令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
青森里帰り妊婦OHSS訴訟一審判決文
横浜地方裁判所川崎支部平成11年(ワ)第727号
平成16年12月27日民事部判決
原告 B,C
上記2名訴訟代理人弁護士 間部俊明
被告 川崎市
代表者市長 X
訴訟代理人弁護士 中村光彦
被告 青森市
代表者市長 Y
訴訟代理人弁護士 加藤済仁
同訴訟復代理人弁護士 渡邉俊太郎
主文
1 被告青森市は,原告らに対し,各金2997万3896円及びこれらに対する平成11年11月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らの被告川崎市に対する請求及び被告青森市に対するその余の請求を,いずれも棄却する。
3 訴訟費用のうち,原告らと被告川崎市との間に生じた分は原告らの,原告らと被告青森市との間に生じた分は,これを10分し,その1を原告らのその余を被告青森市の,各負担とする。
4 この判決は,主文第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求の趣旨
被告らは,原告らに対し,連帯して,各金3998万3610円及びこれに対する平成11年11月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(以下,特に記載のない限り,いずれも平成6年のことである。)
第2 事案の概要
1 本件は,被告川崎市が設置するK病院で不妊治療を受けて,その後被告青森市が設置するL病院において入院加療を受けたAの夫及び子である原告らが,Aが死亡したのは,被告K病院の医師が,多嚢胞性卵巣(以下「PCO」という。)症候群を有する患者であるAに対し,危険な不妊治療をしたのにもかかわらずそれをA及び原告Bに説明せず
,経過観察義務,
被告L病院に対する情報提供義務(協力義務)を怠ったことと,被告L病院医師が,前医に対する照会義務を怠り,卵巣過剰刺激症候群(以下「OHSS」という。)に対して漫然と大量のアルブミン製剤を投与したことによりAを呼吸不全,心不全に至らしめた経過観察義務違反及び救命措置を怠ったためであるなどと主張して
,被告両名に対し,診療契約上の債務不履行に基づいて損害賠償請求をしている事案である。
2 争いのない事実及び証拠上容易に認められる事実等(証拠上容易に認められる事実は末尾に証拠の符号を付した。)
ア 原告BはAの夫であり,原告Cは,原告BとAとの間の長男である。Aは,平成6年5月29日,死亡した。(原告らと被告川崎市との間で争いがない。)
被告川崎市は,被告K病院の設置者であり,D医師は,被告K病院婦人科の医師である。(原告らと被告川崎市との間で争いがない。)
被告青森市は,被告L病院の設置者であり,E医師,F医師及びG医師は,被告L病院産婦人科の医師であったが,その後3名とも退職した。(原告らと被告青森市との間で争いがない。)なお,(被告L病院では,E医師を中心として,上記3名の医師が協力してAを担当する態勢をとっていた。
イ Aは,平成5年9月18日,被告川崎市との間で,Aが妊娠するような手段を講じ,運良く妊娠が成立した場合はその経過を観察するとともに分娩を担当する医療機関に引き継ぐという内容の診療契約を締結した。
Aは,被告青森市との間で,被告L病院入院時に判明していたOHSSに対して,臨床医学上の知識技術を駆使して,可及的速やかに適宜の治療行為をなすという内容の診療契約を締結した。(原告らと被告青森市との間で争いがない。)
ウ 平成2年4月17日,Aは挙児を希望し被告K病院を受診した。担当医はD医師であった。D医師は,Aに,ルテームデポー(黄体ホルモン剤),クロミッド(クエン酸クロミフェン,排卵誘発剤)を5クールにわたり投与し併せてゴナトロピン(hCG胎盤性性腺刺激ホルモン剤,なお
,一般名詞としてはhCGと表記し,固有名詞としてはHCGと表記する。)を投与したものの排卵が認められなかったことから,不妊症検査をした上第2度無月経(無月経のうち,黄体ホルモン(プロゲスチン)と卵胞ホルモン(エストロゲン)との負荷を行うことにより子宮出血を来すもの)と診断した。そこで
,D医師は,同年11月10日,クロミッド,hMG(下垂体性性腺刺激ホルモン,なお,一般名詞としてはhMGと表記し,固有名詞としてはHMGと表記する。),hCGによる排卵誘発療法(hMG—hCG療法)を選択し,開始した。(原告と被告川崎市との間で争いがない。)
エ 平成2年12月12日AはOHSSと診断され,緊急入院したが,その後,症状は軽快した。Aはその後もhMG—hCG療法による不妊治療を受け続け,平成4年2月27日妊娠が確認され(原告と被告川崎市との間で争いがない。),同年10月30日M病院において,第一子である原告Cを出産した。
オ 平成5年9月18日,Aは第二子を希望し,被告K病院を受診した。D医師は,第一子分娩後も自発排卵がないことを確認し,同6年1月ころから,前回と同様のhMG—hCG療法を開始した。(原告と被告川崎市との間で争いがない。)
カ 4月25日,Aは,実家のある青森県に帰省したが,このころから腹部膨満感を覚えた。
キ Aは,5月3日,被告L病院においてOHSSと診断され,即日入院した。E医師が主治医となり,F医師及びG医師とともにAの治療に当たった。OHSSに対しては主に輸液と25%アルブミン製剤(以下特に記載のない限り25%アルブミン製剤を「アルブミン製剤」という。)の投与による対症療法がとられた。(原告らと被告
青森市との間で争いがない。)
ク Aは,5月27日,被告L病院において,人工妊娠中絶手術を受けた。(原告らと被告青森市との間で争いがない。)
ケ Aは,5月29日午前4時50分ころ,突然チアノーゼと呼吸困難が出現し,同日午前7時10分ころ,被告L病院において死亡した。死亡診断書の直接死因欄には急性肺水腫,その原因としてOHSS,その他の身体状況として卵巣の腫大,腹水貯留との記載がある。(原告と被告
青森市との間で争いがない。)
コ 本件訴状は,被告川崎市に対し平成11年11月16日,被告青森市に対し同月17日に到達した。(当裁判所に顕著)
3 争点
(1)被告川崎市との間の争点
ア HMG日研を投与した過失
(原告らの主張)
本件が発生した平成6年4月当時のHMG日研の能書には,PCO症候群を有する患者に対しては「投与しないことを原則とするが,やむを得ず投与する場合は慎重に投与すること」との記載がある。D医師は,Aが平成2年12月12日OHSSに罹患して入院をした際,AがPCOの卵巣の持ち主であり
,OHSSになりやすい体質であることを知っていたのであるから,今回も前回と同様のhMG—hCG療法を行えば再度OHSSに罹患するおそれのあることを容易に予見できたにもかかわらず,今回の治療に当たってもHMG日研を投与したのであって,D医師は,患者の安全のために
,使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載された医薬品の添付文書・能書に従わなかった過失がある。
(被告川崎市の反論)
日本産科婦人科学会生殖・内分泌委員会報告によるPCO症候群の診断基準によると,AはPCO症候群を有する患者ではなかった。確かに,平成2年12月12日,同月19日の超音波断層検査で嚢胞化した卵胞が認められているが,これは不妊治療開始前のPCO症候群とは異なり,不妊治療の結果卵胞が嚢胞化し
,排卵妊娠の可能性を示しているにすぎない。前記診断基準にいうPCO症候群を有する者であるためには,平常時から多数の卵胞の嚢胞化である場合を指すのであるから,原告らの主張は前提を欠く。
なお,HMG日研の能書には,PCO症候群を有する患者への投与を原則禁忌とするとあるが,これはHMG日研に限ったことではなく,他のhMG製剤にも共通した事項である。HMG日研のみを取上げてその使用を非難することは誤っている。
イ 不妊治療開始に当たっての説明義務違反
(原告らの主張)
(ア)不妊治療の危険性について
D医師は,前回の不妊治療において,AがPCOの卵巣の持ち主であり,OHSSになりやすい体質であることを知っていたのであるから,今度も同じhMG—hCG療法を行えば,再度OHSSに罹患するおそれのあること,しかも中等度以上のOHSSに罹患することが容易に予想でき
,妊娠した場合にはOHSSの症状は悪化し,最悪の場合妊娠を諦めて子宮を全部摘出するか,我慢して妊娠を継続するかの選択に立たされることがあり得たのであるから,そのことを説明し,Aがそれを承知した上で排卵誘発療法,とりわけHMG日研による療法を求めた場合にのみその投与を開始すべきであった。また
