令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
十日町病院術中死訴訟・黒岩意見書抜粋
(事件概要はこちら、二審高裁判決文はこちら、最高裁判決文はこちら)
鑑定の動機本件の「一回目の心停止」は、下記に示すとおり、典型的な「局所麻酔薬の心血管系への作用」による経過に酷似している。そしてそれは該当薬剤添付文書の「基本的注意」に照らし合わせれば明らかにその危険を予見できた可能性が高いにもかかわらず、第一審の判決はこの事実を十分認識できていない判断といえる。
カルボカイン添付文書
できるだけ薄い濃度のものを用いること。
できるだけ必要最少量にとどめること。
麻酔範囲が予期した以上に広がることにより、過度の血圧低下、除脈、呼吸抑制をきたすことがあるので、麻酔範囲に注意すること。
さらに被告らが心停止やその後の病態に適切な対処をしていれば本件患者を救命でき、最悪の事態を回避できた可能性がある。したがって判決内容は「術中の安全管理」を担っているはずの麻酔科医に対するものとしては不適当な判断といえる。
以上の主な理由によって、麻酔に従事し、手術患者の安全管理に携わるものとしてあらためて本件の審議を必要と考え、鑑定を受諾した。以下、争点の順に沿って医学的見地から論じる。
3. 1度目の心停止の原因以上により、本件における一度目の心停止の原因で最も可能性が高いのは過剰な麻酔、特に硬膜外に投与された2%メピバカイン20mlであると考えるのが妥当である。それを修飾した因子として「全身麻酔相当量」のプロポフォールを投与し、しかも手術中それを減量しなかったことである。
修飾因子を裏付けるものとして、本件鑑定を行っている真下氏は自身の論文で「プロポフォールは血圧低下作用が強い。(中略)プロポフォールの血圧低下作用は、主に末梢血管拡張による体血管抵抗の低下と(それにともなう)前負荷減少によるものである。」ともはっきり述べている(資料 4:118頁)。これはC被告本人も陳述書で繰り返しに述べている「硬膜外麻酔によっておきる血圧低下」と同様、「末梢血管の拡張」の結果から起こるものである。したがって局所麻酔薬およびプロポフォールそれぞれの添付文書の注意事項及び一般的麻酔科学教書にそった医療行為を行っていれば、そもそもこの一回目の心停止は回避できた可能性が高い。
臨床の医療行為において、たとえば生体内で同じ「末梢血管拡張」作用を持つ薬剤が合わさった場合、必ずしも2倍の効果だけには留まらない。生体内では同様の作用を持つ別々の薬剤がしばしば「相加効果」以上の「相乗効果」を示す。したがって本件のような麻酔専門医・指導医が行った医療行為について、単に個々の麻酔薬剤が「用法・用量の範囲内」とか「投与可能上限」だなどという議論だけでは問題を解決してはならない。
1. 「心停止」に対する認識と心停止になった時間について心肺蘇生処置のないように関する議論のまえに、本件では心室細動になった時点を事実上の心停止(C陳述書)としているが、これがすでに医学上、正確性を欠いている。
そもそも心停止は心電モニターで診断するものではない。脈拍を触知しなくなった時点をいうのである。・・・心電モニターはあくまで、心停止のうちどの波形パターンなのかを見極めるためだけのものであり、それによって蘇生処置の優先順位を決めるのである。・・・
つまりそもそも本件で争点となるべきはずの正確な心停止発生時間は不明である。なぜならC医師は14時15分過ぎの急変時、被告自身で脈拍を触知した、あるいはそれを試みたという医療行為を行っていないからである。そして酸素飽和度の記載も14時15分の97%までしかなく、それ以降、「患者の脈を触れた」とか、「心拍動が確認できた」という客観的証拠はどこにも存在しないし、陳述書などにも記載されていない。つまり本件の場合、最終的な脈拍触知を示す証拠は自動血圧測定装置で血圧測定可能であった時(つまり14時15分)までだけである。そして直後の自動血圧計で測定できなくなった時点ではすでにもう「心停止」であった可能性がある。