加古川心筋梗塞訴訟(加古川市民病院事件)判決文

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原告 B,C,D,E
上記4名訴訟代理人弁護士 深草徹,内海陽子
被告 加古川市
同代表者市長 樽本庄一
同訴訟代理人弁護士 安藤猪平次,浅田修宏

主文
1 被告は,原告Bに対し,1954万6219円及びこれに対する平成15年3月30日から完済まで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告Cに対し,651万5406円及びこれに対する平成15年3月30日から完済まで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告Dに対し,651万5406円及びこれに対する平成15年3月30日から完済まで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告は,原告Eに対し,651万5406円及びこれに対する平成15年3月30日から完済まで年5分の割合による金員を支払え。
5 訴訟費用は,被告の負担とする。
6 この判決は,主文1ないし4項に限り,仮に執行することができる。

事実

第1 当事者の求める裁判
1 請求の趣旨
 主文と同旨

2 請求の趣旨に対する答弁
(1)原告らの請求をいずれも棄却する。
(2)訴訟費用は,原告らの負担とする。

第2 当事者の主張
請求原因

1 当事者等
 (1) 被告は,兵庫県加古川市米田町平津384−1において,加古川市民病院を開設している(以下,同病院を「被告病院」という。)。
 被告病院には,経皮的冠動脈再建術(カテーテルにより冠動脈に必要な処置を行う手術。以下「PCI」という。また,PCIなどの冠動脈疾患に対する治療を行うための集中治療室を「CCU」という。) をするための医療設備及び医療スタッフが存在せず,PCIを実施することはできない。
 F医師は,平成15年3月30日(日曜日)当時,被告病院に常勤する医師ではなかったが,同日,被告病院の日直勤務に当たっていた。
 (2) Aは,昭和13年○月○日生まれの男性であるが,後記の医療事故により,平成15年3月30日,満64歳で死亡した。Aは,平成6年2月から,軽度の肝機能障害,痛風,高脂血症及び糖尿病などの診療のため,半年に1回程度,被告病院に通院し,いわゆる「かかりつけ医」として利用していた。
 (3) 原告B はAの妻であり,原告C,原告D及び原告Eは,いずれもAと原告Bの子である。

2 医療事故の発生
 (1) Aは,平成15年3月30日12時ころ (以下の時刻の表記はすべて午前午後を通じた24時間方式である。),自宅2階居室において,胸に手を当て息苦しそうにし,顔色は悪く冷汗をかき,嘔吐の症状を示していた。原告Bは,その様子をみて被告病院に電話をし,Aの症状を伝えたところ,電話に応対した看護師は「心筋梗塞と思われるので,すぐに来るように」と指示した。
 原告Bは,直ちにAを車に乗せて被告病院に連れていき,Aは,12時15分てろ,車を降りて被告病院の玄関から診察室まで歩いていった。
 (2) F医師は,Aを診察し,心電図をみて「Ⅱ,Ⅲ,aVf」にST波上昇がみられることを認め,急性心筋梗塞を強く疑った。そして,採血オーダーを出し,12時45分,ソリタT3 500ミリリットルを右前腕部に点滴して静脈路を確保し,13時03分,ミリスロール (ニトログリセリンであり,血管拡張薬である。) の点滴を開始した。
 その後,F医師は,高砂市民病院に転送することを決定し,13時50分,同病院に転送の受入れを要請した。被告病院は,14時15分ころ,高砂市民病院から受入れを了承する旨の連絡を受け,14時21分,救急車の出動を要請し,救急車は14時25分に被告病院に到着した。
 (3) Aは,14時30分,救急隊によってストレッチャーに移されようとしたとき,容態が悪化し,心停止に陥り,15時36分,死亡が確認された (以下,診察開始からA死亡までの出来事を「本件事故」という。)。
 (4) Aは,急性心筋梗塞発症後,心室期外収縮を発症し,これが引き金となって,心室細動を発症し,これを直接の原因として死亡したものである。

3 被告病院の過失
 (1) 転送義務の懈怠
 急性心筋梗塞は,突然死に至る危険性がある疾患であって,最善の治療法は,PCIであり,これは早期に行えば行うほど救命可能性が高い。そこで,医師は,患者が急性心筋梗塞を発症していると診断した場合には,速やかにPCIを実施する手配をしなければならず,自らの病院でPCIを実施することができない場合には,直ちにPCIの実施が可能な医療機関(以下「専門病院」という。) に転送しなければならない。
 F医師が心電図検査の結果を得たのは12時35分ころであり,そのとき,Aが急性心筋梗塞であると診断し,直ちに近隣の専門病院である高砂市民病院又は神鋼加古川病院に転送すべき義務があった (以下,心筋梗塞患者を専門病院に転送すべく行動する義務を総称して「転送義務」という。)。
 ところが,F医師は,13時50分になって,ようやく高砂市民病院に転送の受入れを要請したにすぎず,しかも,その後の転送の手配も極めて緩慢であったため,14時25分に救急車が到着するに至ったのであって,F医師には,転送義務を怠った過失がある。
 (2) 不整脈管理義務の懈怠
 急性心筋梗塞を発症した患者は,合併症として,心室性期外収縮及びこれが引き金となって起こる心室細動を発症し死に至る危険があるから,担当医師は,この危険に対処するため,心電図モニター(以下,単に「モニター」という。) による持続的な不整脈監視(以下,単に「モニタリング」という。)又はCCUに準じた看護師による持続的な血行動態の監視をし,心室期外収縮が発生すれば,心室細動の誘発予防として抗不整脈薬(リドカイン)を静注しなければならず,心室細動が生じるに至った場合には,直ちにそれを除去するため,電気的除細動をしなければならない。
 そして,心筋梗塞患者は,いつ致死的不整脈が起きてもおかしくないから,患者をストレッチャーに乗せて移動したり,救急隊のストレッチャーに移し替えるときでも,とぎれなく監視をしておく必要がある。
 F医師は,上記のとおりの不整脈管理義務を負っていたが,モニタリングをせず,そのために心室期外収縮の発生を見落としただけでなく,心室細動の予防のための抗不整脈薬の投与などの処置をせず,Aが14時30分に心室細動に陥ったときには,その診断ができず電気的除細動をすることもなかったのであって,不整脈管理義務を怠った過失がある。