,HMG日研の投与に引き続きhCG製剤を投与した場合,又は併用した場合は重篤なOHSSが現れ,これに伴う血液凝縮,血液凝固の亢進などがあるため,使用に際しては,厳密な経過観察が必要であるとされている。更に,前記のとおり,HMG日研は,PCO症候群を有する患者に対しては原則として禁忌であり
,やむを得ず使用する場合には慎重投与するとされていることから,PCO症候群であったAに対して治療を開始するに当たっては,治療による効能と場合により妊娠を諦め,卵巣のみならず子宮の摘出となりうる危険性について詳しく説明すべきであった。そして,不妊治療の性質上,夫である原告Bに対しても同様の説明を行い
,夫婦共同の了解を得てから,治療を開始すべきであった。にもかかわらず,D医師は,Aに対しても,原告Bに対しても,今回の不妊治療の方針(投与する薬剤の効果と危険性,不妊治療期間中の注意など)を一切説明しなかった。
(イ)4月21日の説明義務違反
D医師は,4月21日に,Aの卵胞が非常に大きくなり,頸管粘液もよく出ていたことから,排卵が近いと考え,hMG製剤からhCG製剤に切り替えて投与し,36時間から72時間後に排卵となることから,Aに対し,原告Bと性的交渉をもつように伝えた。しかし,Aには帰省の可能性があったのであるから
,D医師は,妊娠の可能性について話すだけではなく,厳重管理の必要と危険性について説明し,帰省しないように指示すべきであったのに,指示しなかった過失がある。とりわけ,不妊治療は通常の手術に比して必要性・緊急性に乏しいが故に,医師の説明義務の範囲はより広汎になると解すべきであり
,4月21日に撮影された超音波検査写真においては,既に卵巣が,長径6.5cm×短径6.0cmくらいの異常な大きさとなっており,卵胞も26mmと腫大していたことから,Aがこの時点で中等度のOHSSに罹患していることを疑って,妊娠が成立した場合にはOHSSが重症化し
,場合によっては卵巣から子宮までを摘出する危険性もありうることを説明すべきであった。D医師がかかる説明をし,AにOHSSの危険性について十分な理解をさせていれば,Aは帰省しなかったことは明らかであり,死亡の結果は生じなかったのであるから,前記説明義務違反とAの死亡との間には相当因果関係がある。
(被告川崎市の反論)
(ア)不妊治療の危険性について
原告らの主張は,後記の通り,AがPCOを有する患者であったという誤った前提に立つものである。
D医師は,Aに対し,不妊治療に伴うOHSSの危険性について必要な説明を尽くしている。そもそもAは平成2年12月にOHSSを発症したことがあり,D医師から説明を受けて,A及び原告Bは,OHSS発症の可能性,その危険性について知悉していながら第二子を希望したものであることに照らすと
,卵巣や子宮の全摘出の可能性を知っていたからといって不妊治療を受けなかったとは到底いえない。
AはOHSSに罹患したのは平成2年12月のみで,その後今回まで罹患してはいないから,OHSSの発症の可能性を否定できないにせよ,hMG—hCG療法を行えば中等度以上のOHSSの発症を容易に予見できたということはできない。
また,ピュアタイプの卵巣刺激ホルモン(FSH)であるHMG日研(LH(黄体形成ホルモン)の含有比率は0.05未満である)を使用した場合には,従来のhMG製剤を使用した場合よりもOHSSに罹患する可能性は低いとの報告があるのであって,危険な不妊治療薬を使用したとの原告らの主張は誤りである。
(イ)4月21日の説明義務違反について
D医師は,4月21日の診療の際,超音波断層法による検査の結果,右卵胞径26mm,子宮,左卵巣は異常なく,頸管粘液0.4ml,シダ葉結晶形成(3+)と認められたことから,排卵が近いと考え,hCG製剤へ切り換えて投与し,Aに対し,性的交渉による受精,妊娠となる可能性を説明し
,定期的に来院すること,Aがこれまで連休となると青森県の実家に帰省することがあり,紹介状を書いたことがあるという記憶から,ゴールデンウィークには帰省しないように指示した。原告らの主張する厳重管理の必要と危険性が何を意味するのか分からないが,Aが,4月21日の時点では妊娠に至る可能性があるというに過ぎないから
,その時点での指示としては,帰省しないようにいうだけで足り,これ以上の説明を要しない。
なお,原告らは,超音波による検査では,Aの卵巣は6.0cm×6.5cmと異常に大きく,これはOHSSに罹患していたからであると主張するが,単に超音波画像の読み誤りであり,正しくは長径6cmくらい,短径3cmくらいであって,日本人の成熟女性の卵巣の長さは2.5から4.0cm
,幅は1.2cmから2.0cmであり,大きさ,形ともかなりの個人差が認められること,Aは排卵直前であったことに照らすと異常とはいえない。
ウ 経過観察義務違反
(原告らの主張)
Aは,平成2年にD医師のもとでhMG製剤とhCG製剤とを併用された際に,重篤なOHSSとなって入院したことがあるのだから,D医師としては,今回もOHSSを発症して入院する事態になることは十分予見可能であったし,また予見すべきであった。
しかも,4月21日の超音波画像から伺える卵巣,卵胞の大きさからも,その時点でAが中等度のOHSSに罹患していたと認められるにもかかわらず,D医師は,排卵,妊娠成立の可能性の高いこの時期に,AにOHSSの危険性を認識させずに,青森県に帰省させてしまった経過観察義務違反がある。
Aは,4月25日午前9時15分ころ,被告K病院に出かけ,青森県に帰省するので,依頼書(紹介状)を書いてほしい旨求めた。D医師は,手術前の手洗い中であるので午後に来るように看護師に伝えただけであった。D医師としては,Aに短時間でも面会して帰省を制止すべきであったし
,それができないのであれば,取り次いだ看護師を介して帰省を禁止すべきであった。その後,同日夕方にはAが来ないことが判明したのであるから,Aの実家なり,夫なりに連絡して現状の把握に努め,依頼書を作成して郵送等すべきであったし,現にそのような行為をすることはできたはずである。然るに
,D医師はかかる行為をしなかった。その後,原告Bは,5月10日,被告
K病院に行ってD医師にAが重症のOHSSに罹患していることを告げて依頼書を書いてくれるように頼んだが,D医師はこれを書かなかった。これは,D医師のAに対する不信感ないし,勝手に帰省することに対する突き放した態度というべきである。原告Bは,5月16日にもD医師に依頼して
,やっと紹介状を書いて貰えたのである。
(被告川崎市の反論)
4月21日の超音波画像診断上認められる卵巣及び卵胞の大きさは,排卵直前の状態を示すにすぎず,OHSSの発症を示す所見は認められないし,OHSSの典型症状である腹部膨満,嘔気・嘔吐,呼吸障害,腹水・胸水も認められなかったのだから,OHSSを発症していたということはできない。
D医師は,Aに対し,4月21日の診療の際に,帰省しないように,定期的に来院するように伝えた。D医師は,4月25日にAが来院し,紹介状を求めていると聞いた際,手術前の手洗い中であったため会うことはできなかったものの,看護師を通じて昼過ぎに来院するよう指示したのである。D医師には
,予定されている他の患者の手術を遅らせてまでAに面会すべき理由はない。にもかかわらずAは来院しなかったのであって,D医師が漫然とAを帰省させたということはない。Aには再来院できない事情も認められない。
Aから格別の訴えがないにもかかわらず,D医師がAの実家なり原告Bなりに連絡して状況の把握に努めるべき状況ではなかった。
エ 前医の後医に対する協力義務違反
(原告らの主張)
被告K病院には婦人科はあるが,産科はないから,出産を担当する医療機関との間に状況に応じ,必要な協力をするという柔軟な連携協力が求められるところ,その連携の内容は,依頼書を書くだけではなく,状況に応じ必要な協力をするというものである。不妊治療により妊娠と重度のOHSSの罹患という二つの課題を生じた場合
,hMG—hCG療法を行った医師としては,安全な出産に向けて,後医と協力して必要なことを可能な限り行うべき義務があるというべきである。この義務は,D医師の排卵誘発行為という危険な先行行為によってAがOHSSに罹患し,緊急事態に突入したのであるから,D医師は,危険な先行行為を行った者として
,その行為により生じる結果の回避,即ちOHSSの治療をしながら妊娠を継続し出産を実現するという目標に向かって協力する診療契約上の義務を有すると言い換えることもできる。そして,この義務に違反した場合は,不作為による過失責任を負うというべきである。D医師は,5月10日
,原告BからAの腹部が異常に腫れていることを知らされたのだから,
被告L病院に対し,治療経過を詳細に記した紹介状を渡し,必要に応じて被告L病院に電話して必要な情報を提供する用意があることを伝え,同病院での治療が万全のものとなるような情報を提供すべき義務があり,さらに,Aの症状や同病院における治療内容は,検査データを求め必要な意見を述べるべき義務を負い
