開業医時間外診療拒否訴訟判決文

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 主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1 請求
 被告は、原告に対し、60万5000円及びこれに対する平成16年4月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 1 本件は、原告が、医師である被告に対し、診療を求めたにもかかわらず不当にこれを拒否したと主張して、医師法19条1項の応召義務違反を理由とする不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。
 2 前提事実(当事者間に争いがないか、括弧書きした証拠及び弁論の全趣旨により認めることができる。)
  (1) 被告は、肩書地に所在する診療所兼自宅の建物でy医院を開設する医師である。
  (2) 原告は、平成16年4月19日の朝、出勤途上に路上で転倒し、午前7時40分ころ、転倒場所の近くのy医院まで歩いていき、同医院の玄関先から携帯電話で同医院に電話して診療を求めた。
  (3) 原告は、y医院で診療を受けることがないまま、自ら携帯電話で救急車を呼び、搬送先のa病院及び同病院で紹介を受けたb病院で診療を受けた(乙2、3)。
  (4) 原告は、原告代理人に委任して、同年7月14日付けで、被告に対し、原告が再三診療を求めたのに被告が診療を拒絶しており、このような行為は医師法19条に違反すると主張して謝罪と慰謝料50万円の支払を要求する内容証明郵便を送付した。なお、医師法19条1項は、「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と定めている(乙6)。
 3 争点及び当事者の主張
  (1) 被告の診療拒否の有無
 ア 原告の主張
 本件の事実経過は、次のとおりであって、被告は、原告の診療の求めを拒絶したものである。
 (ア) 原告がy医院にかけた電話には被告自らが出たが、「こんなに早くからやっていない。」、「こんなに早く何言ってるんだ。」、「9時に出直して。」と言うだけで診療を拒否した。
 (イ) 原告が、既に同医院の玄関先に来ていることを被告に告げたところ、被告は沈黙してしまった。その後、看護師と思われる年配の女性が玄関に来て玄関ドアのガラス窓越しに原告の方を見たが、ドアを開けることなく、そのまま奥に戻ってしまった。
 (ウ) そこで、原告は、同医院では診察してもらえないと思い、電話口の被告に対し、「診てもらえないなら自分で救急車を呼びますから結構です。」と告げて電話を切り、携帯電話で救急車を呼んだ。
 (エ) 原告の呼んだ救急車が同医院に近づくと、被告と年配の女性が、あわてて玄関ドアを開け、「応急処置くらいならやってやるから中に入りなさい。」と申し向けたが、既に救急車が来ていたため、原告は、y医院の玄関先の階段をさして「痛いので上がれない。」と告げてこれを断り、救急車で搬送された。
 イ 被告の主張
 原告の主張は否認する。事実経過は次のとおりであって、被告が診療拒否をしたことはない。
 (ア) 原告からの電話に応対したのは被告ではなく被告の妻であり、被告は妻から、y医院の前に原告が来て、転倒して痛みがあるとして診療を求めている旨を伝え聞いた。
 (イ) 被告が、玄関のドアを開けたところ、被告が玄関先の階段下にたたずんでいた。被告は、原告が強い痛みを訴えていたことから、骨折の可能性も念頭にレントゲン撮影をする必要があると考えたが、診療開始時刻が午前9時であり、レントゲンや消毒器具等の準備が未了だったことから、「まだ準備ができていない。」、「救急病院に行かれるとよいでしょう。」と伝えた。
 (ウ) これに対し、原告が不快感を示したため、被告は、せめて応急処置だけでもと考え、「では中にお入りなさい。」と促したが、被告はy医院の玄関先の階段をさして「痛くてこんな階段上がれない。」と語気荒く返答した。
 (エ) そこで、被告は、救急車を呼びましょうかと申し出たが、原告が「自分で呼ぶ。」と言い放って携帯電話で救急車の手配をしたため、被告は院内に戻った。その後に救急車が到着して原告は搬送された。
  (2) 不法行為の成否及び原告の損害
 ア 原告の主張
 (ア) 被告の診療拒否は、医師法19条に違反して診療を受けることへの原告の正当かつ合理的な期待を侵害するもので不法行為を構成する。原告は、これによって精神的苦痛を受けており、これを金銭的に評価すると50万円を下らない。
 (イ) 原告は、被告の上記のような不誠実な対応によって本訴の提起を余儀なくされたもので、これに要する弁護士費用は10万5000円である。