4 過失とA死亡との因果関係
 (1) 転送義務懈怠との因果関係
 専門病院では,急性心筋梗塞患者をCCUに収容した上で,PCIを実施するまでの間,適切な不整脈管理,すなわち医師又は看護師によるモニターの持続的観察や持続的な点滴管理が行われるし,不整脈が出現すれば,リドカインなどの抗不整脈薬の投与が行われ,それでもなお致死的な不整脈(心室細動)が発生すれば,速やかに除細動や心肺蘇生などの応急措置が行われることになる。
 F医師が転送義務を果たしていれば,遅くとも13時25分には,専門病院(高砂市民病院又は神鋼加古川病院) において,適切な不整脈管理を受け,PCIによる治療を受けることができていたはずである。
 PCIなどの再灌流療法は,一般には急性心筋梗塞発症後6時間以内の症例で有効であるとされているが,本件におけるAのように,ST波上昇や胸痛が持続している例では,24時間以内でも有効なことがある。また,再疎通は発症後12時間以内に達成するときに有効とされ,発症から再疎通までの時間が短いほど効果が大きいとする医学文献もある。
 したがって,急性心筋梗塞発症後24時間以内に再灌流療法が実施されれば有効であったし,遅くとも発症後6時間以内にPCIが行われていれば,救命できていたといえるから,Aは,急性心筋梗塞を発症した11時30分の6時間後である17時30分までにPCIを受けていれば,救命が可能であった。
 そして,急性心筋梗塞の死亡率は10パーセント以下とされること,Aに生じた急性心筋梗塞は,予後がよいとされる下壁における心筋梗塞であったこと,Aは心筋梗塞発症患者としては,比較的若い男性であって,死亡する可能性が高い心破裂を発症する可能性が低く予後が良好であったといえることを考慮すると,Aが適時に転送されていれば,専門病院において不整脈管理を受けることにより心室細動により心停止に陥ることがないまま,PCIなどの再灌流療法を受け,生存していたはずである。
 よって,F医師が転送義務を果たしでいれば,Aを救命できたはずである。
 (2) 不整脈管理義務懈怠との因果関係
 F医師が持続的監視を行っていれば,Aに起きた心室期外収縮や心室細動を見落とすことはなかったし,心室期外収縮を起こした時点で,抗不整脈薬を投与していれば,致死的な不整脈である心室細動を防ぐことができた蓋然性が高い。そして,心室細動が起こったとしても,速やかに電気的除細動をしていれば,Aを救命できた蓋然性は高かったのであり,F医師の不整脈管理義務を果たしていれば,Aは救命できていたはずである。

5 損害
 (1) Aの慰籍料:2500万円
 (2) Aの逸失利益:1049万2439円
 Aは,本件事件当時,満64歳で,厚生年金及び厚生年金基金とを併せ,年額285万9702円の給付を受けており,これを平均余命(18・74年)にわたって取得し得たのに,これを喪失した。
 そこで,その逸失利益からAの生活費5割及び中間利息を控除して計算すれば,Aの逸失利益の死亡時の額は,少なくとも1049万2439円となる。
 (3) 相続
 原告Bは,上記合計3549万2439円の損害賠償債権の2分の1(1774万6219円)を,その余の原告らは,同債権の6分の1(591万5406円)を,それぞれ相続によっで取得した。
 (4) 弁護士費用
 原告らは,本件訴訟遂行のため,弁護士費用の出捐を余儀なくされたのであり,本件事故と相当因果関係にある弁護士費用の額は,原告Bについて180万円,その余の原告らについてはそれぞれ60万円である。

6 よって,原告らは,民法715条,709条に基づき,原告Bにおいて,1954万6219円及びこれに対するA死亡時(平成15年3月30日)から完済まで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,それ以外の原告らにおいて,651万5406円及び同様の遅延損害金の支払を求める。

請求原因に対する認否及び反論

1 請求原因1の事実は認める。

2 請求原因2(2),(3)の事実は認める。
 同2(1)の事実は知らず,(4)の事実は否認する。
 (1) 原告らは,Aが心室細動を発症したと主張するが,そのように判断するに足りる臨床所見はなく,いかなる機序で死亡するに至ったのかは特定されていないのであって,心破裂,脳梗塞又は急性大動脈解離などの合併症が発症した可能性を否定することはできない。
 (2) 被告病院は,原告らに対し,Aの死因を究明するため解剖するよう求めたが,原告らは同意しなかったために死因究明が困難になったのであって,解剖しなかったことによる立証上の不利益は,原告らが負うべきである。解剖しなかったことによって明らかにできなかったことを,自己に有利に解釈して援用することは信義則上許されない。