,かかる義務を果たせば
被告L病院におけるアルブミン製剤の過剰投与に気付き,厳重管理の必要性を指摘してそれ以後の投与を中止させることができたところ,D医師にはこれらの義務を果たしていない過失がある。
(被告川崎市の反論)
被告K病院には婦人科だけがあり,産科はないが,そのことにより被告K病院医師に特段の注意義務が生じる理由はない。
Aと被告K病院との診療契約は,遅くともAが被告L病院に入院した5月3日までには終了している。仮に診療契約が存続しているとしても,Aが被告L病院に入院中は被告K病院に入通院することはできなかったのであるから,被告K病院は診療行為を実施することができず,被告K病院の診療債務は
,その履行が不能な間は消失していると解すべきである。
被告L病院医師の診察を通じての経過観察は,直接診断している被告L病院医師の診察を妨げることにもなりかねないのであり,原告Bの話による経過観察ではその内容の正確性に問題があり,結局D医師はAの診療に関与できないし,しない方がよいこととなる。なお,医師法20条は
,治療を行う医師は,自ら患者を診察しなければならない旨規定しているが,これは,治療を行う医師は,自ら患者を診察しないと,診断,診療を誤ることとなりかねないので,患者の利益を守るために規定したものである。D医師は,Aを診察していないのであるから,治療に関する発言は厳に慎まなければならないのである。
原告らは,AがOHSSに罹患していたことを前提として,不妊治療としての排卵誘発剤の使用はOHSSの発症の契機であり,危険な行為であると主張する。しかし,OHSSによる死亡率は,40万~50万周期に1件の頻度と非常に低率であると指摘する文献があり,日本産科婦人科学会生殖・内分泌委員会によるOHSSの実態調査(1996年)では
,死亡事例は445例中1件であったとの報告がある。実際を無視して危険性を強調すべきではない。
なお,危険な先行行為に基づく結果回避のための作為義務が認められるとしても,作為義務には重大な結果の具体的予見が可能であり,回避が具体的に可能であることを前提とするところ,本件においては,D医師には,具体的な予見義務及び具体的な結果回避義務はいずれも存在しない。D医師は
,5月16日に原告Bに対し,それまでの経過を記載した紹介状を交付し,被告
K病院における診療の経過を被告L病院に対して開示しており,後医から求められていないのにそれ以上の情報を提供する法律上の義務はなく,かえって後医である被告L病院医師の裁量を侵害するおそれもあり,被告川崎市には何らの義務違反もない。医師は診察しなくなってからの治療に関する発言は厳に慎まなければならないのであって
,紹介状を書く以上の義務を負う理由はない。
(2)被告青森市との間の争点
ア Aに対し,アルブミン製剤を過剰投与したことにより,心不全,呼吸不全に陥れ,肺水腫により死亡させた過失及び説明義務違反
(原告の主張)
一般に重症のOHSSでは,腹水貯留及び腹腔内圧の上昇による横隔膜の挙上,血管透過性の亢進によって(肺胞性)肺水腫になり,さらに進んで呼吸不全となる危険性がある。
そして,絨毛から分泌されるhCGがOHSSの増悪因子として作用することから,妊娠週数が血中hCGのピークである8週を過ぎていなければ症状がさらに悪化する可能性がある。Aは,5月3日の入院時に既に重症のOHSSであり,妊娠週数は8週を過ぎていなかったのであるから
,
被告L病院の医師らとしてはOHSSをさらに悪化させないように,治療に全力を傾けるべき注意義務があった。
E医師は,Aが肺水腫に罹患することを十分に予見し,この予見に基づき肺水腫を考慮に入れた注意深い経過観察をし,水分過剰投与にならないように輸液を調整すべきであった。平成6年当時,OHSSから肺水腫に至ることを指摘した文献がないとしても,腹水や胸水を発症させた血管透過性を高める作用は
,肺の中にも液体成分を漏れ出させ,肺水腫を発症させる可能性となりうることを予見すべきことは当然である。
また,Aのアルブミン値は,5月7日には正常値(3.7から5.5)を下回る3.2であったが,同月9日には改善して正常値となり,同月23日には5.9と逆に正常値を超え低アルブミン血症ではなくなっていたのであるから,同日以降はアルブミン製剤を投与しなければならない理由はなくなっているにもかかわらず
,
被告L病院医師らは,漫然とアルブミン製剤を投与し続け,しかも1日最大使用量の2倍から10倍の量を投与し続けたことにより,Aを心不全,呼吸不全に陥らせ,肺水腫により死亡させた。仮に平成6年当時,アルブミン製剤の1日の使用量を画する文献,能書等がなく,血清総蛋白量(以下「TP値」という。)が正常になることを目標にアルブミン製剤を投与したということが正当であったとしても
,投与の効果を的確に検証するとともに,大量投与による危険性を回避するための措置がとられることが必要であるところ,後記のとおり,検証は不十分であり,低酸素血症の危険性に対しても胸部レントゲン撮影,血液ガス検査と酸素モニターをすべきであるのにしていない等,Aに対する経過観察は不十分であった。したがって
,遅くともTP値はもちろん,アルブミン値が正常値を超えて異常値へと移行した5月23日にはアルブミン製剤の投与を中止すべきであった。にもかかわらず,
被告L病院医師らは,重症のOHSSの原疾患を有するAにアルブミン製剤を漫然と大量投与し続けたことにより,間質性肺水腫を引き起こさせ,ひいては肺胞性肺水腫さらには呼吸不全により死に至らしめた過失がある。
なお,被告L病院医師らは,TP値7.0を目標にしてアルブミン製剤を投与したというが,カルテ上そのような記載はないばかりか,アルブミン製剤を2倍に投与した5月9日以降は16日に,4倍を投与した同月20日以降は23日にしかTP値を検査していなく,不十分である。アルブミン製剤はアルブミン値が低下していることから投与するものであり
,TP値を上げるためのものではない。被告青森市のこの点の主張は不合理である。
また,被告青森市には,アルブミン製剤を投与する際,その危険性についてAや原告Bに説明すべきであったのにしなかった過失もある。
(被告青森市の反論)
Aの死因はいわゆる剖検が行われていないため不明であるが,卵胞が破裂したことにより脳梗塞,肺梗塞を起こした可能性も否定できないではない(5月28日の血液凝固学検査では,重篤ではないが,凝固異常が認められており,5月17日の時点では正常値であったことからすると,血液凝固異常が進行していた可能性もあり
,29日には28日よりさらに進んで血栓症を生じた結果,脳梗塞,肺梗塞を起こした可能性も否定できない。)
。
平成6年5月当時,OHSSの治療方針は,輸液を行いながら自然寛解を待つことが基本であって,それ以上の治療方針は確立されていなかった。OHSSが危機的になると腹水・胸水が出てくるとの指摘をする文献はあるものの,OHSSから肺水腫,心不全に至るという事例は報告はされてなく
,また,アルブミン製剤を能書の記載以上に投与することによって肺水腫が生じることも予見できなかった。原告らの引用する文献は,いずれも最近の文献であり,被告青森市の過失を論ずる際に引用する文献としては不適切であり,仮にかかる文献の記載等により
被告L病院の過失を認めるときには医療行為に対する萎縮効果は大きく不当である。
Aは入院当初,低アルブミン血症と診断され,それは5月9日に改善したが,その後も低蛋白血症と膠質浸透圧の改善のために,また腹水穿刺により1回に3000mlもの腹水を排出している時もあり,そのために失われる蛋白質やアルブミンを補充するために,能書以上のアルブミン製剤の投与を継続する必要があった。
被告L病院では,5月17日,腹部膨満のために経口摂取できないAに対し,栄養状態の改善や血清蛋白の補充として,IVH(中心静脈栄養)カテーテルを勧めたが,Aの承諾は得られなかったため,アルブミン製剤の投与以外に方法がなかった。アルブミン製剤は,能書に従って投与することが基本的には妥当であるが
,実際の臨床現場においては,当該薬剤の危険性を考慮しながら,検査データや患者の年齢,状態,症状等を念頭に置いて投与することが適切であって,いたずらに能書の記載に従うべきではない。現に,平成6年に,OHSSに罹患した患者につき,膠質浸透圧の確保のために能書以上に用いた事例が報告されているほか
,平成11年にも能書以上の投与の報告例がある。
また,E医師は,TP値7.0を目標にアルブミン製剤投与を継続していた。AのTP値は,5月16日の時点までは十分な改善はなく,また腹水穿刺にもかかわらず腹水の貯留が継続し,浮腫もみられたため,低蛋白血症を改善し,膠質浸透圧を維持して血管内に水分を保持し,腹水の貯留を防ぎ浮腫の改善をはかるために相当程度のアルブミンを投与することが必要であり
