令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
リピーター弁護士 なぜムリを繰り返すのか?
一審事件番号 | 終局 | 司法過誤度 | 資料 | |||
一審 | 二審 | |||||
第一事件 | 千葉地裁 | 平成18年(ワ)第1759号 | 原告一部勝訴 | C | C | 各事例概説 |
第二事件 | 長野地裁 飯田支部 |
平成19年(ワ)第66号 | 和解 | 妥当 | 和解 | |
第三事件 | 東京地裁 | 平成20年(ワ)第15060号 | 上告中 | 妥当 | 妥当 | |
第四事件 | 東京地裁 | 平成21年(ワ)第55号 | 原告一部勝訴 | C | C | |
第五事件 | 東京地裁 | 平成21年(ワ)第5513号 | 原告一部勝訴 | C | 妥当 |
貞友義典弁護士の著書に「リピーター医師 なぜミスを繰り返すのか?」という本があります。その本の内容に対する批評は、ブログ記事として何度かに分けて連載したのですが、リピーター医師と言われてもやむを得ないような医師が存在すること自体は、医療側としてもしっかりと受け止める必要があるだろうとは思っています。
ところで、医師も人間である一方で、弁護士も人間です。医師にリピーターがいるのであれば、弁護士にもリピーターがいても何ら不思議はありません。今回取り上げる5つの事件は、私にはそのように映った事件でした。これら5つの事件では、すべて同一の法律事務所の弁護士らが、原告の代理人を担当していました。
5つの事件のそれぞれの原告はいずれも、手のひらから多量の汗が出る病気である「手掌多汗症」に対して、内視鏡手術で神経の一部を切断し、手のひらの汗を止めるという「ETS(胸部交感神経遮断術)」を受けた患者本人でした。裁判を起こすからには、手術が失敗して何らかの後遺症が残ったのかと思いきや、手術自体は5人とも成功しており、手のひらの汗も予定通り止まったというのです。それにもかかわらず裁判を起こしたのは、手から汗が出なくなった代わりに、胸より下から出る汗が増えて、日常生活に支障をきたすようになったからだというのです。なるほど調べてみると、この手術を受けると、手、腕や胸より上から出ていた汗が止まる代わりに、胸より下から出る汗が増える合併症(副作用)があり、このことを「代償性発汗」といい、ほとんどの場合に起こる合併症だということです。
そうすると、手術を受ける前に代償性発汗のことを説明されていなかったとすれば、それは医師の説明不足として問題にされる余地がありそうです。しかしこれら5例では、原告の誰もが代償性発汗の説明は受けていたというのです。では何を問題としていたかというと、一言でいえば、日常生活に支障をきたすほどの代償性発汗が起こりうる、ということについての説明を受けていなかったことが問題だったというのです。
しかしながら私の考えでは、汗がどれだけ増えれば日常生活に支障をきたすかは個人の感覚によるものであるし、既に手のひらの汗で日常生活に支障をきたす体験をしている患者(だからこそこの手術を受けるのでしょう)に対して、わざわざ「別の部位からの汗が多くなって日常生活に支障をきたすかも知れない」と告げなけれ過失である、という主張はしっくり来ません。
それぞれの事件の原告は、この手術を受けたために後遺症が残ったのだとして、賠償金を請求しました。賠償金は主として、(1)逸失利益(いっしつりえき)、(2)慰謝料、(3)弁護士費用からなります。逸失利益とは、後遺症のせいで、将来稼げるはずだったのに稼げなくなったであろうお金のことです。原告らは、各自が負った後遺症は、後遺障害等級表の9級に規定されている「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限」されるものであるとして、本来なら生涯に稼ぐはずだった賃金のうち35%を失ったと主張しました。「汗が増えただけで35%も稼げなくなったのかよ」、と思わなくもないですが、後遺障害等級9級の場合に労働能力の35%を失ったものとすることは、後遺障害等級表に示されていることであり、この主張の方法自体は医療訴訟では普通の方法なので、代償性発汗を後遺症と捉えるのであれば、この主張自体を咎めるわけにはいかないのかも知れません。しかし、患者さんの感じ方はともかくとして、受けた手術自体はそもそも予定どおり成功しているのであり、代償性発汗を発症したことも事前の説明通りだったのですから、それを後遺症だと主張する発想自体に解せないものがあります。
