令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
北陵クリニック筋弛緩剤点滴事件・考えの変遷
池田医師が11歳女児に対してMELAS説を大々的に主張しはじめた後、 刑事訴訟判決文が見つかる前で、まだ冤罪かどうかの考えがまとまっていなかった頃の考え。
とりあえず民事判決だけでも読んでみましょうよ
この事件は私の能力を超えていると思われたため、もともとあまり関心の向かなかったのですが、このスレ主さんのご紹介を見て、冤罪なのかも知れないなぁ、と思ったところでした。
探したところ、植物状態になった11歳の児について、民事事件の判決が出ていました。(残念ながら刑事事件の判決は見つからず)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080728113114.pdf
この事件について議論するならば、とりあえずこの判決文にはざっと目を通したほうが良いと思われました。
細かいことですが、看護師側が、鑑定書の証拠能力が無いことの理由として「本件鑑定については,鑑定人としての宣誓手続が欠けている。」という項目を出していることなどを見ると、看護師側の主張のほうが嘘くさく映りました。「宣誓手続きが欠けている」から鑑定に証拠能力がない、なんて上っ面な主張は、普通の事件だったらとてもお恥ずかしくて出来ないと思います。鑑定の中身の是非で勝負するのが普通だと思います。
それから、だいぶ以前の、元検弁護士のつぶやきの
http://www.yabelab.net/blog/2006/03/25-185004.php
このエントリの、No.27のコメント以下も、一読されると良さそうです。
判決文は絶対に必要
判決文は、事実認定のプロである裁判官が、双方の主張を検討して判断した重要な文書です。そこには、裁判官がどの判断が事実であると判断したのかが、根拠と共に書かれています。それを「どうでもよい」などとして一方からの主張だけを真と盲信してしまうようでは、正しい議論になるはずがありません。
「医療事故が現に起きているんだから、カルテなんかどうでもいい」と主張する、自称医療事故被害者と同じことです。
冤罪ではなさそうだとの考えに傾きつつある頃。
これは冤罪ではなさそうです
民事の判決文をもう一度読んだのですが、これが冤罪だというのは、どうにも無理がありますね。
まず、自白についてですが、判決文62頁(*1)の部分から、自白は警察や検察ではなく、裁判官に行っているものであること、動機もきちんと話していること、質問への対応について、事前に弁護士からアドバイスを受けていることからすれば、これが疑わしいとは考えられないでしょう。
また、マスキュラックスに関する被告の主張は、鑑定に信用性が無いなどと主張する一方で、変化体と未変化体とに絡めて鑑定結果の不合理を主張する、つまり何らかの形でマスキュラックス自体が検出されたことを前提とする主張をし(12頁あたり)、さらに、「混入方法について、三方活栓より上方のチューブ内に注入するという方法は合理的でなく、他の事件のように生理食塩液のボトルにマスキュラックスを混入する方法によらなかったことについての合理的な説明はされておらず」(31頁)と、他の事件を含めて、少なくとも他の事件ではマスキュラックスを混入していたことを前提とする主張までしています。支離滅裂の印象は拭えません。
池田医師のサイトの記載も、麻酔科の先生によれば疑問点が多くて、むしろマスキュラックス中毒が起きたと考えることが自然だという話もあるのですから、これをあっさりと誤診であるとは到底言えないと思います。
また、判決文では、被告以外にマスキュラックスを混入させる機会がないことも説明されており、これらを考えると、被告が犯人であったと考えることで、全てを一元的に説明できるし一番自然であると言えると思います。
その他にも、以下のようなことを感じました。
1) 以前のコメントでも書いたように、「宣誓手続きが欠けている」から鑑定に証拠能力がないなどというのは何をかいわんやですし、上記マスキュラックスに関する主張の支離滅裂等、この民事裁判での主張が「弾うちゃ当たる」的に見えること。
2) 以下の wikipediaを見ると、弁護士や本人に異常行動が見られること。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%8B%E5%BC%9B%E7%B7%A9%E5%89%A4%E7%82%B9%E6%BB
%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6
3) 大々的な冤罪キャンペーンを行いながら、どこにも刑事事件判決が見つからず、一部のサイトでは刑事事件判決の一部を細切れに紹介しながら、矛盾点などを説明するような、自分側に都合の良い引用方法を用いているところを見ると、刑事事件判決全体には、被告に不利な事情が多く含まれているのではないかと疑われること。
4) そのことも含めて、冤罪キャンペーンでは、一方的に被告の立場から有利な情報のみが公開されていること。
これらを総合すると、この事件の弁護士には、光市殺人事件の安田弁護士のようなタイプの弁護士を想像しますが、皆さんは如何ですか?