,かつ,有効であると判断して,
被告L病院医師らは,アルブミン製剤の投与を継続したものである。Aには,アルブミン製剤の副作用・合併症であるウイルス感染,アナフィラキシー反応,うっ血性心不全なども認められなかった。前記のとおり,低蛋白血症や栄養状態の改善の方法もなかったので,アルブミン製剤の投与を継続したのである。それゆえに
,アルブミン製剤の投与を継続し,投与量を増加させた
被告L病院医師らの判断は,当時のOHSSの治療として不適切なものではなかった。そして,当時のOHSSについての医療水準では,重症のOHSSの治療としては,能書の記載からアルブミン製剤の投与量を決定することはできず,高度の医学的判断が必要であった。したがって,
被告L病院医師らが能書の記載以上にアルブミン製剤を投与したことをもって同医師らに過失があったと評価することはできない。もし,治療方針の確立していなかった重症のOHSSの治療方針の決定という高度の医療判断について,能書の記載のみを基準として,医療行為の過失を判断することは医療行為の萎縮を招き
,ひいては国民の生命・健康を害する結果を招くだけである。そして,このような考えによると,投与を継続するかどうかの判断はTP値を前提とすべきであって,アルブミン値によるべきではない。
更に,Aの死因が肺水腫であるとしても,Aの死因となった肺水腫はアルブミン製剤の投与によって生じるおそれがあるうっ血性心不全による肺水腫ではなく,OHSSの悪化による漏水性の急性肺水腫であり,仮にアルブミン製剤の投与量が不適切であったとしても,Aの死亡との間に因果関係はない。
なお,原告らがアルブミン製剤の過剰投与を主張し始めたのは,事故後9年も経過した後であり,それはアルブミン製剤の適正投与量が極めて難しい問題であるからに外ならない。本件当時,能書に定められた量以上のアルブミン製剤の投与は不適切な治療法とはされていなかったことからも原告らの主張は結果責任を問うものであって不合理である。
イ 経過観察ないし全身容態観察義務違反
(原告らの主張)
Aは被告L病院に入院したときから重傷のOHSSであったところ,当時の医学水準としては,OHSSの根治的療法は望めず,保存的療法しか選択肢がなかったとしても,OHSSの検査データとして重要なヘマトクリット値,TP値,アルブミン値等の検査を怠らず,血液ガス検査をするなど必要な検査をし
,尿量が30から60ml/時に維持されるように輸液量を調整し,内科,麻酔科などの医師と協力すべきであった。しかるに,5月17日に撮影された胸部レントゲン像は,5月9日の画像よりも肺野の湿潤が高まっていることが伺えるのに治療方針の変更等はなかったこと,Aは,強く挙児を希望していたにもかかわらず
,5月23日には,体力の限界を訴えて妊娠中絶を求めたこと,5月23日前はアルブミン値は正常値より低い値で推移していたものの,同日には5.9と正常値を超えたことなどから,遅くとも5月23日にはAをICUに入れて呼吸管理・循環動態,血栓形成の予防,治療などをすべきであるところ
,
被告L病院は漫然とAを一般病室に入院させたままにしていたのであって,上記のような容態観察義務に違反した過失がある。また,5月27日の人工妊娠中絶手術前後には胸部レントゲン撮影や血液ガス分析を行うべきであったのにされておらず,さらに,手術後の同日午後1時30分には
,Aの容態は,「寒気あり,がたがたふるえている,顔色すぐれず」という危機的状態にあったのに,午後2時過ぎには酸素投与を止め,同4時30分には術後観察を終了し,その後は十分な容態観察をすることもなく,またICUに入れることもなかったためにAを死亡させた過失がある。
(被告青森市の反論)
5月17日以降,G医師は,念のためICUに入った方がよい旨3,4回にわたりAに勧めたが,Aはこれを拒否した。G医師は,本人の意思に反してまでICUに入れることはないし,むしろICU症候群のことにも配慮して,ICUへの収容は見合わせることとしたのであって,ICUの絶対適応であるのに
,ICUに収容しなかったものではない。もっともAの容態にかんがみ,Aをナースステーションの隣の部屋に移し,重症患者として容態観察を行っていたのであって,
被告L病院の経過観察には問題はない。本件当時はOHSSによる死亡例の報告も,人工妊娠中絶後も症状が悪化するという症例の報告もほとんどなく,実際にAの呼吸状態は腹部穿孔によって腹水を抜いた後は改善していたので,人工呼吸管理まで行う必要性はなかった。
Aが5月25日の時点で呼吸苦を訴えていたのは,腹水貯留・卵巣腫大による横隔膜の挙上が原因であると考えられ,咳,痰,嘔気については同じ理由から,あるいは5月14日から罹患していた感冒によるものと考えられ,肺水腫を発症していたためではない。仮に肺水腫であったなら腹水を除去することによって症状が軽快することはないはずであるが
,本件においては,腹水除去により症状が軽快しており,5月17日の胸部レントゲン像と併せて考えても,この時点で肺水腫を発症していたとは考えられない。
血液検査は,症状が激変している場合以外は,週1回検査をするというのが一般的である。血液ガス検査は動脈穿刺によって行うものであるから,本人の苦痛を伴うので,チアノーゼ等がなければ行わない。Aの容態は,急変した5月29日までは基本的には変化はなく,単に腹水穿刺によって症状が改善される時間の長短に変化が生じたにすぎなかったのであり
,
被告L病院としては,胸部レントゲンや血液ガス検査を行う必要はなかった。
Aの病体は,5月29日に急変するまでは著変はなく,5月29日に急激に増悪したものであって,かかる急激な状態の悪化は予見不可能であった。
ウ 5月29日の救命措置の過失
(原告らの主張)
5月29日午前5時55分ころ,Aにチアノーゼが出,心肺が停止したと思われる時点から被告L病院医師らが心臓マッサージを開始するまで最大で10分を経過していること,静脈路の確保がなされていないこと,心臓マッサージと同時に心電図(ECGないしEKG)モニター装着をすべきところこれがなされていないこと
,心肺停止からボスミン投与まで27分が経過していることなど
被告L病院医師らの救命措置に要した各時間は遅きに失し,また不十分であった過失がある。
(被告青森市の反論)
仮にAがICUに入室して,容態急変の際に救命できたとしても,基礎疾患であるOHSSが改善されない限りOHSSによる死亡自体は回避できなかったのであり,少なくとも本件当時,重症OHSSの根治的治療ができなかったことに照らすと,仮に被告L病院医師らに治療上の過失があり
,この過失とAの死亡との間に因果関係があるとしても,Aの死亡による全損害を
被告L病院の責任とすることはできない。
エ 前医への照会義務違反
(原告らの主張)
被告L病院の医師らは,Aが被告K病院において不妊治療を受けていたことを知っていたのであるから,AのOHSSの症状が悪化する中で,前医である被告K病院の担当医(D医師)に照会して,D医師がAに対して投与した不妊治療薬の種類や回数,量,第一子である原告Cを妊娠していた際に生じたOHSSの治療内容等
,Aについての医療情報を入手し,これを参考として適切な治療をすべき義務があるにもかかわらず,医療情報の入手を怠った過失がある。
(被告青森市の反論)
被告L病院医師は,5月3日の時点においてAが重症のOHSSであると診断した。当時OHSSとしての病態は明らかでないし,治療方針も確立していなかったのであり,基本的には補液を中心とした保存的治療法を行うという状況であったから,治療方針の決定に当たって前医である被告
K病院D医師に照会したとしても治療について有益な情報が得られるとは考えられない。Aの死亡の結果との間に因果関係はない。
なお,原告らは,D医師が,被告L病院医師らがアルブミン製剤を大量に投与していたことが分かれば制止するような発言をしたはずであると主張する。しかし,本件当時,重症のOHSS患者に対してアルブミン製剤を能書以上に投与することは不適切な治療とはされていなかったこと
,これにより肺水腫に至ることは予見できなかったことから,D医師からそのような指摘があったと考えることはできず,仮にD医師からその旨の指摘を受けたとしても,それは当時の医療水準を前提とすると,何らの根拠に基づかない指摘であったこととなるから,
被告L病院の治療方針に変更をもたらす意見とはいえず,被告L病院医師が前医である被告K病院医師に照会しなかったこととAの死亡の結果との間にはやはり因果関係がない。
(3)被告らの責任
(原告らの主張)
被告川崎市は被告K病院の設置者として,D医師の過失につき,被告青森市は,被告L病院の設置者として,E医師の過失につき,それぞれ債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償責任を負い,被告両名の負担する責任は,不真正連帯債務である。
