令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
日野心筋梗塞訴訟・判決概要等
(事件概要はこちら)
原告代理人: 小野薫
被告代理人: 高芝利仁
救急担当医は昭和62年卒,消化器内科医
事実経過
平成8年
8月10日(土)夕方 左胸~左肩に一瞬痛みあり。
8月11日(日) 20:45 食後に心窩部に激しい痛み。嘔吐。
21:45 救急受診「胃が痛い」
21:50 担当医の診察
BT 36.1度,BP 160/120, PR 114
S) 1時間くらい前より,急に胃が重苦しく痛い。持続して痛い。
Nausea, Vomiting+, diarrhea-
alchol-, 付き合いで飲む程度、smoking 40本/日
O) 腹 soft & flat, rebound
pain-,BS weak, 腸音弱い。tympanie+
A/P) Gastric pain,
WBC↑,ALP↑。以前の所見なし。
painについては unknown origin,症状続けば入院加療
22:00-22:10頃の採血
WBC 13100, ALP 630, γ-GTP 129, CPK 55, CRP
0.5, アミラーゼ89, Hb, Ht, Plt, TBil, GOT, GPTは正常
肝胆道系疾患を強く考えられると。ただし心筋梗塞でCPKが血中に出現するには発症から3-4時間かかることを知っていた。
23:00-23:10頃,ブスコパン40mg i.m.
症状改善見るも,再度pain訴えあり。
ソセゴン30mg,
マーロックス20ml 投与
pain↓
入院勧めるも,原告が翌日に雇用保険の手続をする必要があったので,帰宅を希望。担当医もそれに反対せず,8月12日0時過ぎに病院を出た。
8月12日
1:00頃,帰宅,
2:45頃,救急再来
2:52頃,担当医が入院を指示。
BP
112/88, PR 121, 嘔気+,顔色不良
聴診,肺うっ血−,III音-, IV音-, gallop rhythm-
ST3 500ml, タガメット200mg, ブスコパン20mgを1日4回指示,直ちに開始。
採血入院時一式オーダー(朝の始業後に施行)
pain colickyに持続
lung clear, heart no
sign, やや tympanic
# Gastric pain? epigastralgiaの訴え強い割には所見乏しい。
WBC↑,ALP↑も含め,origin不明。NPOにてfollow. GF, echo, 採血再検。
指示 pain時 ソセゴン30mg 1日3回まで
3:10 pain訴え→ソセゴン注
5:30 pain訴え
5:52 我慢出来ないとのこと→ソセゴン15mg注
6:00
採血→結果が出たのは10時頃,医師に伝わったのは12:00過ぎ
WBC 20200, ALP 601, GOT 342,
GPT 79, LDH 1900, γ-GTP 131, CPK 3994, CRP 0.6, TG 151, T-Chol
131, BS 177
7:30 七転八倒のpain
8:20 腹部エコー n.p.
胃カメラ,腹部CT指示
8:30 担当医は外来診療へ。
8:45 ソセゴン30mg, BP 134/100
8:50 腹部CT,胸水露出極少量
9:21 ECG自動判定 AMI(?)前壁中隔(V1-V4でQ幅40ms以上)
9:00以降,尿
11:10 胸腹部X-p
11:40 胃カメラ 胃炎のみ
12:00過ぎ
採血結果とECG結果を担当医が知る。循環器内科医に依頼。
聴診,肺うっ血−,III音-, IV音-, gallop
rhythm-
13:00頃,循環器内科医 IVH, ウロキナーゼ96万単位
(被告病院はPCIに非対応)
8月29日まで入院,8月29日に大学病院に転院。左前下行枝起始部100%狭窄p/o
10月15日 バルーンにて狭窄25%以下に拡張。再灌流を得る。
同日,EF 43%
平成9年1月30日 EF 27%
平成20年9月1日 LVEF stress 27%
森功意見書より
初診時,心筋梗塞など鑑別が必須だった。入院させるべきだった。
平成8年では,PCIを適応する期間は多かったが,平成10年のガイドラインまでは,血栓溶解療法も選択肢だった。
心電図などは,心疾患の鑑別が念頭になかったためにルーチン検査としてしか実施されなかったものと思われる。
心電図で急性心筋梗塞が出てからの報告は遅いと言わざるを得ないが,医師に連絡が無かったのだろうか。結果を技師が理解する知識が乏しかった可能性がある。
8月12日 9:21 心電図で既に abnormal Q +
12時間前後は経過していた。
心筋梗塞の時期は,初診時 CPK, GOT, LDHが正常であったことから,数日前であったということはない。
結果回避の可能性
初診時に入院し,その後6時間以内に診断されれば,PCI適応で,壊死進展防止の可能性はあった。X病院はPCI施行不能なので,転院していただろう。PCIがエビデンスを以て他の療法より有効との認識が確立するのは,2年後のガイドライン制定後と言わざるを得ない。
カンファレンス鑑定意見
三宅一昌医師(日本医科大消化器内科,以下ミ),山下尋史医師(東大循環器内科,以下ヤ),吉原克則医師(東邦大大森救急,以下ヨ)
1回目の受診時の診察は不適切か?