この根拠として、被告は「14時15分をちょっと過ぎたあたり」で患者に異変を感じ、すくなくともそれまで2.5分間隔で計っていた自動血圧測定で「血圧が測れなくなった」と証言している。さらに「14時20分の時点では、もう血圧は全く測れませんでした」と述べている。つまりこの事実から心停止になったのは少なくとも14時18分より以前のこととしても医学的に矛盾はない。よって公判で心停止になったとしている時点(14時20分過ぎ)では、すでに心停止になって2分以上が経過していたが、C被告は脈拍の触知を怠っていたためにこれを見落としていた可能性が否定できない。
このことに関連して、C被告は心停止の正確な時間をめぐる議論の中で「看護婦さんの書いたその心停止というのは、心臓の拍動はまだある時期とお受け取りいただいて間違いないと思います。」と述べているが、では脈拍触知を一度もしていない、血圧も測れない時間帯において、いったい何を持って心拍動を確認したのか、このあいまいな証言を改めて別な方法で照明する必要がある。
もうひとつC被告が心停止に対する認識を誤っていたことに対するものとして、被告は同じ第4回口頭弁論の中で、14時20分過ぎの血圧測定不能状態についてまだ「ただ、心電図上は心臓は拍動をしておりまして、そのときの脈拍数が75前後という意味です」と述べていて、これが明らかに心停止であることを認識していない。繰り返しになるが、心停止は心電モニターでどのようなパターンであろうが、「患者の脈が触れない」時点をいうのであって、被告の述べる状態は心電モニター上は波形があるが臨床的にはすでに心停止である。最も医学的にいえば心停止のうちの「無脈性電気活動(PEA)」パターンである。心臓から電気信号が出ているだけで心臓自体はもうすでにポンプとしての収縮をしていないため、これは所見上も定義上も心停止である。つまり先の被告が証言している辞典(14時15分から20分)ではすでに心停止なのである。
適切な蘇生処置しかし被告は「心マッサージの開始の時刻については、既に何度も陳述しているように、心停止、創部の簡単な縫合、体位の変換(側臥位から仰臥位へ)、心マッサージと、直ちに手早く行われています。」と述べている通り、心臓マッサージより先に創部の閉鎖などを優先している。創閉鎖の理由として「創部が開きっぱなしですと不潔になって感染が起こりますんで、」と述べているが、もし創が感染したならばその後に抗生剤や感染巣の除去(デブリードマン)を行えばいいのであって、心停止の患者に対し、心臓マッサージ開始(心肺蘇生)より術後の創感染予防のための創閉鎖を優先させているこの判断には何の妥当性もない。しかもこの間、「誰か」が無理な体勢でも心臓マッサージをしていた、あるいは「誰か」その指示を出した、というはっきりとした証拠は全く無く、C被告自ら心臓マッサージは「気管挿管をしまして、それから心マッサージ」とその開始の遅れをしっかりと証言している。手術中に 起きうる最も有害な事象、つまり心停止に対する蘇生措置を後回しにして他を優先させたことは、麻酔科学を専門とする医師として誤った判断である。
・・・
仮にC被告がこの当時、ガイドラインに基づいた心室細動に対する蘇生の順序を知らずに心臓マッサージや除細動よりも「気管挿管」といった気道確保を優先させていたとしても、そこには大きな時間の無駄が存在する。C被告は患者を「完全に仰臥位になったところから気管内挿管」をしているが、ここでは全くその必要がない。その理由は既に手術中から使用されているラリンジアルマスクという気管挿管に準じた方法で気道確保および人工呼吸がなされているからである。その確実に気道を確保されていたことを裏付ける証拠として被告自ら「異常発生後、直ちに気道が確保されていることを確認しました」とラリンジアルマスクによる換気が確実にされていることを述べている。したがって創閉鎖の指示のみならず、「必要のない」期間挿管という医療行為で心臓マッサージや除細動までの時間を確実に遅らせていることになる。