(被告らの反論)
争う。
(4)損害及びその額
(原告らの主張)
ア A自身の損害
(ア)逸失利益 3979万7221円
死亡当時Aは30歳の専業主婦であり,今後37年間の就労が可能であったから,平成9年度賃金センサス第1巻第1表の女子労働者の産業計企業規模計学歴計の平均賃金は年額340万2100円であるので,生活費控除率を30%とし,ライプニッツ式により37年の間年5%の割合により中間利息を控除して逸失利益の現価を算定すると
,3979万7221円となる。計算式は以下のとおり。
340万2100円×(1−0.3)×16.7112=3979万7221円
(イ)死亡慰謝料 2200万0000円
Aは被告らの過失により死亡したものであり,その精神的苦痛を金銭に換算すれば2200万円を下らない。
イ 相続
原告らは,Aの夫及び子であり,他に相続人はいないから,上記損害を各2分の1ずつ相続した。したがって,原告らの有する債権は,各3089万8610円となる。
ウ 弁護士費用 617万0000円
原告らは,本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に依頼したところ,本件事案の性質,内容等にかんがみると,原告らの有する損害賠償請求権の合計額の約1割に当たる各308万5000円が,その費用として相当である。
(被告らの反論)
原告らの主張する損害及びその額についてはいずれも争う。
第3 当裁判所の判断
1 Aが死に至る経緯等
(1)被告K病院における診療経過等
争いのない事実等,《証拠略》によれば,被告K病院での診療経過等に関し,以下の事実を認めることができる。
ア 平成2年4月17日,Aは挙児を希望して被告K病院を受診した。担当医はD医師であった。D医師は診察の上,排卵障害,不妊症などと診断し,第1度無月経として排卵誘発療法を行うこととし,ルテームデポーを筋肉注射し,クロミッド錠を処方した。
しかし,排卵が認められなかった。D医師は,同年6月14日,超音波断層検査を実施したところ,子宮内に胎胞嚢はなく,子宮は正常大ではあるが,左側卵巣にやや腫脹が存することが認められた。その後,D医師は,不妊症検査をしたところ,Aに排卵障害が見られたことから,第2度無月経と診断した。そして
,D医師は,同年10月6日,妊娠するための療法であるクロミッド,hMG,hCGによる排卵誘発療法(hMG—hCG療法)について説明するとともに,妊娠するにはこの方法しかないこと,この療法にはPCO症候群を起こす可能性があること,多胎妊娠の可能性もあるなど治療に伴う危険性について説明した。Aはその説明を聞いた上で
,hMG—hCG療法を受けることに同意し,同年11月10日から上記療法が開始され,同日クロミッド錠が処方され,同月27日からヒュメゴン(hMG製剤)が,同年12月4日からゴナトロピン(HCG製剤)が各3回筋肉注射により投与された。同年12月12日,Aは下腹部膨満感を訴え
,D医師からOHSSと診断され,胸水や腹水も認められたことから緊急入院となった。同月19日の超音波断層検査では,嚢胞化した卵胞が多数認められた。その後,症状は軽快し,Aは同月25日退院した。この時は妊娠は成立しなかった。D医師は,A入院の際,原告Bが来院したことから
,hMG—hCG療法,OHSSの危険性及び妊娠の可能性などについて説明した。また,D医師は,退院に際し,Aに,OHSSを起こしやすい体質であるようであり,卵巣も手拳大であるため無理をしないように忠告したところ,Aは青森県に帰省したいとの意向を強く示したので,D医師は無理をしないことを話した上で
,依頼書を書いた。その後,青森県にAは帰省した。
イ D医師は平成3年2月2日からhMG—hCG療法を再開し,クロミッド,ヒュメゴン(以後,1生理周期毎に3~6回程度の筋肉注射)やゴナトロピン(以後,1生理周期毎に3~5回程度の筋肉注射)を繰り返し投与したところ,平成4年2月25日妊娠の成立を確認した。D医師は
,同月27日,ダグラス窩に多胞性の卵巣嚢腫が認められたことからOHSSを伴う妊娠悪阻,切迫流産と診断し,Aを即日入院させた。卵胞の縮小消失,胎嚢胞の成長などから症状は軽快し,同年4月19日退院した。その後もAは入退院したことがあった。Aは実家のある青森県に帰省しての分娩を希望したことから
,D医師は
M病院へ依頼書を書き,同年8月11日の診察で終了した。Aは同年10月30日M病院において,第一子である原告Cを出産した。
ウ 平成5年9月18日Aは第二子を希望し,被告K病院に来院した。D医師が診察したところ,第一子分娩後も自発排卵がなかったので,妊娠するには従前と同じhMG—hCG療法によることが必要であるが,OHSSを発症させたことがあるので,OHSS発症の危険性が少なく,従前より排卵率の良くなるピュアタイプのhMG製剤を使用するが
,なおOHSS発症の危険性はあること,その際はお腹が膨れて腹水が溜まり,呼吸困難とか出血傾向があるなどと説明し,一般的な不妊検査を行った。
エ D医師は,平成6年1月6日より排卵誘発療法を始め,ルテームデポーやオバホルモンデポーを筋肉注射し,クロミッドを処方し,以後Aは定期的に来院してはHMG日研の注射を受けた。2月5日,AはHMG日研とhCG製剤であるゴナトロピンとを注射により投与され,更にAが
青森県へ帰省するので交付された紹介状により,以後
M病院においてゴナトロピンの注射を受けた(都合HMG日研6回,ゴナトロピン4回)。
その後もAは自発排卵をしなかったことから,4月12日,同月14日,同月16日及び同月19日にHMG日研の注射を受けたところ,同月21日頸管粘液検査において粘液の排出が良好であり,超音波断層検査では右卵巣に5個の卵胞が認められ(なお,卵巣の長径は6cmくらい,短径は3cmくらい)
,そのうち1個の卵胞の直径は26mmと判断されたため,D医師は妊娠成立の可能性があると判断してHMG日研とゴナトロピンとを投与した。そして,同日,D医師は,Aに対し,性的交渉を持つこと,安静にして過ごすこと,よく休みに青森県に帰省することから,妊娠成立の可能性がある大事な時期なので帰省せず
,定期的に通院することを指示し,Aも了解した。D医師は,今後は,Aに,ゴナトロピンを数回注射する予定であった。
オ 4月25日午前9時15分ころ,Aは,当日の乗車券を入手した上で来院し,帰省するので依頼書を書いてほしい旨を依頼した。D医師は,予定していた手術を行うために洗手消毒をしていたことから,話を聞いた上で依頼書を書くか否か決するので,午後に来院してほしい旨看護師を通じて伝えたが
,Aは何ら連絡することもなく原告Cとともに2人で帰省し,同日午後には来院しなかった。
カ 5月10日,原告Bが被告K病院に来院し,AがOHSSに罹患し被告L病院に入院し,また妊娠もしているようであり,治療について依頼書を書いてほしい旨依頼されたが,安静を要するといったのにいうことを聞かずに長旅をして前回同様OHSSとなったのだから,安静にして経過を見るほかない
,診察していないのではっきりしたことは言えない旨話した。
キ 5月16日,原告Bが再度被告K病院を訪れ,D医師に,治療についての依頼書を書いてほしい旨依頼した。D医師は,その前に,被告L病院から電話による依頼を受けていたので,平成2年4月17日初診以降の被告K病院における治療経過,原告C出産に至る経過及び平成6年1月6日からのAに対する排卵誘発療法の治療経過についての紹介状を作成し
,原告Bに交付した。同原告は,上記紹介状をAの母に送付し,同紹介状は,同月19日に
被告L病院医師に届けられた。
(2)被告L病院における診療経過等
争いのない事実,《証拠略》によれば被告L病院における診療経過,Aの容態等は以下のとおりであると認められる。
ア Aは,4月25日の帰省後ころから軽い腹部膨満感を感じていたが,5月2日から膨満感が強くなったため,被告K病院に問合せることもなく,5月3日青森市h所在のH産婦人科を受診した。同病院医師Hは,腹部膨満感と腹痛,hMG製剤,hCG製剤の投与からOHSSの発症を疑い
,
被告L病院産婦人科を紹介した。同日,Aは同病院を受診した。診察したF医師は,Aの腹部は全体的に腫大し,腹水が著明に貯留しており,卵巣は12cm超に腫大していることからOHSSに罹患し,かつTP値が5.3(正常値6.4から8.0)であることから低アルブミン血症であると診断し
,即日入院となった。
Aには,入院直後から腹部膨満感と軽度の呼吸困難が認められた。入院後の超音波診断によると,卵巣は10~15cmに腫大しており,卵胞の径は約4cmであり,腹囲は85.6cm,体重は60kgであった。また,検査の結果では,ヘマトクリット値46.
