令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
一宮身体拘束裁判
事件番号 |
終局 |
司法過誤度 |
資料 |
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一審名古屋地裁 一宮支部 |
平成16年(ワ)第392号 | 判決平成18年9月 | 妥当 | |
二審名古屋高裁 | 平成18年(ネ)第872号 | 判決平成20年9月5日 | A | 判決文要旨 |
最高裁 第三小法廷 |
平成20年(受)第2029号 |
判決平成22年1月26日 (破棄自判確定) |
妥当 |
(高裁判決全文は,判例時報2031号23頁に掲載されています。)
入院中の患者が興奮状態となったために,止むを得ず身体拘束をしたという事件です。一審では「他に危険を回避する手段がなかった」と判断して原告敗訴,二審では逆に「緊急性はなかった」として原告側が逆転勝訴しましたが,最高裁は「転倒,転落によりAが重大な傷害を負う危険を避けるため緊急やむを得ず行った行為」として,二審判決を破棄しました。
一宮西病院の身体拘束「違法でない」…最高裁2003年に愛知県一宮市の「一宮西病院」に入院した女性(当時80歳,1審判決前の06年に死亡)が不必要な身体拘束で心身に苦痛を受けたとして,女性の遺族が,病院を経営する社会医療法人に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が26日,最高裁第3小法廷で開かれた。
近藤崇晴裁判長は「今回の行為は女性が重大な傷害を負う危険を避けるため,緊急的にやむを得ず行ったもので,違法だとは言えない」と述べ,病院側に計70万円の支払いを命じた2審・名古屋高裁判決を破棄し,原告側の請求を棄却した。原告側の敗訴が確定した。
患者に対する身体拘束の違法性が争われた訴訟で,最高裁が判断を示したのは初めて。最高裁は,身体拘束は原則として許されないとする一方,例外的に違法性が否定される場合があることを示した。
判決によると,女性は03年10~11月,腰痛などのため同病院の外科に入院。意識障害の症状もあり,11月16日未明に何度もベッドから起きあがろうとしたことなどから,看護師がひも付きの手袋を使って,約2時間にわたって拘束した。女性は手袋を外そうとして手首などに軽傷を負った。
同小法廷は「身体拘束は患者の受傷を防止するなど,やむを得ない場合にのみ許される」と述べた一方,拘束しなければ女性が骨折などを負う危険性が高かったことや,拘束以外にこれを防止する適切な方法がなかったことなどから,違法性は否定されると判断した。
1審・名古屋地裁一宮支部は06年9月,「拘束以外に危険を回避する手段はなかった」などとして違法性を否定。2審は「重大な傷害を負う危険があったとは認められない」などとして,拘束を違法と判断していた。
2010年1月26日 読売新聞
さて,最高裁判決文と高裁判決要旨を読むと,この事件の最大の問題点は医療行為の適否ではなく,高裁判決そのものにあったことがよく分かります。
高裁判決は,
Aは,201号室でも「オムツ替えて」などと訴えたため,C看護師及びD看護師は,声をかけたりお茶を飲ませたりしてAを落ち着かせようとしたが,Aの興奮状態は一向に収まらず,なおベッドから起き上がろうとする動作を繰り返した。
と,看護師らがAさんを落ち着かせようとしても落ち着かなかったという事実を認定しつつも,
看護師のうち1名がしばらくAに付き添って安心させ,落ち着かせて入眠するのを待つという対応が不可能であったとは考えられない。
として,「落ち着かせようとしたけれども,ダメだった」という認定事実と矛盾する判断によって,身体拘束したことは違法であったと判示しました。最高裁判決はその点について,
看護師らは,約4時間にもわたって,頻回にオムツの交換を求めるAに対し,その都度汚れていなくてもオムツを交換し,お茶を飲ませるなどして落ち着かせようと努めたにもかかわらず,Aの興奮状態は一向に収まらなかったというのであるから,看護師がその後更に付き添うことでAの状態が好転したとは考え難い
と判断を修正しました。
いくらなんでも,この高裁判決はまずいでしょう。
控訴審は判決までに2年近くかかっていますが,2年かけてもこのよう重要な齟齬に気付かないまま,現場の咄嗟の判断を厳しく責任認定することには,開いた口がふさがらないというものです。この点,加古川心筋梗塞訴訟に通じるものを感じますが,加古川心筋梗塞訴訟では,私が示した最大の問題点を正しく判断するためには,高校数学程度の考え方が必要でした。一方本件で最高裁が指摘した部分を正しく判断するには,そのような教科書的学習知識すら必要ないのですから,この高裁の違法な判決は,事実認定と責任判断のプロである司法が求められる,その最低水準の注意義務を履行しなかったことから生まれたものと考えます。なお,加古川心筋梗塞訴訟追加コメントで書いたことの繰り返しになりますが,医師と同じく高度の専門性と結果の不確実性を併せ持ち,難しい判断を要求される裁判官の方々を批判することは,本当は嫌なことです。その辺の基本的な考えは「裁判官の方々へのメッセージ」に記してありますのでご参照ください。
さて,ここで関係法律家一覧を見てみます。