 (ウ) よって、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として60万5000円及びこれに対する不法行為の日である平成16年4月19日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
 イ 被告の主張
 原告の主張は否認ないし争う。被告は診療拒否をしておらず、不法行為が成立する余地はない。
第3 当裁判所の判断
 1 争点(1)(被告の診療拒否の有無)について
  (1) 前提事実に加え、証拠(乙4、甲3、4、被告本人、原告本人及び以下括弧内記載のもの)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。
 ア y医院は、医師が被告1名、看護助手が3名から成る無床診療所で、外科、内科、胃腸科を標榜している。診療所は、建物1階の道路に面した側にあり、1階裏側と2階は被告の自宅となっていて、被告が妻と居住していた。診療所の玄関には両開きのガラスのドアがあり、玄関先に3段の階段がある。
 イ 原告の電話については、被告の妻が建物2階ダイニングの自宅の電話(1階の診療所の電話と兼用のもの)をとって応対した。y医院の診療時間は午前9時からで、看護師は午前8時半に出勤することとされており、原告が電話してきた平成16年4月19日午前7時40分ころの時点では、診療器具の準備は未了で、レントゲン撮影機のウォームアップもできていなかった。なお、原告が、同日より前にy医院で受診したことはなかった。
 ウ 被告は、妻から転倒してけがをした患者が玄関前に来て診療を希望している旨を告げられ、玄関ドアを開けて玄関先にある3段の階段の最上段に出たところ、階段下に原告が立っていた。被告が、今何も用意ができておりませんので、うちでみるより救急病院に行かれた方がよいと思いますと言うと、原告は、せっかくここまで来たのになどと言って不満げな様子を示した。そこで、被告が、それではお入りくださいと言ったところ、原告が、語気鋭く、「こんな階段上れない。」と言ったため、被告は、救急車を呼びましょうかと申し出た。
 エ これに対し、原告は、激昂して、「自分で呼ぶ。」と言い放って携帯電話で救急車を呼んだ。被告は、これ以上その場にとどまっていると原告を更に刺激するのではないかと考えて、y医院の中に戻った。救急車は、午前7時51分に現場に到着し、原告は、ストレッチャーで救急車に乗せられてa病院へ搬送された(乙2)。
 オ その後、原告は、搬送先のa病院でレントゲン撮影等の診療を受けたが、整形外科医の診察を受けた方がよいとしてb病院を紹介され、前同日に同病院で受診した(乙2、3)。
 カ 原告は、同月21日に国立c病院で受診して左足関節骨折と診断され、翌22日から5月12日まで同病院に入院した(甲2、9)。
 キ 原告は、前提事実のとおり、同年7月14日、被告に対して謝罪と慰謝料50万円の支払を要求する内容証明郵便を発送したが、原告が、この郵便の発送までに、被告に対して直接に抗議等を申し入れたことはなかった。なお、原告は、前同日、a病院に対しても、原告代理人に委任して、原告が激しい痛みを訴えたのに1時間以上放置し、骨折を見落としたなどと主張して、200万円の損害賠償を請求する内容証明郵便を発送した。また、原告は、b病院に対しても、骨折がないとの誤診をしたと主張して損害賠償の請求をしている(乙3、5、弁論の全趣旨)。
  (2) 以上の認定に対し、原告は、前記第2の3(1)アのとおり主張し、原告本人の供述及び甲4号証にはこれに沿う部分(以下、一括して「原告の供述等」という。)がある。そして、原告本人は、これに補足して、最初に被告と電話で話してy医院の玄関先まで来ていることを伝えてから原告が自分で救急車を呼ぶ旨電話口の被告に告げて一方的に電話を切るまで被告との携帯電話はつないだままで、その間、被告とは何らの会話もない無言の状態が続いていたとか、被告と年配の女性が玄関ドアを開けて原告を中に招き入れようとした時点では既に救急車が到着してストレッチャーが持ち出されている最中であったなどと供述する。
 しかし、原告の主張するように、年配の女性が原告の様子をうかがいに来たというのであれば、原告としては、被告はその女性と相談して診療するか否かを決すると考えるのが自然であり、真実被告との電話がつながったままであったのであれば、まず電話口の被告に診療してもらえるのか否かを改めて尋ねるのが自然と考えられる。それにもかかわらず、原告は、原告の供述によっても女性が様子を見に来てから電話を切るまで30秒ほどの時間があったにもかかわらず、電話の相手方である被告と何らの会話もしないまま沈黙を続け、その後に一方的に電話を切ったというのである。このような言動は、現に痛みを抱えながら診療を求めて来た患者の態度としては、いかにも不自然不合理であり、被告自身が電話に応対したことを中核とする原告の供述等は、にわかに採用することができない。