2,白血球数12500,赤血球数527,ヘモグロビン値14.8,尿比重1.030であり,F医師は,以後,毎日午前9時ころに,尿量,尿比重,血圧,腹囲,体重の各測定を行うことを指示した。
F医師は,Aに安静を指示し,生理食塩水とプラズマネートカッター各500の各点滴を行った。
イ 5月4日,Aを担当したG医師は,尿中のhCGが50単位陽性であり,Aが妊娠している可能性があると判断した。尿比重は1.025であり,TP値は4.5と低い値であり,前日と同様の点滴が行われた。
なお,この日以降,Aは腹部膨満感のため,病院食を全量摂取できないことが多くなった。
ウ 5月5日はF医師が診察に当たった。Aは腹部膨満感を訴え,尿量も少なかったが下肢の浮腫は認められなかった。この日のAの腹囲は88.6cm,体重は65kgであった。前日と同様の点滴が行われた。
エ 5月6日はG医師が診察に当たった。G医師は,Aに対し,hMG製剤等の投与によるOHSSであること,卵巣は腫大し,腹水が貯留しているが,手術等による治療はしないこと,輸液を投与して自然に症状が収まるのを待つしかないこと,症状が収まるまで入院の必要がある旨を説明した。Aは
,尿量が少なく,胸部に圧迫感がある旨を訴えた。
Aの腹囲は91.5cmであり,体重は65.5kg,尿比重は1.020であった。Aには腹水の貯留が認められ,排尿が少ないため,F医師は,この日から利尿剤であるラシックス錠剤(200mg×2)を投与した。ラシックスは,5月9日以降,Aが死亡するまで,連日,経口又は点滴により投与された。前日と同様の点滴を投与された。
オ 5月7日はF医師が診察に当たった。Aは,腹囲が前日より2cm増加して93.5cmとなり,体重も66.5kgと増え,皮膚が乾燥し,尿量も少なかったことから,F医師は,血液中のアルブミンが不足していると判断し,プラズマネートカッターに替えてアルブミン製剤200ml(100ml宛2回
,30分以上かけて投与するよう指示した)を投与することとした。F医師は,尿中のhCGが50から100であったため,妊娠は否定的と考えた。
F医師は,原告Bに対し,AがOHSSに罹患しており,腹水もかなり貯留していること,輸液とアルブミン製剤による加療を行っていること,妊娠はしていないものと思われるので,2週間ほどで軽快する見込みであること,場合によっては腹水
,胸水の除去のために穿刺が必要であること,川崎に戻ったらスプレキュアなる薬剤の併用も相談したらどうか,などと説明,提案した。
この日のヘマトクリット値は43.1,TP値は4.6,尿比重は1.015であった。
F医師は,毎日午前9時に1日分の水分のインとアウトのチェックをすることと,電解質,蛋白質(血液蛋白)の管理を行うこととし,血液の濃度や尿比重に応じて利尿剤を使用することとした(この日以降Aに投与された25%アルブミン製剤の量,前日午前9時から当日午前9時までの水分の出入りを以下かっこ内に記す。なお
,輸液などの残量があり,輸液の指示量と実際のインの量とは必ずしも1致しない。)。
(アルブミン製剤200ml)
カ 5月8日はF医師が診察に当たった。Aは,前日と同様に腹部は膨満していた。生理食塩水1000ml,アルブミン製剤200mlが点滴投与された。F医師は,Aの排尿が少ないことから,点滴の速度を緩めることとし,また,胸部レントゲンを撮影した。
Aは,腹囲95.0cm,体重66.6kg,尿比重1.015,ヘマトクリット値43.1であった。
(アルブミン製剤200ml)
キ 5月9日はF医師が診察に当たった。Aは,尿が出たら楽になったが,仰臥位だと呼吸苦があり,胸部痛もある旨述べた。Aの腹部は膨満し,腹囲は95.5cm,体重は67.5kgと,前日に比して増加した。胸部を聴診すると,ラ音は聞こえなかったが,下肺野の聴診音(呼吸音)が弱くなっていた。また
,前日撮影した胸部レントゲン画像からは,胸水の貯留が認められたが,少量であった。G医師の行った超音波診断の結果,腹水の貯留が著明であり,卵巣,卵胞も小さくなっていなかったことが確認できたことから,腹部の穿刺が必要かもしれないとしてE医師と相談したが,検査結果から
,Aの症状は改善してきていると判断し,当面は輸液を増量して経過観察することとなった。アルブミン製剤400ml(200ml宛2回)となったが,投与時間の指示はなかった。
血液検査の結果,ヘマトクリット値は41.8と改善され,白血球数は9800,TP値は5.4,尿比重は1.025であった。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤400ml,ラシックス1/2Aが点滴投与された。
(アルブミン製剤400ml)
ク 5月10日はG医師が診療に当たった。Aの腹部は膨満し,腹囲は98cmとなり,体重も68.5kgと増え,下肢には浮腫が見られ,食欲はなく,Aは,苦しいので腹水をとってほしいと訴えた。G医師は,尿中のhCGは2000から4000と上昇していることや,性交渉が4月22日であること
,基礎体温高温層が19日目??あることからす??と,妊??していると??断??れること,そのときは4週4日であることなどをAに伝えると,Aは妊娠の継続を強く希望した。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン400ml,ラシックス1/2Aが点滴投与された。
(アルブミン製剤400ml,入2200ml,出1200ml)
ケ 5月11日はE医師が診療に当たった。Aは,腹部が膨満し,少し呼吸苦があることを訴え,午前10時ころには,どこを向いても苦しい,どうにかしてほしい,腹水を抜いてほしいなどと訴えた。腹囲は前日同様98cmであり,体重は69kgとなり,下肢には浮腫が見られ,性器出血が見られた。E医師は
,OHSSに罹患しているときは卵胞が脆弱となっているため,妊娠継続を希望する場合には穿刺の際に卵胞を傷つけるおそれがあり,その際は致命的となる危険性があること,腹水を除去すると低蛋白になりかえって状況を悪化させるおそれがあること,穿刺排水は対処法にすぎないことなどを説明し
,経過観察を継続することにした。
尿比重は1.025であったが,Aは,尿が出ないので利尿剤が欲しいと訴えた。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤400ml,ラシックス1A,デキスロラン(代用血漿)500mlが点滴で投与された。
(アルブミン製剤400ml,入1700ml,出1250ml)
コ 5月12日はF医師が診療に当たった。Aの腹囲は依然として増加して98.4cmとなり,体重も69.5kgとなった。胸部聴診の結果,右肺は呼吸音が弱くなっていたが,左肺は減弱していないし,ラ音も認められなかったものの,Aは深呼吸ができなかった。下肢の浮腫や性器出血はなかった。
E医師は,血液検査の結果,AT〈3〉69,F—X〈3〉40~70,D—Dダイマー200~500であったことから,潜在性播種性血管内凝固症候群(以下「DIC」ということもある。)に注意して,デキストランの使用を控えることとした。また,尿比重は1.025であった。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤400ml,ラシックス1A,デキストラン500mlが点滴投与された。
(アルブミン製剤400ml,入3100ml,出1150ml)
サ 5月13日はE医師が診療に当たった。Aの体重は71.5kgに増加し,腹囲も100cmとなったが,下肢に浮腫は認められなかった。Aは息苦しく鼻づまりがするなどと訴えた。咳が出,痰が絡むなどした。看護日誌の午後1時30分の箇所には,「胸水がたまっているのだろうか?」との記載がある。深夜
,Aは息苦しさを訴えたので,カニューラにより酸素を投与された。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤400ml,ラシックス2Aが点滴により投与された。
(アルブミン製剤400ml,入3150ml,出1120ml)
シ 5月14日はE医師が診察に当たった。午前3時ころ,Aは,腹部膨満感があり苦しいと訴えたが,その後息苦しさは消失した。午前8時30分には酸素を3リットル投与された。咳,咽頭痛があり,感冒に罹患したものと考えられた。体重は72kg,腹囲は100.5cmと,共に増加していた。超音波検査の結果では
,胎嚢は4.9mm,卵巣は臍上まで達し,前回検査した5月9日より卵巣は著明に腫大していた。E医師は,排尿のために,バルーンを使用した。バルーンは,5月25日にAの希望により撤去されるまで使用された。
Aは,従前から,腹部膨満感と呼吸困難から腹水の除去を求めていたところ,E医師は,Aの体力の限界を考慮し,母親に対し,腹部膨隆が増大していること,卵巣も5月9日より著明に腫大していること,最悪の場合には人工妊娠中絶や卵巣切除の可能性があること,とりあえず腹水穿刺により様子をみることを伝え