もし、そんなことはない、ということであれば、被告弁護士の冤罪キャンペーンの張り方が、非常に優れているのだろうな、と思います。
*1 判決文62頁
「上記各供述のうち、とりわけ、同月7日に仙台簡易裁判所裁判官に対してなされた被告の供述(甲77)は、勾留質問時においてなされたものであって、上記供述の場所は仙台簡易裁判所の勾留質問室であり、その場に立ち会った者は、裁判官と裁判所書記官のみであって、捜査機関側の人物はいないこと、供述に先立って黙秘権、供述拒否権及び弁護人選任権が告知されていること、その供述内容は、勾留請求書記載の被疑事実に対し、単純にこれを認めるだけの供述ではなく、H医師を困らせるためにやったもので殺意はなかった旨マスキュラックスを混入させた動機を明らかにした上で殺意を否認する弁解をした上、原告Aに対しては申し訳なかった旨謝罪の意思まで述べていること、被告は、同日、上記勾留質問手続がなされる前に弁護士二人と接見しており、その際、弁護士から、「やったものはやった、やっていないものはやっていないとちゃんと区別して答えるように。」とのアドバイスを受けていることが認められる(乙9)のであって、これらの事実に加え、上記ア(ウ)のとおり、その供述内容が原告Aの血液や尿からマスキュラックスの成分が検出されたという客観的事実に符合していることに照らすと、上記勾留質問時の被告の供述の信用性に疑いを容れる余地はないというべきである。」
11歳女児が植物状態になった原因が、MELASである可能性を指摘されていることを受けて。
この例1例だけなら覆せるかも知れませんが
非法律家の想像ですが、この自白の任意性は絶大と考えざるを得ないと思われます。強要された自白ではないのですから、これを否定することは、医師が患者の主訴を「嘘だ」と考えるのと同じで、相当に特別な理由がないと難しいと思います。証拠としての意義は・・・少なくとも「技あり」くらいで合わせて一本に使えるくらいにはなると想像しますがどうでしょう。
ここは問題ですよね。発生していた事件がこの11歳女児の件だけであれば、冤罪説は十分ありでしょうが、全例冤罪との主張に使うには無理があると思います。
マスキュラックスが大量に使途不明になっている点、自白している点など、状況を汲めばそうならざるを得ないと思います。これを無視しての診断というのは、主訴を無視して診断するのと同じように、妥当な診断とならない可能性があるでしょう。
ただ、先に書いたとおり、この11歳女児の例だけに限って言えば冤罪の可能性が否定出来ないことについては、その可能性も考えておきます。ただしそれでも、否定されるのは植物状態になったのがMELASによるものかも知れないということであって、実はマスキュラックスが投与されていなかったということまで否定するのは難しいと思います。
他の4例の事情が出てこないと難しいですね
裁判というのは、訴える側と訴えられる側から提出された主張・証拠を元に、どちらがより正しいかを裁判官が判断するものなので、裁判中に出てきた証拠類「のみ」を裁判官が精査して、特に民事訴訟の場合は科学的に厳密ではなくても、十中八九間違いないだろうということになれば、賠償させられることになっています。この辺の事情については、手前味噌ながら、法律家にも好評な、私の作ったPDFをご覧頂くとよろしいかと思います。
http://www.minemura.org/iryosaiban/genjo_to_mondai.pdf
(「法律家から好評」の部分の信用性が保証されていないと言われるかも知れませんが…(笑))
刑事事件については、検察庁のサイト内をご覧頂くと良いでしょう。
http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/naha/chief_faq2.html#faq2_no5