 また、原告が供述するように救急車が到着した時点でy医院の玄関先にまだ被告がいたのであれば、原告のけがの状態等について、救急隊員から被告に対して何らかの発問があってしかるべきということができる。それにもかかわらず、a病院が救急隊員から得た情報(乙2)には、発見時の状況として「自宅近く路上に立位」と記載されるにとどまり、このような発問があったとはうかがわれない。そうすると、救急車が到着した時点では、被告は既にその場を立ち去っていたものと認められ、この点においても原告の供述等は採用し難い。
 加えて、原告は、甲4号証において、「被告が診療を拒否したことを認め謝罪してくれればすむことでした」と陳述し、本人尋問でも当初は訴訟までは考えていなかったと供述する。しかし、原告は、被告に対して事前に何らの折衝もしないまま、弁護士に委任して、本件から3か月近くが経過した平成17年7月14日にいきなり内容証明郵便を送り付けて50万円の損害賠償を請求しているのであって、むしろ当初から損害賠償請求訴訟を念頭に行動していたものとうかがわれる。この点でも原告の供述等は、採用することができない。
 以上のように原告の供述等には不自然、不合理な点が少なくなく、その内容には疑問が多い。一方、被告の供述は、原告とのやり取りの細部についてはいささかぶれやあいまいな点が見受けられるものの、原告の電話に応対した妻から告げられて玄関先に出、原告に対して準備未了である旨を伝えて救急病院での受診を勧めたところ、最終的には原告もこれに応じて救急車を呼んだという基本的な内容においては一貫しており、本件は被告が内容証明郵便を受領する3か月も前の、しかも診療時間外のごく短時間の出来事であったとうかがわれることも考慮すると、採用することができる。原告は、被告の供述内容に不自然な点があるとしてるる主張するが、いずれも原告の供述に対する前記のような疑問点に比べれば決定的なものとはいえず、前記認定を左右するものではない。ちなみに、診療拒否の事実は不法行為の成立を主張する原告において立証すべき事柄であって、原告の供述等に関して前記のような多数の疑問点が残る以上、単に被告の供述を弾劾するだけでは、この事実を認めることはできない。
  (3) 以上のとおりであるから、争点(1)に関する原告の主張は理由がない。
 2 争点(2)(不法行為の成否及び原告の損害)について
  (1) 前記1で認定したところによれば、原告は、被告から救急病院に行った方がよいと勧められ、最終的にこれに応じて自ら救急車を手配したものであって、被告が診療を拒否したものとは認められない。したがって、原告の主張は前提を欠き、採用することができない。
  (2) なお、念のため付言するに、医師法19条1項の定めるいわゆる医師の応招義務は、本来国に対して負うものであって、仮に被告に同条項に違反する診療拒否行為があったとしても、ただちに私法上の不法行為を構成するものではなく、この行為が社会通念上許容される範囲を超えて私法上も違法と認められ、これによって原告の何らかの権利又は法律上保護される利益が侵害された場合に初めて不法行為の成立を認める余地があると解するのが相当である。しかるに、本件において、被告の行為が私法上違法であることを認めるに足りる主張立証はない。
 また、原告は、診療を受けることへの正当かつ合理的な期待が侵害されたとして損害の発生を主張するようであるが、診療拒否によって症状が悪化したといった事情があればともかく(原告自身、本件ではこのような事情はなかったことを自認している。)、単なる診療を受けられるという期待そのものが法律上保護されるべき利益といえるかには疑問がある。少なくとも、救急治療を標榜している医療施設等であればともかく、単に医院の看板が掲げられ、そこに外科の治療をする旨の記載があるからといって、常時診療を受けられるものでないことは社会通念上明らかであって、原告がたまたま診療時間外に診療を受けられると期待したとしても、それは事実上のものにすぎず、法律上保護に値する利益とはいい難い。更に、医師に対する患者の期待権なるものは、既に医師と患者との間に診療契約が存することを前提としてその履行に関して初めて問題とされるところ、本件では、原告と被告との間には何らの診療契約も成立していなかったのであるから、この観点からも、診療を受けることへの期待権が問題となる余地はない。
  (3) 以上いかなる観点からしても、争点(2)に関する原告の主張は採用の余地がない。
 3 以上によれば、原告の主張は理由がないから、棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法61条を適用して、主文のとおり判決する。

裁判官 瀬戸口壯夫


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