イ,カ,ヨ 不適切とは言えない。
2回目の受診時の診察は不適切か?
イ 最適ではないが,適切な範疇。
カ 著しく不適切とは言えない。
ヨ 心電図をすべきだった。
心電図結果判明後の治療開始までの時間について
イ 技師が異常値を報告するような法的義務は存しない。担当医も外来診療に当たっていたので難しかった。
ヨ 速やかに診断をして,治療に着手すべきだった。
心筋梗塞発症の時機は?
イ 専門外で意見を控える。
カ 8月11日20:45頃。
ヨ 8月11日20:00頃。
治療方針
イ 専門外で意見を控える。
カ PTCA。PCIは「6時間以内が適応」というが6時間というのは目安に過ぎない。
ヨ PTCAなど。12時間以内なら血栓溶解療法。先駆病院ではPCI
結果回避の可能性
イ 専門外で意見を控える。
カ 可能性はあるが,程度は不明。
ヨ 左室駆出率50%以上となった可能性はある。最大の決定因子は虚血時間。
左室駆出率43→27の低下の原因は?
イ 専門外で意見を控える。
カ 平成8年10月15日と平成9年1月30日の左室駆出率は左室造影,平成20年9月1日の左室駆出率は核医学で,単純に比較できない。平成8年10月15日と平成9年1月30日の左室駆出率は計測者間のばらつきが多く,低下したと確実に判断できない。
ヨ 心筋リモデリング
カンファレンス鑑定での吉原克則医師の発言。治療について
「今の時点ではそういうことがあるかも知れませんけど,その当時の救急の一般ではできないんじゃないかとは思います。」
裁判所の判断(一審)
過失
8月11日21:50 心電図施行の義務なし
8月12日2:52 心電図か採血の再検査をすべきだった(吉原医師)
三宅医師,山下医師の意見
(1)改めて心筋梗塞を疑う所見がなかった
(2)二次救急における当直医師の大変さ(これは吉原医師も指摘している)
しかし,(1)については,心窩部の激痛が更に続き,初診時CPKでは心筋梗塞が除外できない。担当医がその気になれば心電図やCPK再検等を指示することができた。三宅,山下医師の意見は採用できない。(2)については,担当医が心電図や採血の指示をすることさえできなかったことを首肯させるに足る事情の主張,立証がない。
因果関係
早期心電図で心筋梗塞の診断ができた。
異常Q波は,前壁梗塞で
1時間以内に14%に,3時間以内に54%に,12時間以内に92%に出現。
異常Q波が出現以前でも,77%でST上昇がある。(16%でST変化なし)
別の報告では,急性心筋梗塞の心電図感度は60~80%程度。
このうち,異常Q波や
1mm以上のST上昇など,確実な所見を呈するものは1/3~1/2程度である。
PCIは原則6時間以内を適応。ウロキナーゼ有効は3-4時間以内。心電図上 R波残る例,共通が残る例は6時間以降も対象になる。遅くとも8月12日6:00ころにはB病院にてPTCA等のPCIを受けることができた。
原告が8月11日の急性心筋梗塞以前に正常成人の駆出率を下回る状況にあったことを認めるに足る証拠はない。
平成8年10月15日 左室駆出率43%→平成9年1月30日,平成20年9月1日の左室駆出率27%への低下の原因は心筋リモデリング。
山下医師意見
「一般に急性心筋梗塞は動脈硬化病変部に血栓がついて閉塞することにより発症すると考えられているが,実際には血栓は形成,溶解を繰り返し,血流が途絶したり再灌流したりするため,症状が増悪,軽快を繰り返す場合もあると考えられている。このような場合には,症状の初発から時間が経過していても,一部には生き残っている心筋があり,緊急カテーテル,PTCAにより,心筋壊死をある程度減らすことができると考えられている。発症後6時間で適応を区切ることは,大雑把な目安である。」