,午前11時45分ころ腹水穿刺をし,穿刺により約3250ccの腹水を除去した。排液は黄色で澄んでいた。穿刺後,腹囲は1cm減少し,Aは,呼吸は楽になり,息苦しさも消失したと述べた。そのため,酸素カニューラを外した。穿刺部位からの自然流出もあり,以後,食欲も出てきて
,呼吸状態も良好となった。尿比重は1.020であった。
この日,E医師は,原告Bに対しても同様の説明をした。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤400ml,ラシックス1Aが点滴投与された。
(アルブミン製剤400ml,入2800ml,出1800ml)
ス 5月15日はE医師が診察した。穿刺部位より腹水が合計720ml自然流出した。以後17日まで腹水800mlの自然流出が続いた。Aは,息苦しさもなくなり,腹部膨満感も幾分減少したと述べ,腹囲も99cm,体重も69kgと減少した。下肢や外陰部に浮腫が認められた。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤800ml,デキストラン500ml,ラシックス1Aが点滴投与された。
(アルブミン製剤400ml,入3200ml,出2100ml)
セ 5月16日はF医師が診察した。Aの腹囲は97.5cm,体重は69.5kgとなって,腹部膨満感や呼吸苦は減少したが,時々咳をしており,咳嗽時に息苦しさを訴えた。痰の絡みが認められたので,ネプライザーを施行した。外陰部などの浮腫は軽減したが,排尿は少なかった。
ヘマトクリット値は32.3と改善した。TP値は5.8であった。白血球数6800,hCGは32000~64000,尿比重は1.020であった。穿刺部位から,腹水900mlの自然流出があった。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤400ml,ラシックス1Aが点滴投与された。
(アルブミン製剤400ml,入3100ml,出1400ml)
ソ 5月17日はG医師が回診した。聴診の結果,肺の乾性ラ音が少なくなり,食欲は良好であったが,G医師は,Aに対し,妊娠しているため今後も症状は軽快しないばかりか症状が増悪する可能性すらあること,観察が良くできることから,念のためにICUに入った方が安全であると勧めたが
,Aは,以前ICUに入ったときは辛い思いをしたことを理由に強く拒否した。G医師は,Aの意識レベルがしっかりしていることから,かえってICU症候群に罹患するおそれがあること,現在の病室がナースセンターに一番近い個室であることから,Aの容態観察もし易いこと,腹水穿刺後食欲・呼吸状態が良好となり
,ヘマトクリット値も改善していることから,Aの意思を尊重することとした。その後も,
被告L病院医師らは,3~4回AにICUに入るように勧めたが,いずれも拒絶された。また,G医師は,Aが腹部膨満のため摂食量が少ないので,高カロリー輸液を投与して低蛋白血症を改善し,継続的な末梢血管確保のための苦痛を軽減し,中心静脈圧を測定するために,IVHカテーテルを行いたいと提案したが
,これも拒否された。Aには,痰の絡みがあり,せき込むと息苦しさがあり,尿の出は緩慢であった。肺にラ音が認められたことから,E医師の指示により胸部2方向のレントゲンが撮影された。
被告L病院医師らは,5月9日の画像と当日の画像を比較し,腹水が多少なりとも増加し,胸水が軽度貯留してきており,腹水による肺の圧迫が認められるが,肺実質には変化がないと判断した。しかし,上記レントゲン写真から,無気肺がみられるとの判断もある。
被告病院医師らは,腹部穿刺後,食欲,呼吸状態が良好になり,ヘマトクリット値も改善していたので,従前同様,今後も補液を続けながら,容態観察を続けることとした。Aの実母とおばにそのような説明がなされた。腹囲は96.2cm,体重は69.5kgであった。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤400ml,ラシックス1Aが点滴投与された。
(アルブミン製剤400ml,入2600ml,出1750ml)
タ 5月18日はE医師が診察した。穿刺部位からの腹水の流出がとまり,再び腹部が膨満し始め,腹囲97.8cm,体重71kgとなった。左肺はラ音が認められなかったが,右肺は呼吸音が弱かった。この週末に超音波断層検査をする予定とされた。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤400ml,ラシックス1Aが点滴投与された。
(アルブミン製剤400ml,入2600ml,出1500ml)
チ 5月19日はF医師が診察した。腹囲は100cmと腹部が再度膨満し,体重も71kgであって,Aは息苦しさを訴えた。超音波診断の結果,腹水が多量に貯留し,卵胞が大きくなっており,子宮内の胎嚢の直径は15mmとなっていたことから(4週5日),子宮内妊娠を確認した。また
,胸部にラ音は認められなかったが,聴診音(呼吸音)は左肺より右肺の方が小さく,咳が認められた。この日,被告
K病院D医師より紹介状が届いた。
腹部の穿刺により症状は改善することから,午前11時ころ再度腹部の穿刺により約4000mlの腹水を排出した。腹水は黄色で澄んでいた。これと穿刺後の自然流出により,腹部膨満感はなくなり,腹囲も91cmとなった。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤400ml,ラシックス1Aが点滴投与された。
(アルブミン製剤400ml,入2350ml,出1400ml)
ツ 5月20日はG医師が診察した。穿刺部位から1日で1600gの腹水が自然流出し,胃部圧迫感や腹部膨満感は軽快した。咳があり,昼過ぎに発熱が認められたことから,感冒と穿刺部位からの感染が考えられたため,抗生剤セファメジン2gが投与された。腹囲は90.2cm,体重は66.5kgであった。アルブミン製剤が800ml(400ml宛2回)に増量された。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤800ml,ラシックス1A,セファメジン2gが点滴投与された。
(アルブミン製剤800ml,入2500ml,出1480ml)
テ 5月21日はG医師が診察した。Aは,鼻閉感,咳き込み,痰客出があると訴え,発熱も認められたが,喘鳴,胸部圧迫感はないとし,胸苦も夜中はあったが,朝方には消失したと述べた。1100gの腹水が自然流失し,また,前日同様抗生剤が投与された。Aの希望により,酸素が2リットル投与された。腹囲は92.8cm
,体重は67.5kgであった。
生理食塩水1200ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤800ml,ラシックス1A,セファメジン2gが点滴投与された。
(アルブミン製剤800ml,入3200ml,出1600ml)
ト 5月22日はG医師が診察した。Aは,腹部膨満感あり,胸苦もあるが,熱は下がり,昨日よりは楽であること,夕方には段々に苦しくなってきたが我慢できる程度とのことであった。腹囲は93.5cm,体重は68.5kgであり,1643gの腹水が自然流出した。ヘマトクリット値は29.7であった。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤800ml,ラシックス1A,セファメジン2gが点滴投与された。
(アルブミン製剤800ml,入3200ml,出1200ml)
ナ 5月23日はF医師が診察した。穿刺部位からの自然流出は止まったため,腹部は再び膨満し,Aは胸部の不快感を訴えた。腹囲は97cm,体重は70kgであった。咳がまだあり,胸部左にはラ音が認められず,聴診音は良かったが,右にラ音が認められ,聴診音はやや弱かった。超音波検査の結果
,胎嚢の直径は18mmに腫大し(5週2日),卵巣は腫大して肝臓直下まで及んでいた。胎児の存在ははっきりしなかったが,胎嚢は複数にみえた。胸部不快感があり,咳,痰,息苦しさが続いた。午後2時5分から腹部穿刺をし,午後4時ころまでの間に3050mlの黄色で澄んだ排液があった。TP値は6.9と改善され
,アルブミン値は5.9であり,尿比重は1.015であった。Aは体力の限界を感じ,人工妊娠中絶を希望したので,
被告L病院医師らは,夫である原告Bの同意をまって人工妊娠中絶を検討することとした。
生理食塩水1000ml,ヘスパンダー500ml,アルブミン製剤800ml,ラシックス1A,セファメジン2gが点滴投与された。
(アルブミン製剤800ml,入3100ml,出1250ml)
ニ 5月24日はG医師が診察した。穿刺口から650mlの腹水が自然流出した。Aには胸部に不快感があるようであったが,肺のラ音は認められなかった。心音は雑音がなかった。Aは腹部膨満感がある旨訴えた。腹囲は95cm,体重は69kgであった。
生理食塩水700ml,ヘスパンダー500ml,ソリタT3を500ml,アルブミン製剤800ml,ラシックス1A,セファメジン2gが点滴投与された。
(アルブミン製剤800ml,入3500ml,出4703ml)
