十日町病院術中死訴訟

  事件番号 終局 司法過誤度 資料
法的 医学的
一審東京地裁 平成11年(ワ)第22713号 判決平成17年10月19日 妥当 不定  
二審東京高裁 平成17年(ネ)第5782号 判決平成19年1月31日 妥当 判決文
意見書
最高裁
第二小法廷
平成19年(オ)第677号
平成19年(受)第783号
判決平成21年3月27日 判決文
差戻し審
東京高裁
平成21年(ネ)第1784号 和解 最高裁判決に
拘束される
 

(麻酔チャートの写しはこちら。また,一審,二審,最高裁判決文と,原告代理人椎名麻紗枝弁護士のコメントが,医事判例解説第20号に,また,上告受理申立て理由の抜粋が,判例時報第2039号12ページに掲載されています。)

 整形外科の手術中に心停止をきたして患者さんが亡くなられ、遺族が提訴した事件です。一審で原告側が敗訴した後、控訴審で「過量の麻酔が死亡の原因であった可能性がある」として原告側が逆転勝訴し、ニュースになりました。

医療過誤訴訟:遺族側が逆転勝訴 東京高裁

 新潟県立十日町病院で手術中に死亡した女性(当時65歳)の遺族が「麻酔薬の過剰投与が原因」などとして、県に約4200万円の賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は31日、約1400万円の支払いを命じる遺族側逆転勝訴の判決を言い渡した。富越和厚(とみこしかずひろ)裁判長は、麻酔薬投与での担当医の過失を認めた。
 女性は97年6月、左足の骨の一部を人工骨に置き換える手術を同病院で受けた。担当医が全身麻酔と局所麻酔の薬を併用したところ、手術中に心停止し死亡した。

 判決は「個々の麻酔薬は過剰投与ではないが、局所麻酔は単独使用の場合の限度量が投与され、総量が最小になるよう努める注意義務を担当医は怠った。この過失が心停止の原因」と結論付けた。

毎日新聞 2007年1月31日

 そして、この高裁患者逆転勝訴判決のニュースを基に、「元検弁護士のつぶやき」というブログでちょっとした議論になりました。アーカイブがこちらにありますが、「これで麻酔が心停止の原因と断定できるのだろうか」ということだったようです。尤もカルテや麻酔チャートなどを確認しないと、あまり議論を深めることもできず、程なく話題は収束しました。

 訴訟のほうはというと、どうやら遺族が1400万円に納得しなかったようで、最高裁に上告(および上告受理申立て)を行い,受理・審理がなされ平成21年3月になって最高裁の判決が出て、再びニュースとなりました。

 十日町の医療訴訟を差し戻し

 県立十日町病院(十日町市)で手術中に死亡した女性の遺族が「医療ミスがあった」として、県に約4200万円の賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は27日、一部賠償を命じた2審東京高裁判決を破棄、損害額を算定し直すよう審理を同高裁に差し戻した。麻酔を過剰投与したミスと死亡との因果関係を認めた。

 2審判決も投与ミスを認めていたが、死亡との因果関係のある過失とまでは認めず「延命可能性を侵害した」として約1400万円の賠償を命令。遺族側が上告していた。

 判決によると、大腿(だいたい)骨を骨折した女性=当時(65)=は1997年6月、全身麻酔と局所麻酔を併用した手術中に心停止し、心臓マッサージなどの措置で一度は心拍が再開したが、死亡した。

 県病院局は「詳しい判決の内容を確認していないので、現段階ではコメントは控えたい。引き続き、高裁の判断を見守りたい」としている。

新潟日報2009年3月27日

 最高裁判決文は,ほどなく最高裁ホームページに掲載されましたが、どうにも判決内容に釈然としないものがありました。そもそも「麻酔が過量でなければ延命していた可能性がある」とした高裁の判断からして疑問になるくらいですから、言わば「麻酔が過量でなければ延命していた」と断定した最高裁判決 に釈然としないのは当然といえば当然です。

 そこで私の力量の範囲内でですが,調べてみました。いろいろなことが分かりました。

 裁判記録閲覧をしてまず驚いたことは,最高裁事件記録表紙の「調査官」記載欄が,ホワイトテープで修正されており修正印すら押されていないことでした。判決に直接関係 はありませんが,日頃法律家の方々から,「ホワイトテープ修正は,裁判などで問題になることがあるので避けるように」と指導されている我々医師から見れば,最高裁判所のこの行為には驚かざるを得ません。

 それはさておき,二審高裁記録をめくってみると,担当麻酔科医に非がありながら一審で原告が敗訴したことに対する義憤からか,小坂義弘医師(島根医科大学麻酔科学名誉教授)と,黒岩政之医師(相模原病院麻酔科医長)から,分厚い原告側意見書が提出されてい るのが目につきました。このうち,黒岩政之医師意見書の抜粋を知り合いの麻酔科医数人に査読してもらったところ,確かに担当麻酔科医の一連の対応には問題があると考えられるとのことでした。

 二審高裁判決での原告一部勝訴のロジックは,大雑把に言えば次のようです。

1. 個々の麻酔薬投与量を減らせば心停止を回避できた可能性がある(これは医学的に事実)し,個々の麻酔薬投与量を減らさなかった過失も認められる(これは麻酔科医によって判断が分かれるようだが,高裁は そのように認定した)が,個々の麻酔薬投与量を何ml減らせば心停止を回避できたかを具体的に示すことはできない。

