランス語を全然やっていなかったので、えらく下手っぴになっていたのは間違いない。同行の妻には、前回の旅行の時よりも下手になっていると笑われ、場合によってはむしろ妻の英語のほうが通じるという事態もあり、旅の最後の方は「ベタ降り状態」に(笑)。もう「フランス語が少しできます」とホラを吹くのはやめよう(笑)。
一方、中国語。パリやロンドンなどの大都市では、至る所に中国人がいる。パリのデパートのそばのカフェで休んでいたら、ずっとこちらを見ている東洋人の老夫婦がいたので、声をかけてみたら中国人の老夫婦だった。注文したいがどうしたらいいのかわからず、我々を中国人かもしれないと考えて助けを求める眼差しを投げていたらしい(笑)。片言の中国語で注文を手助けして、少し雑談。15日間のヨーロッパ周遊旅行に来ていて、カフェに入ったのは、他のツアー客は買い物に熱心だけど自分たちは買い物はもう十分だからということだったようだ。上海のそばの南通在住で蘇州で仕事をしているとのこと。それまで回った中ではフィレンツェが一番良かったという。ベネチアはどうかと聞いたら、良かったけど人が多すぎだと言う。それは中国人が大挙してくるからじゃないかと心のなかで思いながら、口には出さなかった(笑)。「あなたがいなかったら、注文できなかった、本当にありがとう」と言われた。肩の力の抜けたいい感じのご夫婦で、連絡先を置いてこなかったことが、いまもちょっと心残りだ。
動画は、1966年ユーロビジョンの結果発表部分。参加国の半数の審査員がフランス語で応答。スウェーデンの審査員までフランス語。こんな時代なだったら、フランス語にももっと熱が入ったんだろうな~
https://www.youtube.com/watch?v=evPNElgvGvk&t=1m15s
コメント
お久しぶりです。
フランス語でご一緒させていただいていた、みゆきです。
ごぶさたしています。
今、関東中央病院にいらっしゃるんですか?
父が、武蔵野赤十字に掛かりたいと言うので、昔勤務していた健司さんの事を思い出しまして、なにげに検索してここにたどり着きました。
お元気そうでなによりです。
私もフランス語お休みして久しく、全く忘れてしまいました。
やはり語学は使ってナンボ。
又機会があればお会いしたいです。
ときどき覗きに来ますね。
2014年8月8日 | みゆき