実際に8月12日13:00(急性心筋梗塞後16時間15分)のウロキナーゼで 10月15日に左室駆出率43%であった。
この事実から,8月12日 6:00頃にPTCA等が実施されていれば,その後に生じる心筋リモデリングを考慮しても,原告の心機能の低下は左室駆出率40%(中等度)に留まっていたと認められる。(注:左室駆出率40%は後遺障害等級9級,左室駆出率27%は後遺障害等級5級)
損害
平成7年に金融機関を退職,不動産業を始めた。当時51歳。就労の十分な意欲がああった。原告主張の月40万円,年間480万円,向こう9年6ヶ月間の就労が可能であったと思われる。
480×(0.79[5級の労働能力喪失率]-0.56[9級の労働能力喪失率])×(7.1078[9年のライプニッツ係数]+7.7217[10年のライプニッツ係数])÷2=
818万5884円
慰謝料 370万円
弁護士費用 120万円
計 1308万5884円
参考:訴状での請求額
逸失利益 480万円×9.5年×0.79= 3602万4000円
(疑問:480万円はセンサスより安い?,60歳までの就労9.5年の主張も,通常認められる期間よりも短い?,ライプニッツ係数がかかっていない!)
慰謝料 1400万円
計5002万4000円
このうち3600万円を求めて,弁護士費用400万円と合わせて計4000万円の請求。
控訴審・控訴人側の地裁判決評価
・カンファレンス鑑定に沿っていない。
・心筋梗塞所見なき過失認定。
・平成8年の2次救急の医療水準、医療現場の状況を考慮していない。一晩で数十人を当直医が診察。平均120人の入院患者。当直前後にも通常の診療をしていた。
・心拍出量27%低下の証明がない。推測による認定。
民事訴訟法248条は、損害発生が証明された後に問題とされるもの。原判決はその解釈を誤り、損害の証明がなくても事実を認定できるものとした誤り。
・結語 原判決は、カンファレンス鑑定等の証拠に基づかず、かつ、医学の初歩を理解していないものとなっている。
控訴審・裁判所の判断
1回目の診察の過失(略)
2回目の診察→入院時の過失
入院時にも強い腹痛を訴え、腹痛、嘔気、嘔吐以外の訴えがない。心筋梗塞の前駆症状の訴えもない。聴診も問題なく、初診時の血液検査結果から、禁飲食で経過観察とし、8:30以降の消化管精査を予定した。
2次救急病院
カンファレンス等では、「夜間救急診療では応急措置が求められており、日中と同じ程度の高度な専門診療を行うのは困難。専門外の医師が診察に当たるため、命に関わる状態を回避することが最低限求められ、一度で確定診断に至らない事が多い。
平成8年当時、2次救急病院でルーチンで心電図、レントゲン、採血一式の施行は困難。腹痛患者に心電図はルーチンではなかった。
当時平均一晩に救急車1~3人、それ以外の受診が10人以上、入院中患者120人の救急処置、当直明けにも8:30~17:00の診療があった。当直を担当する内科医は当時6~7人、1ヶ月に2-3回の当直があった。急性心筋梗塞が日常的に搬送される病院ではなかった。
吉原医師は、「心電図を取るべきだった」と述べたが、ニュアンスを問われると、「取ったほうが良かった」と同じと答え、また2次救急病院の業務の熾烈さ、多忙性から実際上は時間的困難との付記をしている。
過失と認定はできない。
裁判長裁判官 前田順司
裁判官 原俊雄
裁判官 山口信恭
参考: 患者側の損害の再計算
労働能力喪失率79%
年収480万円×0.79×16年分(ライプニッツ係数10.838)=4109万7696円
慰謝料1400万円
合計5509万7696円
うち一部金として3600万円
弁護士費用400万円の請求