3 請求原因3の主張はいずれも争う。
 (1) 原告らは,F医師が心電図検査の実施直後に転送義務を負っていたと主張する。
 しかしながら,当日は日曜日であり,被告病院近隣の専門病院はいずれも休診日で,転送を受け入れるためには,休息中の多数のスタッフを緊急に呼び出さなければならない事情があったから,被告病院としては,それら病院に配慮し,自己の施設で可能な基本的な検査を実施すること,すなわち心電図検査及び血液検査の結果を添えた上で転送要請することが事実上求められていた。そして,同地域において病院間の協力態勢は確立されていなかった。
 そこで,F医師は,血液検査の結果を得てからでないと転送要請することができなかったのであり,心電図検査実施直後に近隣の専門病院に転送要請することは困難であった。
 また,臨床の現場では,急性心筋梗塞の疑いのある患者に対しては全例において所定の検査として血液検査を実施しているのであって,そのような実情のもとで,F医師が被告病院で実施可能な血液検査を実施し,その検査結果も添えて近隣の専門病院に転送要請しようとすることは自然であって,それを非難することはできないはずである。
 本件においては,休診日で被告病院の検査態勢が縮小されていたなどの事情があって,血液検査の報告が遅れる結果になったために,転送要請をするまでに思いのほか時間がかかってしまったのである。
 なお,F医師は,13時50分ころには高砂市民病院に転送要請しているのであって,平日であれば,Aは14時過ぎには高砂市民病院に到着し,14時30分前にCCUに入室することが可能であったはずである。本件において転送の実行が14時30分ころになり,その途中でAに異常が発生したのは,高砂市民病院における休診日の人的設備の限界によるものであって,これをF医師の責めに帰すことはできない。
 (2) 原告らは,F医師がAにモニターを装着しなかったなどと責め,不整脈管理義務を怠っていたと主張する。
 しかしながら,F医師は,Aを診断後速やかにモニターを装着して監視を続けていた。処置室にモニターが常備されているのに,心筋梗塞の疑いのある患者にモニターを装着しないことなどあり得ない。
 Aの急変は,処置室内で救急隊のストレッチャーに移し替えようとしてモニターを外していたときに生じたのである。Aをストレッチャーに乗せて移動している間はモニターを取り外していたが,移動中にモニターを装着しても波形にノイズが伴うから無意味であるから,この間の取り外しをもって過失があったとはいえない。
 このように,F医師はモニタリングをしていたのであって,不整脈管理義務の懈怠はない。
 また,原告らは,心室細動を予防するためにリドカインを投与すべきであったと主張するが,14時30分ころにAの症状が急変するまでの間に不整脈などは発生していないし,リドカインの予防投与は急性心筋梗塞の治療として推奨できないとする研究成果もあり,一次性心室細動に対するリドカインの予防的投与は一般的に行われなくなっているから,リドカインの予防投与をしなかったことを過失ということはできない。

4 請求原因4の主張はいずれも争う。
 (1) 仮に,F医師が血液検査の結果を待たずに,12時45分ころ,専門病院に転送要請していたとしても,その後転送受入れの承諾を待ち,救急車を呼び搬送をし,医療スタッフを呼び出して治療に着手し,完了するまで相当の時間がかかるのであって,Aの容態が14時30分ころに急変したことからみて,Aを救命できた可能性はなかった。
 (2) 原告らは,Aに心室細動が生じ,症状が急変したことを前提に主張するが,上記2(2)で述べたように,心室細動が生じたということはできないはずである。
 (3) 心筋梗塞の発症と死亡との因果関係の実態はつかみにくいとされているから,本件事案における転送時間の差がどの程度死亡率に影響したかを統計的に数値で示すことは不可能である。
 また,仮に実際よりも早い時期にAが専門病院に転送されていたとしても,専門病院において,いつの時点で専門医が到着し,治療に着手できたかも不明であって,転送時期の問題だけで救命の能否を論じることも相当でない。
 さらに,専門病院に転送し,CCUで監視されていたとしても,そのことによって救命できたかは明らかでない。CCUで監視しても10パーセント近くは死亡するのであり,すべての患者が救命できるわけではないのである。
 (4) 急性心筋梗塞の致死率は高く,専門施設に収容されたことによる死亡率の改善も僅かであるから,本件において,転送が実現し,専門病院における治療がされたとしても,Aが救命できたかは大いに疑問である。

5 請求原因5の主張は争う。

理由

第1 急性心筋梗塞について
 証拠(略)によれば,次の医学的知見が認められる。

1 急性心筋梗塞は,冠動脈の狭窄又は閉塞により血流障害がもたらされた結果,その冠動脈の支配する心筋組織に壊死が生じ,正常な機能を失った状態をいい,突然死に至る危険が大きな疾患である (平成13年12月に発行された,いわゆる「ガイドライン」。)。
 心筋梗塞を発症すると,責任血管の閉塞によりその血管支配領域の心筋傷害が数時間のうちに心内膜側より心外膜側へ向かって進行し,不可逆的な壊死に陥る。そのため責任血管の再開通は早ければ早いほど心筋のダメージが少なくて済む。

2 急性心筋梗塞の症状及び診断
 (1) 急性心筋梗塞発症直後の自覚症状は,一般に30分以上持続する漠然とした強い広範囲の胸痛である。他覚症状は,急激な自覚症状の出現に付随してみられる顔面蒼白や悪心,苦悶顔貌,冷汗などが一般的である。
 (2) 心電図所見として,急性心筋梗塞発症後,最初にあらわれるのはST波上昇とT波増高であるが,ST波上昇を生じる前にST波低下やST波がピーンと張ったような形を一過性にとることもある。冠動脈の閉塞によってST波上昇が生じ,閉塞が持続すると,心筋は血流障害の度合いが強まって虚血から壊死へと進展する。
 胸部症状が認められ,特徴的な心電図変化(ST波の上昇,T波・U波の変化,異常Q波・新たな脚ブロックの出現など)が認められれば診断は容易である。
 心筋梗塞の早期診断において,心電図はもっとも簡便で診断価値の高い検査である。心筋梗塞の患者の約50パーセントには,心電図上ST波上昇がみられるとされ,心電図上ST波上昇が認められる患者の実に90パーセント以上が実際に心筋梗塞である (平成13年12月発行のガイドライン。)。
 (3) 生化学マーカー(血液検査) による診断は,簡便かつ信頼性の高い検査としてその有用性が広く認められているが,冠動脈血流の途絶による心筋細胞障害を示すマーカーの検出には,発症後かなりの時間を要することに留意する必要がある。一定時間以上の虚血は心筋細胞の細胞膜に変化をもたらし,その結果,細胞内の高分子蛋白は心筋間質に移動し,心筋内微小循環,リンパ循環に流入し,ある程度以上の濃度になった時点で末梢血における検出が可能となる。
 最近開発されたトロポニンTは梗塞発症後3時間で有意の上昇を示すとされている。
 心筋梗塞発症2時間未満に得られた血液のデータでは心筋逸脱酵素が上昇していないため,血液検査は有用性が低く,時間が経過してから血液検査を再施行するのがよい。
 (4) 世界保健機構(WHO) の診断基準においては,症状,心電図,生化学マーカーの3つにより診断され,3つの基準のうち,少なくとも2つが当てはまる場合に心筋梗塞と診断される。