厳密さという点では、池田先生の文章にも疑問点があり、特に、池田先生は全例を精査されたようですが、11歳女児の例についてのみ詳述されて、他の4例についての議論が無いまま、全てが冤罪であるかのような記載になっていることは、池田先生の文章の信頼性に疑問を抱かせる、少なくとも他の4例の冤罪説については何ら意味を持たない文章であると思われますが如何でしょうか。
確かに、医療裁判などで明らかにおかしい判決文などは存在するのであり、私はそのような例を見つけると、一部を自分のサイトで紹介して批判しています。
http://www.minemura.org/iryosaiban/
このサイトで記載した通り、加古川心タンポナーデとか、八戸縫合糸訴訟とか、一宮身体拘束裁判とか、本当にどうしようもないお粗末判決文もあります。しかし一連の北陵クリニック事件について、今まで出ている情報をもってしては、少なくとも他の4例についてまでも冤罪と言えるような情報は無いように思われます。
医師が刑事司法について問題視するなら、日航機ニアミス事故のほうがよっぽど問題で、私としてはこちらの続編を考えているところです。
http://www.minemura.org/iryosaiban/essay08.html
刑事事件判決文が出てこないことへの苛立ち。
なぜ判決文が出てこないのか不思議
やはりまず必要なものは、刑事事件の判決文全文だと思います。
池田医師の報告の中に、
>11. 小川 龍. 証人尋問調書 平成13年(わ)第22号等.
と書かれていることから、仙台地裁での事件番号は、平成13年(わ)第22号であろうと思われます。
これを何とか探し出したいのですが、ネット上では全く見つかりません。「元検弁護士のつぶやき」では引用されていたので、どこかには出ていたはずなのに、その痕跡が全く見当たらないことは、大変気持ちが悪いです。
冤罪を主張する支援者の方々が、判決文を全て出した上で問題点を明らかにするべきなのだと思います。判決を見ない・見せないままに冤罪を主張するようでは、説得力に乏しいのみならず、却って「見せることができない部分があるのではないか」という疑念を抱かせる原因にすらなります。
筋弛緩剤が検出されたことがほぼ全てと思われます
被害者から筋弛緩剤が検出されたことのほうが圧倒的に重要だと思われます。ふと思い出したのですが、酒井法子は、毛髪鑑定か何かで覚せい剤の使用が証明され起訴されたと思いますが、あれは異例中の異例であったと聞いています。通常ならば尿検査で証明されない限り、起訴されることはないそうです。以下のサイトの説明でも、「毛髪への薬物取り込みや保持のメカニズムが明らかになっていないため、実際の裁判において、薬物使用の証拠として毛髪の鑑定書が請求されることはほとんどありません。」とされています。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~skomori/law/law2/law2-1.html
今回の事件でも、体液から筋弛緩剤が証明されたことが最強の直接証拠であったと思われます。今探したら、以下のページに北陵クリニックにおけるその他の急変患者のことが書かれていました。
http://tokyo.cool.ne.jp/hukutarou/zikennokeika.htm
ソースは新聞記事などであるとのことなので、これを一応信用するとします。急変症例全例を眺めると、起訴に含めなかった事例の多さに驚きます。特に、最後の事例である、 利尿剤が検出された5歳の男子の事例が起訴されなかったという点は、検察の慎重さの傍証と言えるのではないでしょうか。結局、体液からの筋弛緩剤の証明が不可能な例は、全て起訴を見送ったと言えそうです。そうすると、 もし原告がマスキュラックス混入とは矛盾するようなシミュレーション結果を出していれば、検察は条件が違えば結果も異なるというような反応をするかも知れませんが、裁判所はマスキュラックス検出の事実には疑義があり無罪と判断すると思われます。実際のところ、弁護士側は、どこかの病院に協力を依頼してシミュレーションを行い、今回の結果とは矛盾するという証拠を提出すればいいはずなのですが、それはされていないようですね。既に試したけれども、やっぱり検出されることが判明したために引っ込めたのかも知れません。