空白の15分(1) 14時15分過ぎ、心停止に気づかず、自動血圧計で測定不能になった血圧の再測定を数回試みていた時間
(2) 14時20分過ぎ、ようやく急変を告げる声が響く中、外回りの看護師たちが側臥位の患者を前後で支えていたいくつかの「体側支持器」を取り外すのに要した時間
(3) この緊迫した状況の中で、直接解除看護士が針を持針器にセットし、その針に糸を通し(あるいは糸付針を持針器にセットし)、整形外科医がそれを受け取り、その針糸で皮膚を縫合する、この作業を縫合した箇所だけ繰り返すのに要した時間
(4) 仰臥位になってからC被告によって数回試みられたであろう気管挿管に費やされた時間
などであったとすれば十分つじつまが合う。
裁判官は「手術に立ち会った医師が、心停止状態になって10分以上もの長い間、蘇生措置も取らずに患者を放置することはありえない」と判断しているが、たしかにその通りである。彼らはこの空白の時間、心停止の患者を「放置」したのではなく、不必要な判断や処置に時間を「浪費」していたのである。このときに適切な判断で速やかに心肺蘇生が行われていれば最終的に患者に起こった「死亡」という有害事象は回避できた可能性がある。
緊張性気胸の見落としに対する妥当性について仮に理学所見や気道内圧上昇を見落としてショックが進行しても、最終的にCTスキャン前のスカル撮影(CT装置での簡易的なレントゲン撮影、乙第28号証1-3)で気胸に気がつき緊急だっきを行えば二度目の心停止は防げた可能性がある。あるいは二度目の心停止直後、誰かがCT画像(乙第28号証1-3)を確認し緊急だっきを施行していれば、心肺蘇生が奏効したかも知れない。CT上心停止に相当する器質的な所見(被告らが再三主張している脂肪塞栓や解離性大動脈破裂など)はほかには無く、唯一の重篤な所見であることから、救命のチャンスがあった可能性は否定できない。もちろん緊張性気胸単一の原因のみならず、一度目の心停止後であり、循環状態の安定しない患者を手術室から移動させたことなど、ほかにも二度目の心停止にいたる原因は考えられる。
判決15頁11行目以下で「仮に緊張性気胸が発症していたとしても確定診断をしている時間的余裕も無く、」とはまさにその通りであるが、しかし「直ちに救命措置を行わざるを得ない状況であったから、」の"救命措置"に相当する行為が緊張性気胸に対する緊急 脱気そのものであり、「治療の余裕はなかった」とは誤った判断である。
ただでさえ心肺停止後で循環が不安定な本件患者に対して、2度目の心停止に至る過程のいたるところに被告らの注意すべき点の見落としがあり、その結果ショックが進行しサイド心停止になったと考えられる。
そもそも麻酔専門医・指導医なら継続する低血圧から必然と硬膜外麻酔の過剰投与、必要以上の全身麻酔薬剤投与が最初の心停止に至った原因としてはじめに考えるべきである。少なくとも後に判決でも否定された「電撃型脂肪塞栓」「術中解離性大動脈瘤破裂」などというきわめて稀でかつ救命困難な病態を疑うよりも先に、心停止の際の鑑別疾患の第一番目に局所麻酔薬中毒を含めた「麻酔薬の過剰投与による副作用」など可逆的病態を考えて、まず循環の安定を念頭に置いた蘇生後処置を行うことが本来の麻酔科専門医・指導医として求められる水準である。
おわりに周術期における麻酔科医の責務とはいったい何であろうか。一般の患者や家族から見れば「手術の麻酔をかけること、術後の痛みをとること」と思われがちであるが、それは実際とは異なる。いまやさまざまな生命監視モニターが開発され、ハロタンやエーテルといった過去の麻酔薬より、効果的で副作用の少ない薬剤が多数開発された現在は、多くの人が痛み無く安全に手術を受けることが出来ている。したがって手術を受ける患者に、より確実に安全な麻酔や手術を受けてもらうこと、そして何か危機的状況が発生した場合、麻酔科医が誰よりも適切に対処することこそが周術期における麻酔科医の責務であり、麻酔専門医・指導医はその見本となるべく診療行為をしなくてはならない。
後略