一審 | |
六川詔勝,坂井田吉史(復代理人) | |
被告代理人 | 中村勝己,後藤昭樹,太田博之,立岡亘,服部千鶴,吉野彩子,太田茂 |
裁判官 | 甲野太郎,乙山春夫,丙川花子(つまり失念。性別も不明) |
二審 | |
代理人 |
副島洋明,中谷雄二,森弘典,熊田均,名島聰郎,船橋民江,中村正典,山田克己,大石剛一郎,登坂真人,相川裕,舟木浩,石川智太郎,田原裕之,山根尚浩,井口浩治,水谷博昭,矢野和雄,澤健二,太田寛,岩城正光,森田辰彦,松本篤周,花田啓一,田巻紘子,川口創,稲森幸一,魚住昭三,荒尾直志 |
中村勝己,後藤昭樹,太田博之,立岡亘,服部千鶴,吉野彩子,太田茂 (一審に同じ) | |
裁判官 | 西島幸夫,福井美枝,浅田秀俊 |
以上のように,原告側の控訴に当たっては大弁護団がつき,なにやら弁護士同士の代理戦争の様相を呈しています。原告側には大弁護団を動員するほどの,身体抑制阻止に賭ける強力なバックが付いていたものと推察されます。そして,そのバックのうちのひとりが上川病院の吉岡充医師と考えられ,彼は原告側協力医として証人台にも立ちました。民主党衆議院議員の山崎まやさんのブログでは,その証人尋問について,以下のように記されていました。(現在は削除されているようです。)
名古屋高裁の控訴審では実質的に審理をやり直している。高齢者患者に対する具体的な医療の危険性等の内容も再検討されているという。 さて, この日,弁護側の証人にたったY医師は,高齢患者をこれほどまでに追い込めておいて,最後に縛り,しかも患者の訴えに適切なケアをしなかったことを,専門の老年精神科医の立場で質問に答えながら厳しく追及していた。被告側の弁護士は大変巧妙な質問で,日頃の彼を知っている私など(彼がいつキレルかと)ハラハラしながら聞いていた。そして,同じ医療人としてYさんに申し訳ないという気持ちすら伝わるような弁論だった。また弁護士の最後の質問に,「これは私の裁判です」と答えた彼のずっしりと重いその言葉には感激した。
吉岡充医師は,他人の裁判をまるで自分の裁判であるかのように利用し,先述のような論理破綻した有責認定をさせようとしていたことが伺われます。またそこに29人もの弁護士が乗っかったということにも驚きを隠せませんし,さらに先述のように論理が破綻した判決を書いた裁判官が存在したことにも,思わず嘆息してしまうというものです。
(以下は法律家の方向けの記述です。)
念のため申し添えておくと,身体拘束が許容されるための要件としては,最高裁判決文でも「入院患者の身体を抑制することは,その患者の受傷を防止するなどのために必要やむを得ないと認められる事情がある場合にのみ許容されるべきものである」と判示されており,これは高裁判決が示した身体拘束許容条件とも何ら齟齬をきたすものではありません。最高裁判決もその点を明らかにはしましたが,この点はこの最高裁判決においてそれほど大きな意味を持つものではないと思われます。単に,高裁判決文の論理破綻があまりにひどいために,苦虫を噛みつぶしながら破棄自判しただけのものと想像したのですが,如何でしょうか。
ところで,この最高裁判決文をざっと一読した当初は,現場の実情を踏まえた最高裁判決に医療関係者として安堵しながらも,同時に何とも言えない違和感を覚えました。というのも,最高裁は法律審を行う場所であるところ,私がこの最高裁判決文を一読した限りでは,「事件当時に身体拘束を行う程度の緊急性が認められる状況であったか否か」という点についてのみ判断がされており,本来最高裁が担当すべき法律審になっておらず,単なる事実審が行われただけであったと思われたためでした。因果関係の判断基準そのものについて最高裁の判断が期待された八戸縫合糸訴訟が受理されず,一方で内容的には事実審に過ぎないと思われた今回の事件が受理されたという事実は,法律家の方から見れば「そんなものだよ」ということになることは理解できるとはいえ,最高裁の受理不受理という取捨選択における一貫性の無さに,気持ち悪さを禁じ得なかったのでした。しかも,八戸縫合糸訴訟とこの事件とは,同一の調査官(増森珠美調査官)が担当されていたのですから,その気持ち悪さはなおさらでした。そのような考えから,当初この事件の各判決に対する評価は,高裁判決が司法過誤度C(医療側への注意義務賦課が厳しいもの),最高裁判決もC相当の黄色として,途中まで概ね書き上げていました(参考のためこちらにおいておきます)。
ところが,その旧稿を概ね書き上げた後で,この最高裁判決を読み直しているうちに先述のような高裁判決の矛盾に気付いたため,本稿を書き直し,高裁判決に対する評価は司法過誤度A(司法判断の手法自体に過誤があると考えるもの)に変更し,一方最高裁判決については妥当としました。高裁判決にこれだけ明らかな判決理由の食い違いがあるとなると,ともすると上告受理申立て理由のみならず上告理由をも満たしているとすら言えるのではないかと思われたためです。
以上の通り,私が思うには司法的にかなりお恥ずかしい事件であったと考えますが,高裁判決が判例雑誌に掲載されたほどの事例ですから,最高裁判決も判例雑誌に掲載されたりするのでしょうか。掲載されるのであればどのようなコメントが付くのか,興味津々です。
平成22年2月9日記す。平成22年2月11日,文意をわかりやすくするための軽微な変更。