ところで、状況証拠についてですが、状況証拠にもいろいろありそうに思います。極端な話ですが、ある個室病室にマスキュラックスのアンプルがあり、その病室にある時間内にある看護師だけが立ち入っており、その後にはアンプルが空になっていて患者からマスキュラックスが証明されれば、自殺でない限りはその看護師が犯人と断定できるでしょう。この事件での状況証拠がどの程度の証明力を持った状況証拠であったのかは、判決文を見ないとどうにも判断ができません。
なお、池田医師によるMELAS診断も、法律家から見れば「その診断も、結局は状況証拠による推認でしょ?」と言われるかも知れません。
まあしかし、検体を残しておけばこんなに面倒な事件にはならなかったでしょうね。この点は、今後の反省にしないといけないでしょう。尤も、検体を残しておいたところで、今度は「取り違いの可能性が否定出来ない」とか言い出すだけかも知れません。そうすると、どこまでやってもきりがないようにも思います。
以下はオカルトな妄想なので聞き流してくださればと思うのですが、もしかしたら、MELASの患者さんが、その病態を以て、危険人物の存在をみんなに知らしめたのかなぁ、なんて空想してみたりします。
いや、これは本当に冗談ですがね…
議論が混乱したことについて、池田医師が「冤罪」などと言い出したことに原因があると考えたことについて。
判決文も見ずに「冤罪」と言い出したのが原因です最初に池田医師が、診断の話を超えて「冤罪」とか言い出した(判決文を提示せずに法律家の判断を否定した)からです。単に「11歳少女の診断が違っていた可能性が高い(冤罪か否かはそれとは別に検討を要する)」という話で終わっていれば、こんなことにならなかったはずです。はっきり言って、池田医師の勇み足です。
ここで問題になっている11歳少女が、実はMELASであったか否かは、この判決を導くための単なる1ピースなのであって、1ピースが異なっていたことだけを以て冤罪だとは直ちには言えるはずがありません。それは例えば、この少女の一症状の評価が間違っていたからと言って、MELASという診断が誤診だとは直ちには言えるはずがないことと同様です。
このスレッドを見ていると、そのような1ピースが違っていたということを以て、判決文も見ずして、冤罪に決まっていると言い出す人、証拠は捏造に決まっていると言い出す人、これこれが疑問でしょうがないという人などが多いことに驚きます。これらは、例えて言うならば、ある症候群と診断された症例について、その一症状を誤認していたことを見つけて、カルテも見ずして、誤診に決まっているとか、検査結果は捏造に決まっているとか、あの時の説明や処置は疑問でしょうがない、と言い出すような「自称医療事故被害者」と共通する傾向を持つ人が多いことにびっくりします。
(注:ただしその中には、本当に誤診である場合もありうるわけです。それは、カルテを見ないとなんとも言えないわけです。)
通常、判決文には驚くほどたくさんの情報が書かれています。このスレッドで判決に疑惑を抱く先生方が疑問に思うような点についても、判断と理由が書いてある可能性は高いと思います。その判決文を見ずして「これこれが疑問だ」とか言うのは無意味ですし、ましてや、この事件が冤罪でるとの断定をすることなどはもっと無意味です。
池田医師の「他の4例における誤診の原因」を読んで。
資料探しをしていたりして、お返事が遅れておりましたが、私も仕事が終わったばかりでの、とりあえずの感想を書かせて頂きます。
所詮は全身管理のできない眼科医の感想ですが、確かに橋本医師の診断は、予想以上に疑問が持たれるもののようですね。
ただ、却って真相が推測されるように思えてきました。以下はあくまでもこれまでに出ている資料からの推測なので、その程度にお読みくだされば幸いです。