3 急性心筋梗塞の死亡率
 (1) 急性心筋梗塞の死亡事故は,発症後から数時間以内がもっとも高頻度であり,最初の1時間に急性心筋梗塞死亡例の約半数が死亡する。その際に観察される不整脈の大部分は,心室頻拍・心室細動といった致死的不整脈である。
 心室細動とは,心室があちこちで不規則に細かく痙攣した状態であり,心臓がポンプとしての機能を失った状態であって,臨床的には心停止と同じである。急性心筋梗塞の早期に起こりやすい。心室細動か心停止かは心電図上は一目瞭然である。
 (2) 急性期再灌流療法が積極的に施行されるようになり,急性心筋梗塞の死亡率は10パーセントを切るまでに低下したと報告されるようになった。しかし,多くの報告では,来院できた患者を母集団として計算しており,病院到着以前に死亡した症例は含まれていない。
 (3) 再灌流療法導入以前の院内死亡率は20パーセントであったのに対し,導入後は10パーセント又は5パーセント前後へと減少しているとされる。
 (4) 心筋梗塞の予後(死亡率)を予想するもっともよい指標は,左室機能である。

4 急性心筋梗塞等に対する治療
 (1) 心筋梗塞急性期に再灌流療法が行われるようになり,入院後の死亡率は低下し,院内の急性期死亡率は10パーセントを下回るようになった。
 再灌流療法は,発症後12時間以内に達成されるときに有効とされ,発症から再疎通までの時間が短いほど効果が大きいとされ,発症から治療開始までの時間の短縮が救命率の上昇と予後の改善に結びつくのである。
 (2) 急性心筋梗塞治療の基本は虚血心筋の救済であり,早期診断・早期治療開始がポイントとなる。薬理学的な血栓溶解療法より,PCIが治療成績において勝り,ステント留置術が加わったことにより治療成績は一段と向上して広く普及している(証拠。平成14年4月発行)。
 (3) 再灌流療法の有益性は発症から血行再建までの時間が短いほど大きいので,診断・治療開始における迅速さが要求される。特に,発症12時間以内のST波上昇型又は脚ブロック型の心筋梗塞であれば,再灌流療法のよい適応である。一般に再灌流療法は発症後早期ほどその効果は大きく,12時間以上を過ぎると効果がほとんどなくなる。発症早期の病院受診と速やかな治療開始が重要である。
 (4) 急性心筋梗塞であると診断した場合,速やかにCCUに搬送し,収容までの間,血管確保,酸素投与,ニトログリセリンやモルヒネなどによる除痛はもとより,重篤な合併症であるポンプ不全,致死性不整脈の予防処置と対処を行うべきである。
 (5) 心室細動に対する治療等
 心室細動が発生した場合,発生から自己心拍再開までの時間が中枢神経障害を回避する決定因子であるため,直ちに除細動の措置をとらなければならない。心肺蘇生法を開始するよりも,まず除細動が必要なのである。除細動の方法としてもっとも有効なものは除細動器による電気的除細動である。
 心筋梗塞発症直後に発症する一次性心室細動(最初の1時間に発生する心室細動)から救命するためには,可及的速やかに電気的除細動を行うことが重要である。
 また,CCUにおいて,急性心筋梗塞の死亡率を著明に減少させることができたのは,モニタリングや除細動器によって心室細動をコントロールすることができるようになったことが大きい。

第2 被告病院での診療経過について
 請求原因1,同2(2)(3)の事実は当事者間に争いがなく,その争いがない事実,前記認定事実,証拠()によれば,次の事実が認められる。

1 被告病院には,PCIをするための医療設備及び医療スタッフが存在しないから,被告病院においてPCIが必要とされれば,近隣の専門病院に転送することになるが,そのような病院として,高砂市民病院,神鋼加古川病院及び姫路循環器センターがあった。救急搬送により,患者が被告病院から,高砂市民病院又は神鋼加古川病院のCCUに運び込まれるまでに要する時間は,20分程度である。

2 F医師(昭和47年○月○日生)は,平成10年3月,G大学医学部を卒業後,同大学病院で研修するなどした後,平成13年6月から1年間,被告病院の内科に常勤として勤めたことがある。F医師は,消化器内科を専門としている。T原医師は,その後G大学医学部大学院に在籍していたが,平成15年3月30日は,臨時に(いわゆるアルバイトとして)被告病院の日曜日の日直医(9時から17時まで)として勤務した。

3 被告病院の前夜の当直医は,平成15年3月30日1時30分に来院した患者を心筋梗塞であると疑い,神鋼加古川病院に転送要請したが,神鋼加古川病院は,知らされた症状や所見からは,その患者が心筋梗塞であるとは認めず,受入れを断った。
 この患者には,心電図上「Ⅱ,Ⅲ,aVf」での軽度のST波上昇がみられたものの,心筋梗塞に典型的な心電図所見はみられなかった。また,この患者は,呼吸困難を訴えていたが,持続的で強い胸痛という心筋梗塞に典型的な症状を訴えていたのでもなかった。同当直医は,同患者に対し,ミリスロールの点滴を続けたが,呼吸困難の症状は改善されず,結局,同日4時30分ころ,姫路循環器センターに転送要請して了承を得,同患者を救急車により搬送した。

4 平成15年3月30日の被告病院の日直医は4名であり,うち内科担当はF医師だけであり,内科の外来担当の看護師は2名であった。
 F医師は,同日,内科における約100名の入院患者と緊急外来患者の診療を担当しており,多忙であった。

5 Aは,平成15年3月30日11時30分ころ,急性心筋梗塞を発症し,自宅2階居室において,胸に手を当てて息苦しそうにしていた。原告Bは,その様子をみて被告病院に電話をし,Aの症状を伝えたところ,電話に応対した看護師から,すぐに連れてくるよう言われたため,直ちにAを車に乗せて被告病院に連れていき,Aは,12時15分ころ,被告病院に到着した。