次に慰謝料ですが、通常の医療訴訟では、慰謝料も後遺障害等級表に基づいて請求額を決めるものであり、先に述べたように9級に該当すると主張した事例なのですから、表に示されている9級の場合の慰謝料である690万円から、そう大きく外れないのが普通の請求のはずです。ところが5つの事件のうち、第一事件では6500万円、第二事件では4000万円、第三事件では5000万円という巨額の慰謝料が請求されていました。第四事件、第五事件ではそれぞれ1000万円で、これくらいならばまだしも、先の3事件では、後遺障害等級表に示された690万円を大きく超えるのですから、それを大きく超えることについての特別な理由が示されていなければ、裁判所がそれを認めるはずがないのです。しかしながら、その巨額の慰謝料についての特別な説明は全くなされていないのでした。
そして弁護士費用ですが、裁判では逸失利益や慰謝料などを足しあわせた額の1割を、弁護士費用として請求するのが慣わしです。原告が実際に着手金として弁護士に支払う金額の計算は、弁護士の考え方によって様々なようですが、多くの場合は、裁判での請求額にある程度比例した額を着手金とするようです。そのような決め方の場合には、逸失利益や慰謝料を高額にすればするほど、弁護士が受け取る着手金も高額になることになります。この5事件を請け負った弁護士が、実際に受け取った着手金をどのように決めたのかが気になるところですが、残念ながらそれは個々の原告と弁護士の間の取決めであり、外野からは知るよしもないので、これ以上の深追いは不可能です。
一方、裁判所に支払う裁判の手数料は、原告の主張する請求額から計算できます。請求額が大きくなればなるほど、裁判所に支払う裁判の手数料も高額になります。普通であればせいぜい1000万円の慰謝料を請求するべきところを5000万円として提訴した場合、請求額を4000万円分高額に設定したことにより、裁判所に支払う裁判費用は12万円も割高になります。この余計な費用は原告が支払うことになるのですから、原告に無駄金を出費させたと考えて差し支えないでしょう。このことを考えると、そのような請求額の上乗せ行為を繰り返す弁護士というのは、如何なものかと思われるわけです。
ちなみに第三事件では、一審での請求額は慰謝料5000万円を含めて9148万円あまり、二審での請求額は慰謝料を1000万円に減額して総計4748万円あまりとされ、最高裁への上告では逸失利益の主張を諦めて、総計132万円に減額してきました。余談ですが、バブル経済が崩壊する頃の近隣の家の駐車場に、最初は高級車が置いてあったのが、ある日から大衆車に変わり、最後には自転車に変わってしまったことを思い出しました。
第一事件は平成20年9月に一審判決が出ました。手術前よりも却って苦痛を感じる場合があることについて説明する義務があったのにそれをしていなかったとして、110万円の賠償を認めました。この裁判所の判断も如何なものかと思いますが、その点はさておくとして、非常に気持ち悪いことは、他の4事件の裁判の中で、第一事件の判決文が原告側から証拠として提出されたことです。原告側から提出されたということは、原告側にとって有利だと考えてのことなのでしょう。しかしながら第一事件の判決で認められた賠償額は110万円なのであり、そのような判決文を、数千万円もの請求をする事件で証拠として提出するというのは如何なものでしょうか。特に、第四事件と第五事件は、第一事件の一審判決が出た後に起こされた裁判なのであり、第一事件で110万円の判決が出されたことを知っていながら数千万円の請求をしておいて、いざ裁判が始まるとその第一事件の判決文を証拠として提出するというのは、私が素人だからかも知れませんが、不誠実なのではないかという疑問が浮かびます。
結局5つの事件で、実質勝訴を思わせるような、数千万円の高額賠償を受けることができた事例はありませんでした。驚くべきことに、これら5つの事件の原告代理人を担当した弁護士は、「リピーター医師 なぜミスを繰り返すのか?」の著者である貞友義典弁護士をはじめとした、貞友義典法律事務所所属の弁護士らだったのですから、開いた口がふさがらないというものです。以前から繰り返し書いていることですが、他の専門家に対して厳しい眼を向ける法律家の、「自分に甘く、他人に厳しい」という傾向は、本当にどうかしているのではないかと思います。医療界に厳しい判断を求める原告側弁護士や、時に厳しい判断を下すことのある裁判官は、自らは自分の仕事に甘くはないかどうかということを、今一度よくよく考えてみて頂きたいと思います。
平成24年11月27日記す。平成24年12月19日、軽微な修正(旧版はこちら)
平成29年10月7日、事件一覧表中の第4事件と第5事件の二審に対する司法過誤度を取り違えていたため修正(申しわけありません)。
# 各事件に対するコメントをこちらに掲載しました。特に第四事件と第五事件は大変興味深い事例でした。