被告人は逮捕後に、投与したことと、殺すつもりはなかったことと、院長を困らせようと思って行ったことを自供したといいます。自供は任意の自供であるか否かが証拠として重要だそうで、裁判官の前で行ったこの自供は信頼性が高いと思われるわけです。
被告人は准看護師ですから、添付文書等の資料をもとにして、「殺すつもりはないけれども、困らせるくらいの量」のマスキュラックスを投与することなどは可能であったと思われます。そこに殺人罪の嫌疑がかけられて否認作戦に転じたように感じられます。ところが、潔白の理屈がかなり無理があって、余計にこじれたようにも感じられます。
起訴された5例がベクロニウム中毒ではなかった可能性が極めて高いとしても、5例でベクロニウムが何らかの形で検出されて、その科学官吏の証言も neuronron先生の読解によれば一応理解できるということですし、自供もあり、使途不明の大量のマスキュラックスの存在、さらに控訴審要旨によれば、被告人の不審な言動、不合理、虚偽の弁解があるとのことですから、投与した事実は動かし難いように思われます。
とすると、殺人罪ないし殺人未遂については冤罪の可能性が低くない一方で、薬剤投与した事実そのものは動かしがたいように思われました。
あくまで推測ですけどね。特に、被告人が無実について説明したことに関しては、ぜひとも判決文を読みたいところです。もし上記推測が正しければ、本当の罪名は暴行罪…かな? 再審の機会があっても良さそうに思われました。
判決文抜きで全部「冤罪」の断定はできない判決文には、双方の主張とそれに対する判断が書かれているのであり、これを読まずに被告人関係者からの情報だけを元に、全てが冤罪などと断定することは、公正な判断とは言えません。
ベクロニウム検出がでっち上げだと強く疑う方もいらっしゃるようですが、バレたら自分が犯罪者となるような行為を、当然しているものだとする考え方は如何なものかと思います。また、でっち上げを主張する人からすれば、全量消費されていなかったとしても、今度はベクロニウムを資料に混入したに違いない、ということになり、どこまでいってもでっち上げ主張をやめることはないでしょうから、それなら技術官吏を証人尋問してその信頼性を検討するほうが良く、その点についての判断も判決文に記載されているはずです。
また、鑑定結果の信頼性は、状況証拠と相互に補完するものだと思います。それぞれの事件についての各関係者の証言、被告人の主張を検討して、ベクロニウム投与がされていたと考えられるという結論になれば、鑑定結果の信頼性も、間接的に高められると思います。状況証拠についても判決文を読んでみないとなんとも判断ができません。
繰り返しますが、私は、この事件で判決文が出てこないことにむしろ疑問を感じます。
既に紹介されていますが、元検弁護士のつぶやきで、判決文が引用されていることから、
http://www.yabelab.net/blog/2008/02/27-183241.php#c123530
どこかでこの判決文が公開されていたことは間違いないでしょう。ところが今はどこを探しても出てきません。
判決文のデータベースである、Westlawや、D1-lawを検索しても、出てきたのは「法学セミナー」2004年6月号121ページの、1ページから成る感想文だけでした(ちなみにそこでは妥当な判決と判断されているようです。)。判決文は見つかりませんでした。
その検索をする際に手がかりにした、この事件の事件番号も全然見つからず、唯一池田医師作成のPDFに記載されているだけでした(この点では池田医師に感謝したいと思います。)。最高裁ホームページには、最高裁での棄却決定書が掲載されていますが、
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&han
reiNo=80543&hanreiKbn=01
ここにも、原審(高裁)の事件番号が記載されていません。このような例はこれまで見たことがありませんでした。