2. 直ちに心マッサージを行えば,死を回避できた可能性がある(これは医学的に事実)し,直ちに心マッサージを行わなかった過失も認められる(これも大方の麻酔科医が認めるところらし く,高裁もそのように認定した)が,麻酔の影響下で循環不全となっていたので,直ちに心マッサージをすることが救命につながると断定することもできない。

 二審東京高裁は以上を根拠に,損害の35%を病院側の責任としました。35%という数字の妥当性はさておき,いずれの過失についても,それが原因で死亡したものとは断定できないという判断は,それなりに医療の限界を理解した判断であると,私は考えました。ただし,この賠償額の算出方法は,一般的な損害賠償請求訴訟のあり方とは異なっており,また医療訴訟の最高裁判例にも沿っておらず,その意味では司法的観点から過誤度Aと判断されます。

 一方最高裁判決ですが,こちらは麻酔薬が過量だったことが心停止の原因と断定してしまいました。本件の麻酔薬が過量だったとしても,それが心停止の原因と断定できるほどかと問われれば,断定はできないというのが大方の麻酔科医の意見のようです。この最高裁の因果関係認定は,各意見書などの記載からも「過失」と「悪い結果」ありきの因果関係認定と考えられ,「過失」と「悪い結果」があれば確信がもてないような因果関係でも断定できるものとすることが,それが司法の正義なのですかと,逆に尋ねたくなります。

 また,法律関係者の方以外には難しい話かも知れませんが,そもそも最高裁は事実認定を積極的に行うあるいは覆す場所ではないはずなのです。この最高裁判決は,医療訴訟における因果関係認定の方法について新たな判断を示したに止まらず,事実認定そのものを覆したものと考えられます。前者だけなら,その判示内容はさておき,その判示自体は司法における最高裁の本分を発揮したものとも考えられますが,事実認定を覆すことは最高裁の役割ではないはずです。その点ではこの最高裁判決は本当に最高裁判決なのかと眼を疑うところとなります。本来ならば差戻してもう一度議論を尽くさせるというのが本筋ではないでしょうか。

 また,これは最高裁判決内容には直接影響していないとは思いますが,そもそも,この最高裁判決文で示された二審高裁判決の評価の記載は頂けません。二審高裁判決では,担当医の過失について一貫して認める一方でその過失の具体的内容を確定できないとしているところ,最高裁判決では二審高裁判決の判示について

Aの死亡を回避するに足る具体的注意義務の内容(死亡と因果関係を有する過失の具体的内容)を確定することは困難である。そうすると,Aの死亡につき,担当医師らの過失があったとすることはできず,被上告人にAの死亡についての不法行為責任を問うことはできない。

と,「過失があったとすることはできず」としたと書いています。「過失があったとはすることはできない」などとはどこにも書いていない二審高裁判決に対して,このような評価を書いてしまう最高裁第二小法廷は如何なものかと思うところです。最高裁判決だけを読むと,高裁判決のロジックを誤解してしまう恐れがあります。

 以上を考えると ,この最高裁判決文を書いた最高裁第二小法廷は,最高裁に求められる司法水準を満たしていないのではないかと考えます。しいて言えば高裁レベルの判決文ではないでしょうか。この程度の判決文でも最高裁に求められる司法水準を満たしているのだというのならば,医療訴訟においてしばしば見られるような,医療水準を満たしていないとして過失認定されて病院側敗訴となった例の中にも,実は医療水準を満たしていたのではないかと思われるものが少なくないように思います。日本の法的責任判断の総本山である最高裁判所が,「自分に甘く,他人に厳しい」態度であれば,そのような風潮が日本中に伝わるのだということをよく理解して欲しいと思います。

 なお,この最高裁判決は古田佑紀裁判長,今井功裁判官,中川了滋裁判官,竹内行夫裁判官によって出されましたが,この裁判の上告審の調査官は,先に述べたようにホワイトテープ修正があり,その上に「中村(さ)」というゴム印が押されており,中村さとみ調査官と考えられます。

追記

 この裁判の記録を見ると,被告は病院管理者である新潟県となっているにもかかわらず,原告本人の陳述書や黒岩政之医師意見書の抜粋などでは,担当麻酔科医のことを「被告医師」と書かれており,原告自身が誰を相手取っていたのかを誤認していたと考えられます。また,最高裁判決後の差戻し審で,黒岩政之医師が書いた日付の古い補充鑑定書(担当麻酔科医を責める内容)が提出されており,異様に感じられました。最高裁判決後に,黒岩政之医師に対して担当麻酔科医が最高裁判決に出廷しなかったという,法的には意味をなさない情報が伝えられたことが私の調査で判明しており,実際には担当麻酔科医は被告ではないので出廷の権利・義務がないのに,担当麻酔科医が出廷することが当然と誤認していた黒岩政之医師が,出廷しないことを以って担当麻酔科医に対してさらなるマイナス感情を持ったために,以前に提出を躊躇していたその補充鑑定書を,原告側に追加で送付したものと推認することができます。以上のような誤解は,本来なら原告側代理人である椎名麻紗枝弁護士が解いてやる義務があったのではないかと思います。

 担当麻酔科医にも問題はあったのでしょう,しかしそれをとりまく法律家の問題も非常に大きい裁判であったと感じます。

 平成21年8月27日に,遅延損害金を含めて約6874万円で和解に向けて合意したことが報じられました。

平成21年8月27日記す


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