6 Aは,被告病院において諸検査を受け,血圧が142/110,脈拍64で不整脈はなし,体温は34.7度との結果が得られた。
 その後,12時30分ころまでに心電図検査(5~6分位)がされ,Aについては,心電図上「Ⅱ,Ⅲ,aVf」にST波の上昇が見られた。また,そのころ,F医師は,Aを問診し,2時30分ころから胸部の圧迫痛を感じ始め,それが持続しているとの説明を聞き,12時39分,血液検査の指示を出した。F医師は,Aが心筋梗塞であると判断したが,直ちに上記1の3病院のひとつにAを転送するための行動は何らとらず,12時45分ころ,ソリタT3500ミリリットルを右前腕部に点滴をして静脈路を確保し,13時03分には,前夜の当直医と同様,ミリスロールの点滴を開始した。このとき,Aの血圧は150/96で,胸部圧迫痛は持続していた。

7 F医師は,13時10分を過ぎたころ,既に指示していた血液検査とは別に,自ら簡易の血液検査であるトロポニン検査を実施したところ,心筋梗塞陰性との結果を得た。13時40分には,指示していた血液検査の結果が出て,それも心筋梗塞陰性であった。F医師は,ミリスロールの点滴の実施にもかかわらず,心筋梗塞の症状が軽減しないことから,PCIが可能な専門病院にAを転送することにし,13時50分ころ,高砂市民病院に転送要請をした。
 高砂市民病院は,14時15分ころ,被告病院に転送の受入れを了承する旨伝え,被告病院は,14時21分,救急車の出動を要請し,救急車は14時25分,被告病院に到着した。

8 救急隊員が到着した時点で,Aは,内科処置室内の被告病院のストレッチャーの上で横になって点滴を受けており,意識は清明であった。救急隊員は直ちにAを救急車のストレッチャーに移そうとしたが,移す直前に容態が急変し,意識喪失状態となって呼吸が不安定となり,ストレッチャーに移された直後,除脳硬直(いわゆる「えび反り」となる全身の硬直) がみられた。

9 救急車のストレッチャーに移し替えようとした時点では,Aにモニターは装着されていなかったし,容態急変の直後にもモニターは装着されていない。

10 F医師は,Aの容態をみて,脳梗塞を合併したと疑い,救急隊にCT室に運ぶよう指示したが(理由は不明である),CT室に着く前にAの自発呼吸まで消失してしまい,蘇生術を行うためAを処置室に戻した。そして,F医師は,14時47分,蘇生のためエビネフリン(エビクイック)を投与し,援助を求められたH医師が14時48分,気管挿管をした。その後,Aは,蘇生のための措置としてエビネフリン,ドプトレックス及びプレドパの投薬を受けるなどしたが,15時36分,死亡が確認された。死亡までの間,除細動器による電気的除細動は一度も行われていない。

 第3 モニター装着の有無について

1 被告は,F医師はA問診後,継続的なモニタリングをしていたと主張し,F医師の証言(陳述書によるものも含む。以下も同じ。),診療録の記述及び診療報酬請求書にも,その主張に沿う部分がある。

2 しかしながら,上記診療報酬請求書の記載によると,3時間21分モニター(呼吸心拍監視装置)を装着していたこととなっているが,これはAの来院時間(12時15分) から死亡時間(15時36分) までの時間すべてに相当するものであって,実際に装着していた時間を記録したものとは考えにくく,後になって,来院した時刻と死亡した時刻をもとに算定した時間を記録したものとみられ,その間継続的にモニター装着がされていたとの事実を裏付ける証拠としての証明力は低いものといわざるを得ない。

3 また,診療録の記録をみても,F医師が行った処置やAの容態を記載した部分には,モニターを装着したことやモニターから得られた結果は記載されていない。診療録には,F医師がAの死亡後,家族に対し,モニターを装着していたが安定状態であった旨の説明をしたとの記載があるだけで,モニター装着の有無及び時間を直接示す書証は見当たらない。

4 さらに,本当に継続的にモニタリングがされていたなら,容態急変時にモニターを再装着することは極めて簡単な作業であったと思われるし,急性心筋梗塞の患者が突然意識を失う場合,心室細動がもっとも疑われるのであるから,心室細動の有無を確かめるためにもモニター再装着は不可欠であったと思われる。
 ところが,本件では,モニターの再装着は一度も行われていないのであって,この点からも継続的なモニタリングがされていたという点には疑問が生じるところである。

5 こうしてみると,証拠によって,いつからいつまでモニター装着がされていたのかを認定することは困難であって,前記認定の事実経過では,その点の事実を認定していない。

第4 Aの直接の死因について

1 本判決の結論
 (1) 証拠()によれば,急性心筋梗塞を発症した患者の主要な死因は,心筋梗塞に起因する致死的不整脈(心室細動)であり,殊に急性心筋梗塞の発症早期には不整脈を起こしやすく,心筋梗塞急性期に心停止に至る原因のほとんどは心室細動などの致死的不整脈であって,心室細動の症状は,突然意識を消失し,全身を硬直させたり,痙攣を起こし,脈拍は触知できず,呼吸はあえぐような呼吸を数回する程度で,約1分後にはそれも消失するものであるということが認められる。
 (2) 前記第2に認定のとおり,Aは11時30分ころ心筋梗塞を発症し,その3時間後である14時30分ころ容態が急変しているし,その症状も意識喪失状態となり自発呼吸が消失したというものであって,心筋梗塞発症後早期に急変したと評価できるし,一般的にみられるとされる心室細動の症状とも一致する。
 そして,森功医師の鑑定意見書及び石原正医師の鑑定意見書(以下「石原意見書」という。) のいずれにおいても,Aは心室細動に陥った可能性が高いとの意見が述べられている。
 (3) 以上を総合すれば,Aの直接の死因は,急性心筋梗塞の合併症として発症した心室細動であると推認するのが相当である。
 2 F医師の証言
 (1) F医師の証言中には,Aの容態急変時(14時25分ころ),脈拍を触知したとする部分がある。もし,これが本当だとすれば,その時点で心室細動はなかったことになる。
 (2) しかし,容態急変時に脈があったなどという事実は,平成17年10月12日付陳述書により,事故後2年半を経て初めて明らかにされた事実であって,かくも重要な事実でありながら,それまで,被告の主張中でも明らかにされたことはない。しかも,その後に被告から提出された平成18年10月付の石原意見書にあってさえ,その事実は全く考慮されず,「本例はストレッチャーへの移送時に心室細動を合併し,即座に心停止に至った可能性は高い」とされているのである。これらは,いずれも奇妙なことである。
 (3) 思うに,F医師は,脳梗塞を合併して容態が急変したと考えたAを,CT室へ連れていこうとする不可解な行動をとっており,容態急変時,かなり動転していたことが明らかであって,その時点で脈を触知したなどというF医師の証言に信頼性を認めることなどできないというべきである。