被告人を擁護するサイトには、検察側冒頭陳述まで掲載しているサイトが複数存在する一方で、判決文全文は全く出てきていません。よっぽど見られたくないことが判決文には書かれているのではないかと、訝しく思うわけです。
判決文がなくても冤罪を断定できるとの主張、およびそのような主張をする方には、今の段階では疑いの眼を向けざるを得ません。
参考:刑事訴訟の進行を勉強しましょう。
刑事訴訟を学ぶ
http://sky.geocities.jp/gomanobenkyo/keiso/k01.htm
刑事訴訟判決文が見つかった後
弁護士は嘘を通そうとすることがあるそれを事故というべきなのか分かりませんが、その仕事のあり方からいって、弁護士は時として嘘を押し通そうとする場合があるということは、押さえておくべきでしょうね。
医師が自分で違っていると思う診断を主張したり、裁判官が自分で違っていると思う判決を書いたり、検察官が自分でシロだと思っている人を起訴したりすることは、極めて特別な例外を除けば無いでしょう。これら三者が間違いを犯す場合というのは、誤った認識を持ったことによって犯すのであり、わざわざ自分の思いに背いて犯すものではありません。
ところが弁護士は、刑事事件で被告人がクロだと思いながらもシロだと主張したり、民事事件で勝訴は極めて難しいと思いながらも受任したりということがあり得ます。これがどの程度追求されるべき問題なのかは、私には判然としません。
被告人が証明すれば良いだけの話ですちょっとここらへんは私が自信をもって言えることではないのですが、行き違いの原因の一つに、恐らく司法判断の煮詰め方と医学研究との違いの問題がありそうに思います。
他の検体からマスキュラックスと同様のイオンが検出されるような場合があるのであれば、そのような反例を弁護人側が提出すれば済む話なのだと思います。高裁では福岡大学医学部医学教室教授影浦光義作成の鑑定意見書で、LC/MS/MSの実験結果を書いているようですから、
http://miyaginouka.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-ebfc.html
実際そのような反例がありうるのであれば、そのような実験結果を記載した鑑定意見書を提出すればよいでしょう。他にも、鑑定方法に信頼性がないというのであれば、その信頼性がないことを示す実験結果を記載した鑑定意見書を提出すればいいでしょう(例えば、標品と検体とから異なるイオンが検出された、など。)。
私が裁判例の見過ぎなのかも知れませんが、裁判官も「反例を出せば覆るのにそれができないのは、反例がないからだろうな」と内心では思うのではないでしょうかね。しかしそんなこと判決文に書けるはずもないですから、科捜研の鑑定を「矛盾しない」と宣言して終わりなのでしょう。
判決文の「矛盾しない」には、「弁護人側が矛盾を証明できなかった」という意味合いが含まれるのだろうと思います。
↓攻防のやりとりは、こんな感じだそうです。
http://www.yabelab.net/blog/2008/02/27-183241.php#c123562
あと、同じページですが、私の感想は以下の感想に近いものがあります。
http://www.yabelab.net/blog/2008/02/27-183241.php#c124045
「筋弛緩剤連続投与事件」の有無の判断この事件を巡る、警察、検察、裁判所の判断にケチをつける主張に対してこの事件の最初の逮捕・起訴につながった11歳の事例の病態が、実際にはMELASだったとしても、だからと言ってその後の捜査が全部無効になるわけではないと思います。
たとえばある患者について、ある症候群に関連する一症状を研修医が疑った。検査をいろいろ進めたところ、その研修医の疑った症状はその症候群とは関係が無かったが、他の検査結果によりその症候群が確定したとなれば、「研修医の見立ては違っていたけど、症候群は確定したね」ということになるでしょう。それと同様と考えます。