3 死因に関する被告の主張について
 被告は,Aの直接の死因として,心破裂,脳梗塞及び急性大動脈解離の可能性もあると主張するので,これらについて検討する。
 (1) 心破裂
 証拠()によれば,心筋梗塞に伴う心破裂は,梗塞に陥った心筋が壊死から細胞浸潤を起こし筋肉繊維が脆弱化するまで少なくとも8ないし24時間を要し,心筋梗塞発症から3時間という超急性期に心破裂が発症する可能性が乏しいことが認められる。
 そうすると,心筋梗塞発症 (11時30分ころ)の約3時間後(14時25分ころ)に起こった容態急変が心破裂によるとみることは困難である。
 (2) 脳梗塞
 ア 証拠()によれば,次の医学的知見が認められる。
 脳梗塞を含む脳卒中の最大の特徴は,何らかの神経症状が突発することである。脳卒中の神経症状の特徴は,くも膜下出血を除けば片麻痺を代表とする何らかの局在徴候があることで,局在する神経症状を伴わずに意識障害が出現した場合は脳卒中である可能性は低い。また,脳梗塞により突然死を起こすことは極めてまれである。脳血管障害に伴う呼吸不全は,呼吸中枢がダメージを受ける場合で,その場合として小脳・橋・延髄出血,鉤ヘルニアや小脳扁桃ヘルニアによる急性脳幹障害,遠位部椎骨動脈閉塞などによる両側延髄や上位頸髄梗塞などが挙げられる。
 イ 本件証拠上,Aに神経症状が突発したことは認められないし,そもそも,脳梗塞による突然死は極めてまれであるとされているのであって,Aの容態急変が脳梗塞によるとの可能性も乏しいといわざるを得ない。
 (3) 急性大動脈解離
 ア 証拠()によれば,次の医学的知見が認められる。
 急性大動脈解離とは,大動脈の内側の壁が破れることによって起きる病気であり,血管の内膜,中膜及び外膜のうち,内膜及び中膜が破れ,血液が内膜と外膜との間に流れ込む症状をいう。
 急性大動脈解離の場合,血管の外側の膜は破れることがないから,一瞬で心肺停止に陥り,絶命するということにはならず,発症から死亡までの間に少なくとも1,2時間経過するとされる。
 急性大動脈解離が発症すると,突然胸から背部に激痛が起こり,解離の進展とともに頸部痛,腰痛,腹痛及び四肢痛と移動するとされる。急性大動脈解離は,発症と同時に特徴的な臨床症状を呈し,ほとんどの例で突発的な疼痛を訴え,通常その疼痛は激痛である。患者の顔面は蒼白で,冷汗,頻脈,呼吸促迫を示し,ショック状にみえるが,多くの場合,血圧が高い。
 心筋梗塞等の心筋虚血に伴う胸痛が圧迫感,絞扼感と表現されるのに対し,急性大動脈解離の胸背部痛は裂けるような痛みとされる。
 イ しかしながら,証拠上,Aに,突発的な激痛があらわれた事実などは何ら認められないのであって,そのような事実はなかったとみるのが相当であるから,急性大動脈解離が生じたときにみられるとされる症状はなかったことになる。また,Aは,急変後,すぐに自発呼吸が停止し,心停止に陥っているところ,急性大動脈解離ではすぐに心肺停止に至ることはないとされているから,この点においてもAの容態急変が急性大動脈解離によるとすることはできない。
 (4) 以上のとおりであって,Aが,心破裂,脳梗塞又は急性大動脈解離のいずれかに陥ったために死亡したとみることは困難で,その可能性は乏しいといわざるを得ない。

第5 被告病院の近隣の専門病院の受入れ態勢について
 証拠()によれば,次の事実が認められる。

1 神鋼加古川病院
 (1) 神鋼加古川病院は,平成13年1月から循環器疾患の救急患者を受け入れることとし,心臓カテーテル治療を24時間態勢で行い,他院からの転送も受け入れている。神鋼加古川病院は,平成15年3月当時,転送を受け入れる際,何らかの検査結果を求めるということはしていなかった。そして,受入れ後PCIを実施するまで,患者に対し,医師及び看護師による持続モニター監視及び持続的点滴管理を行って不整脈管理をし,不整脈が出現したときには各種の緊急処置をすることとしていた。
 (2) 平成15年3月30日当時,PCIを実施するために必要な循環器医療チームの人的構成は,循環器医師8名,臨床工学技師1名,カテーテル室担当の看護師1ないし2名,放射線技師1名及び臨床検査技師1名であり,このうち放射線技師及び臨床検査技師各1名が同日出勤しており,その他の医師らは電話呼出しに応じて出勤する態勢がとられていた。それら構成員のうち,医師2名及び医師以外の者のほぼ全員が加古川市内に居住し,もっとも遠方に居住する者であっても,神鋼加古川病院まで40分から1時間程度で通勤できるところに居住していた。
 (3) 神鋼加古川病院が平成15年2月から4月までの間の休日(休診日)に他院から急性心筋梗塞患者の転送を受け入れ,PCIを実施した症例は4例あり,その4例において,患者が来院してPCIを実施し退室するまでの時間は,短い順に,2時間18分,3時間,3時間10分及び4時間30分であり,そのうちもっとも長くかかった症例(4時間30分)は,カテーテル室に搬送中に意識レベルが低下し,脳梗塞の合併を疑い緊急MRI検査を実施したために時間が余計にかかったものである。これらのいずれの患者も軽快して退院した。

2 高砂市民病院
 (1) 高砂市民病院は,循環器科に集中治療室を設け,緊急処置を必要とする心臓疾患の患者を受け入れ,いつでも緊急のカテーテル治療を実施する態勢をとっており,他院からの転送も受け入れていた。
 高砂市民病院は,平成15年3月当時,休日に急性心筋梗塞患者の転送を受け入れる際,他院における心電図検査の結果心筋梗塞であることが明らかな場合,その検査結果を求め,心電図検査の結果によっても明らかでなければ血液検査の結果を求める方針をとっていた。そして,当直医として出勤している内科医が,患者受入れ後,循環器医が到着するまで患者の不整脈管理をし,随時不整脈剤等によって処置することとされていた。
 (2) 平成15年3月30日当時,PCIを実施するために必要な循環器医療チームは,循環器医師2名,放射線技師1名,臨床検査技師1名及び臨床検査看護師1名で構成されており,いずれも電話呼出しに応じて出勤することとされていた。

第6 F医師の過失(転送義務違反)について

1 前記第2に認定のとおり,F医師は,血液検査の指示を出した12時39分の時点では,心電図検査の結果及び問診により,Aには,急性心筋梗塞に典型的な所見・症状がみられることを把握していたし,その所見・症状は,臨床医療上,ほぼ間違いなく急性心筋梗塞であると診断するに足る程度のものであった。そして,前記第1の3に認定の医学的知見を総合すれば,急性心筋梗塞の最善の治療法は再灌流療法であり,それもできるだけ早期に行うほど救命可能性が高まるといえるから,医師が急性心筋梗塞と診断したときには,可能な限り早期に再灌流療法を実施すべきであるが,被告病院ではPCI等の再灌流療法は実施できないから,結局のところ,F医師としては,12時39分の時点で,再灌流療法を実施することができ,かつ,救急患者の受入れ態勢がある近隣の専門病院にできるだけ早期にAを転送すべき注意義務を負っていたことになる (以下,この義務を「本件注意義務」という。)。

2 前記第5に認定の事実によれば,被告病院の近隣の専門病院である神鋼加古川病院及び高砂市民病院は,いずれも休日に心筋梗塞患者の転送を受け入れており,神鋼加古川病院は,受入れの条件として,一般に何らかの検査結果を求めるということはなかったし,高砂市民病院は,受入れの際,心電図検査の結果によって心筋梗塞であることが明らかであれば,その結果だけを求め,血液検査の結果を求めることはしなかった運用をしていたと認められるから,F医師が神鋼加古川病院又は高砂市民病院に転送要請することに何ら障害はなかったといえる。ところが,F医師は,本件注意義務を果たさず,13時50分になってようやく高砂市民病院に転送要請の電話をしたのであって,約70分も,転送措置の開始が遅れたことになる。すなわち,この点にF医師の注意義務違反(過失)があるといわざるを得ない。

3 被告の主張について
 (1) 被告は,神鋼加古川病院及び高砂市民病院に転送要請するためには,心電図検査のほか血液検査の結果を添えることが事実上求められており,被告病院が転送義務を果たすためには,血液検査の結果を得ておく必要があった旨主張し,血液検査の結果が出るまで転送措置を開始しなかったことは,やむを得ない取扱いであって過失ではないというようである。
 しかしながら,転送要請するため血液検査が要求されていたとの事実を認めるための証拠は見当たらない。
 前記第2の2に認定の事実経過によれば,被告病院が平成15年3月30日1時30分に来院した患者を心筋梗塞患者として神鋼加古川病院に転送要請したが断られた事実が認められるが,この患者は,心筋梗塞に典型的な所見・症状を示していたわけではないのであって,血液検査の未了を理由として転送要請が断られたとは考えにくい。
 したがって,この事実は,心筋梗塞に典型的な所見・症状を示す患者であっても,転送を受け入れてもらうためには,まずは無条件に血液検査の結果を得なければならないとか,Aについても血液検査の結果を得なければ転送要請をすることができなかった状況を示唆する事実とすべきではない。
 また,実際にも,F医師は,13時50分ころ,血液検査において陽性の結果を得ることなく,高砂市民病院に転送の受入れを要請し,その承諾を得ていることからみても,血液検査の実施が必須であったと考えることは困難である。
 そもそも,急性心筋梗塞の治療において最重要なことは,できるだけ早期にPCIを実施することであり,神鋼加古川病院や高砂市民病院が24時間の急性心筋梗塞患者の救急受入れを実施しているのも,そのためである。そして,心筋梗塞の急性期における血液検査が無意味であることくらい,そのような専門病院はよく理解しているはずであって,そのような専門病院が,心筋梗塞に典型的な心電図所見や臨床症状がみられる患者について,さらに血液検査の実施を要求するとはにわかに考えられないし,そのような要求が常態化しているとの不可解な地域医療の実情があるとも考えられない。上記両病院とも調査嘱託に対する回答書で血液検査の実施を要求していないと回答しているが,これを不可解な地域医療の実情を隠ぺいするための嘘と考える必要は何もなく,医学的知見から当然に導き出される取扱いを素直に述べたまでと受け止めるべきである。
 以上要するに,被告の上記主張は理由がない。
 (2) また,被告は,臨床の現場では,急性心筋梗塞の疑いのある患者に対して全例において血液検査を実施している実情があるから,F医師が血液検査結果も添えて近隣の専門病院に転送要請しようとすることは自然であって,それを非難することはできないと主張する。
 しかしながら,既に述べたように,心筋梗塞患者の治療のためには,できるだけ早期に再灌流療法を実施しなければならず,一方で心筋梗塞発症後2,3時間内においては,血液検査の診断は意味がないのである。したがって,仮に,被告主張のような臨床現場の実情があったとしても,患者の救命を第一に考えなければならない立場にある医師の転送義務を検討するに当たって,そのような実情を考慮することは相当でない。
 (3) なお,石原意見書によれば,F医師は,転送要請に着手するまでの時間,漫然と経過観察していたわけではなく,転送を決める前に,本人及び家族に対し,PCIの得失について説明し,その承諾を得なければならず,そのための時間が必要であったし,同日の被告病院の配置人員に関する態勢や被告病院と専門病院との関係からみたF医師の立場に立ってみれば,可及的速やかに転送することは現実の医療現場とはかけ離れた理想論にすぎない旨の意見が述べられている。
 しかしながら,そもそも本件証拠上,F医師が本人及び家族に対し,PCIの得失について説明しようとしたために,転送が遅れたとの事情は認められない。また,確かに,前記第2に認定の事実経過によれば,F医師が極めて多忙であったことは認められるが,そのことが原因で本件注意義務を果たすこと(12時39分の時点で専門病院に電話をかけ,Aの症状と心電図所見を知らせ,転送受入れを要請すること)ができなかったとも考えられないから,可及的速やかに転送義務を果たすことが理想論にすぎないともいうことはできない。