確かに司法の世界では、科学的な検証が十分ではなくて、医療訴訟では時として問題のある判決が出ます。この事件でのベクロニウム鑑定が、ある人から見れば満足の行く鑑定ではないということもあるかも知れません。11歳女児の病態の検討が不十分だったということもあるかも知れません。しかし、この事件は医療訴訟ではなく連続殺人および殺人未遂事件なのであって、事件は1つではない上に、医学的な部分だけが判断材料なわけでもありません。判決文全文を読んだところ、様々な証拠、証言、事実が相互に補強しあって、「連続殺人ないし殺人未遂事件ではなかったという合理的な疑い」を排除するには、十分な立証がされ、妥当な司法判断がされていると、私は考えました。
1歳女児に被告人が「ヘパフラッシュ」を行い、その数分後に急変した事実や、他の事件が起きる前に点滴の危険に言及していた事実、不審な行動、捜査官や同房者に対する犯行の自白、自白に対する不合理な弁明などを見ると、その中には強い証拠や弱い証拠がいろいろとありますが、特に強引に有罪を導いているでもなく、また被告人の反論の取扱いにも問題を感じませんでした。
この事件と比較してみようと、名張毒ぶどう酒事件の有罪判決を読んでみたところ、参考人の様々な証言を、的確な理由なく恣意的に取捨選択して取り上げていると感じられ、これは確かに冤罪の疑いがあると感じられるものでした。逆にこの事件の判決文を読んだところでは、そのような疑いを持つことは、私の場合はありませんでした。
以上は私の感想であり、この事件の判決文を通じて読んだ上で、なお冤罪の匂いがすると思う方は、そう主張すれば良いでしょう。ただ、正直なところ、そのような方々のこれまでの説明には説得力を感じていません。
鑑別診断に関しては、鑑別診断全てについて、各診断に関わる専門家の判断を仰ぎ、矛盾するものを排除し、矛盾しないものを採用するという、裁判所の手法が一番バイアスが少なく妥当ではないかと思われました。
あまり専門家の所業にケチをつけても…私自身もそんなに良くわかってるわけではないのですが、wikipediaの解説などを見ると、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E7%84%A1%E7%BD%AA
「疑わしきは被告人の利益に」というのは、事件全体を総合的に検討して、被告人になお犯人であることの合理的な疑いが残る場合には、被告人の利益(無罪)とするということのように思われます。検体全量消費という事実が、総合的に見て犯人であることに合理的な疑いを残すようなことはないと私は考えています。
検体全量消費については、確かに判決でも問題なしとはしない旨述べられていますが、いろいろな可能性について調べて消費したということで、それはその当時の一般的なやり方でもあったようです。今でも覚せい剤の尿検体は全量消費が原則とのことです。私なんかは、結果が出たのが確実であれば、そんなもの残しておいてどうするの?という感覚ですが変ですかね? 医療の採血だって、しばらくは残しておきますが、いつまでも残しておいたりはしませんよね。尤も、重大な事件については、この事件の影響もあって、長期間にわたって検体の一部を残す方向にはなっているそうですが。こうして、医療において過剰診療が行われるのと同様なことが、警察検察においても起こっていくわけですね。
この事件で警察検察陰謀説が、証拠捏造、隠蔽を図っていたのだとすれば、5症例の中には経過の説明が全くつかなくなものもあり、警察検察陰謀説のほうがむしろ無理で、数あるトンデモ医療訴訟の原告側の主張と大差がないと思います。
これは明らかにおかしいということがない限り、あまり専門職の所業に文句をつけてもいいことは起きないように思います。医療に対する過剰な批判的態度が何をもたらしているかを考えれば、その害悪は明らかでしょう。
ま、そうは言っても、私自身も法曹に明らかにおかしい部分もあると感じているので、そういう例を集めてサイトに公開しているわけですが・・・
平成24年5月26日まとめる。