第7 前記過失とA死亡との因果関係

1 前記第2に認定の事実経過によると,被告病院から高砂市民病院に転送要請の電話がされた後,受入れ了承の連絡がされ,実際に救急車が到着するまでの時間が35分間であったことが認められるところ,仮にF医師が本件注意義務を果たし,12時39分ころに,転送措置に着手していたならば,救急車が13時15分ころ,被告病院に到着していたと推認することができる。
 そして,前記第2の1に認定したとおり,被告病院から高砂市民病院又は神鋼加古川病院まで患者を救急車で搬送し,処置室に運び込まれるまでの時間は,約20分であると認められるから,Aが処置室に運び込まるのは,13時35分ころであると認められる。

2 前記第1の3に認定の医学的知見及び調査嘱託の結果によれば,急性心筋梗塞患者を受け入れた専門病院としては,PCIが実施されるまでの間,CCUにおいて効果的な不整脈管理がされ,致死的不整脈が発生すれば,速やかに除細動などの救急措置が行われたであろうということができる。すなわち,本件注意義務が尽くされていれば,14時25分に心室細動が発生したのに電気的除細動さえもされないという最悪の事態を避けることができたはずである。

3 次に,前記第5に認定の事実によれば,神鋼加古川病院が平成15年2月から4月までの間の休日に他院から急性心筋梗塞患者の転送を受け入れ,PCIを実施した症例(4例)のうち,緊急MRI検査を実施して余計に時間がかかった症例を除き,患者が来院してPCIを実施し退室するまでもっとも長く要したのは,3時間10分であったことが認められ,これら事実によれば,専門病院において,他院から転送を受け入れた場合,患者が来院してから,PCIの処置を完了するまでの時間は,特段の事情がなければ,長くても3時間程度であると推認することができる。
 これらから,Aが13時35分ころに高砂市民病院又は神鋼加古川病院の処置室に運び込まれていれば,PCIの処置を終えるのは,遅くとも16時35分ころであったとみるのが相当であり,仮にF医師が本件注意義務を果たしていたならば,Aは,11時30分に心筋梗塞発症後,約5時間後である16時35分ころには,PCIの治療を完了していたと推認することができる。

4 前記第1の3に認定の医学的知見によれば,再灌流療法は,発症から再疎通までの時間が短いほど効果が大きく,発症後12時間以内に達成されると有効とされること,特に,発症12時間以内のST波上昇型の心筋梗塞であれば,再灌流療法のよい適応であるとされるから,F医師が本件注意義務を果たしていたならば,Aは,有効な再灌流療法を受けることができたといえる。
 そして,前記第1の4に認定の医学的知見を総合すれば,急性期再灌流療法が積極的に施行されるようになってからは,病院に到着した急性心筋梗塞患者の死亡率は10パーセント以下であるとみるのが相当である。

5 このようにしてみると,本件注意義務が果たされていたならば,Aは,併発する心室細動で死亡することはなく,無事,再灌流療法(PCI)を受けることができ,90パーセント程度の確率で生存していたと推認することができるから,F医師の本件注意義務の懈怠とAの死亡との間には因果関係が肯定される。

第8 原告らが賠償を受くべき損害について

1 Aに生じた無形損害
 本件にあらわれた一切の事情を斟酌すれば,心筋梗塞に対する効果的な治療を受けられずに死亡したAの無念さを慰籍するための慰籍料の額は,2500万円と認めるのが相当である。

2 Aの財産的損害(逸失利益)
 (1) 前記争いがない事実,証拠()によれば,Aは,死亡時満64歳で,年額285万9702円の厚生年金及び厚生年金基金を受給していた事実が認められる。
 (2) したがって,もし本件事故に遭わなければ,Aは,生きている間,年金を受給することができたのに,本件事故により,その受給を得ることができなくなったものである (統計上,その余命は18.74年と認められる。)。
 (3) そして,その得べかりし年金収入の総額から,生活費を控除し(50パーセント),中間利息を控除して計算すれば,Aに生じた逸失利益の額は,少なくとも1049万2439円となる。

3 相続
 争いのない身分関係によれば,原告Bは,上記1,2のAの合計3549万2439円の損害賠償債権の2分の1(1774万6219円),その余の原告らは各6分の1(1591万5406円)をそれぞれ相続によって承継したものと認められる。

4 弁護士費用
 弁論の全趣旨によれば,原告らは,いずれも,上記損害賠償債権の弁済を求めるため,本訴の追行を原告ら訴訟代理人弁護士に有償で委任せざるを得なかったと認められるところ,本件訴訟の内容に照らせば,被告の債務不履行と相当因果関係に立つ弁護士費用の額は,原告Bにつき180万円,その余の原告らは各60万円と認めるのが相当である。

第9 結論
 以上の次第で,本件請求は,すべて理由があるからこれを認容することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条を,仮執行宣言につき同法259条を適用して,主文のとおり判決する。

裁判長裁判官 橋詰均
裁判官 山本正道
裁判官 宮端謙一


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2022年4月以降に動作ドラブル起きていることが判明しました。
現在復旧を試みています。ご連絡の方はツイッターなどをご利用ください。
その後にメッセージをお送り頂いた方には、深くお詫び申し上げます。(2022/11/3記す)

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