ヌ 5月25日はE医師が診察した。穿刺口より1042mlの腹水が流出した。Aは呼吸苦を訴え,腹部の膨満は収まらなかったが,下肢の浮腫は認められなかったし,肺の聴診ではラ音は認められなかった。腹囲は95cm,体重は70kgであった。Aの希望により,バルーンカテーテルが外された。
生理食塩水700ml,ヘスパンダー500ml,ソリタT500ml,アルブミン製剤800ml,ラシックス1A,セファメジン2gが点滴投与された。
(アルブミン製剤800ml,入3100ml,出1762ml+α(なお,計量しないで廃棄した尿が1回ある。))
ネ 5月26日はF医師が診察した。Aは軽度の呼吸苦と頭痛を訴え,咳が依然として認められた。胸腹部は腫大し,左胸部の聴診音は正常であったが,右胸部の聴診音はやや弱く,悪阻が出現し,433gの腹水が流出した。被告L病院医師らは,悪阻が出現したこと,OHSSは重症であること
,超音波断層検査により品胎(3つ子)が疑われたこと,A自身も苦しさに耐えかね,人工妊娠中絶を強く希望したことから,人工妊娠中絶を行うこととし,原告Bの同意書の到達をまって手術を行うこととした。
被告L病院医師らは,Aに対し,今回は卵巣の摘出をしないで人工妊娠中絶のみとするが,同手術をしたからといって,すぐ症状が消失するものではない旨説明した。また,被告L病院医師らは,症状に大きな変化はないとして,人工妊娠中絶手術を行うまでの間は胸部レントゲンの撮影や血液ガス分析を行う必要はないと判断した。腹囲は97cm
,体重は71kgであった。
生理食塩水700ml,ヘスパンダー500ml,ソリタT500ml,アルブミン製剤800ml,ラシックス1A,セファメジン1gが点滴投与された。
(アルブミン製剤800ml,入2900ml,出1500+αml)
ノ 5月27日,原告Bの同意書の到着をまって午前11時ころから,E医師立会いの上,G医師により人工妊娠中絶手術が施行された。手術は問題なく行われ,午前11時23分ころ終了した。G医師は,術後帰室する際にAに対し,ICUに入ることを勧めたが,Aは,今回も拒絶した。手術後の午前11時40分ころ
,Aは胃液と唾液中等量を嘔吐し,しばらくむかつきや息苦しさが認められ,ECGモニターと自動血圧計を装着されたが,血圧は落ち着いていることや出血量も多くはないことから,G医師らは酸素吸入をする程でもないと判断した。午後4時30分過ぎころには,Aは,息苦しいが酸素投与するほどではないと述べた。術後観察は午後4時30分ころに終了し
,その後は一般的な観察となった。当日の腹囲は100cm,体重は72kgであった。
生理食塩水500ml,ヘスパンダー500ml,ソリタT3を500ml,アルブミン製剤800ml,ラシックス1A,ソゼゴン(鎮痛剤)30mg,メテルギン(子宮収縮止血剤)1Aを点滴投与し,セフゾン,メテナリン,ソランタールなどが処方された。
(アルブミン製剤800ml,入2500ml,出700+αml(なお,計測せずに廃棄した尿が1回ある。))
ハ 5月28日はE医師が担当した。Aには,腹部膨満,腹部圧迫感があり,顔面には浮腫が認められた。午前9時40分過ぎころに行った超音波断層検査によると,卵巣は肝臓直下まで達し,卵胞は直径約8cmまで腫大していた。子宮の大きさは不明であった。腹部膨満感と呼吸困難を緩和する目的で腹腔穿刺を施行し
,約3300mlの腹水を除去した。腹水がやや血性であったため卵胞の1部が破裂しているのではないかと推定された。また,血液検査も白血球数は4500であったが,赤血球数301万,ヘモグロビン8.8,ヘマトクリット値25.3,血小板17万4000と凝固系の数値に低いものがみられた。そこで
,E医師は,血液凝固検査を行ったところ,軽度の出血傾向が見られたが,D—Dダイマー及び血小板の数値からDICは併発していないと判断した。37.8度の発熱が見られ,頭痛が認められた。腹水穿刺後の腹囲は96cm,体重は73kgであった。
午後1時35分ころ,Aは悪寒と呼吸苦を訴えたため,解熱剤(ボルタレン座薬)を用いて様子を見ることとした。電気毛布を使用したが,ふるえは収まらず,看護師は自宅にいたE医師に連絡した。
午後2時ころ,Aは息苦しいと訴え,その求めに応えて酸素投与を開始し,30分後,Aは寒気は収まったと述べたので,血液凝固因子と血漿蛋白を補給し,かつ腹水の軽減を図る目的で凍結血漿10単位を輸血し,午後3時ころには容態は落ち着いた。
午後4時ころ,E医師が来院してAを診察した。Aは,息苦しさはあるが,良くなってきた,胃部圧迫感,満腹感は相変わらずであると述べた。38.2度の発熱が見られた。E医師は,看護師に,状態をみるように指示した。看護記録の午後5時15分ころ,Aは,穿刺に際し,「いつもと刺した感じが違う。ばーんと張っているが腹内で出血していないか心配」と述べた旨の記載がある。看護師も
,腹水穿刺後の自然流出量が少ない旨感じていた。この時の脈拍は103であった。
午後9時ころ,粘膜様の便があったが血圧113/74,脈拍100であったことやAの容態に著変がないことから,経過観察とされた。午後9時45分ころ,Aは悪寒と息苦しさを訴え,冷感が認められたため,電気毛布が使用され,酸素供与が開始された。脈拍は127/分,血圧は134/92であった。午後10時30分ころ
,体温39.1℃となり,解熱剤(ボルタレン座薬)が使用された。その後,多量の発汗が認められた。
生理食塩水500ml,ヘスパンダー500ml,ソリタT3を500ml,アルブミン製剤400ml,ラシックス1A,セフメタゾールナトリウム2gのほか,凍結血漿10単位が点滴投与された。
(アルブミン製剤400ml,入2500ml,出200+3αml(なお,計量せずに廃棄した尿が3回あり,合計で1000mlと推測される。))
ヒ 5月29日午前1時45分ころ,体温は36.9℃に下がったが,脈は96/分と速く血圧も146/88と上昇した。Aは息苦しさを訴え,発汗と下痢便があった。
午前4時50分ころには血圧185/98と上昇し,脈拍も99となった。そのころ,Aはチアノーゼと喘鳴を起こし,息苦しさを訴えたので,看護師はE医師に連絡した。午前5時20分ころ駆けつけたE医師がAの胸の聴診を行ったところ,湿性ラ音があったので,肺水腫などを疑い
,血液ガス検査を実施したところ,酸素ガス分圧(PO2)45.4,炭酸ガス分圧(PCO2)28.7であり,低酸素血症と判断した。E医師の指示で,午前5時55分ころ胸部レントゲン(ポータブル)を撮影したところ,両肺野の透亮性はびまん性に著明に低下しており,特に肺野部を中心とした蝶形状陰影が強く
,肺水腫の典型的像と判断されたため,当直医師と相談の上,ICUに移動して,気管内挿管をして気道を確保しつつ管理することにした。ICUに移動する直前にAの呼吸が停止し,F医師,G医師も駆けつけて,午前6時05分に気管内挿管し,また心マッサージを開始するなど蘇生を試みたが
,意識は回復せず,また,口腔や鼻腔から多量の出血があり,頻回の吸引を行ったが効果なく,Aは午前7時10分死亡した。
E医師はAの母らに対し,原因を特定するため解剖を勧めたが,結局剖検は行われなかった。
フ 被告L病院医師らは,午前5時20分の時点で,呼吸困難,喘鳴,顔面及び口唇にチアノーゼの所見があったこと,低酸素症を来している一方で血圧(午前5時30分ころの血圧測定では151/92)は保たれていること,Aの死亡直前である午前5時55分に撮影された胸部レントゲン像では
,両肺野の透亮性はびまん性に著明に低下しており,特に肺野部を中心とした蝶状陰影が強いことなどから,死亡の直接の原因は急性肺水腫であり,5月28日午後6時ころより次第に増悪し,5月29日午前4時ころより急速に悪化したものと診断した。
ヘ 平成6年6月15日付け及び同年7月7日付けE医師作成の死亡診断書の直接死因欄には,急性肺水腫,その原因としてOHSS,その他の身体状況として,卵巣の腫大,腹水貯留との記載がある。
ホ いつ指示がなされたのかは必ずしも明らかではない(5月9日ころと推測される)が,毎週月曜日に末梢血液検査,血液生化学検査(生化A),CRP検査を行うような指示がなされ,緊急時を除いて,そのとおり行われた。なお,尿検査はその指示外であったが,概ね同様に行われた。また
,5月20日ころと推測されるが,Aからの訴えのあったときは酸素の吸入を行う旨の指示がなされた。
腹部穿刺は都合4回行われたが,いずれも血清蛋白,電解質,末梢血のヘマトクリット値,尿量,血圧等に大きな異常は認められず,DICの徴候も認められなかった。また,腹水穿刺後は,Aの症状は軽減するものの,回を追うに従って,早い時期に腹部圧迫感,息苦しさ等の症状を再発するようになった。被告病院医師らは
,Aの症状は徐々に悪化してはいるものの著変はないと考えていた。
マ E医師は,本件のケースにつき,HMG日研の使用によりOHSSを発症し,死亡した例としてHMG日研の製造元に副作用報告をした。
ミ 証人J医師が,後日,5月29日午前5時25分ころに行われた血液ガス分析をもとに算出したAPACHE〈2〉スコア(ICUで用いられる生命予後を予測する客観的評価法。年齢,血圧,血液ガス,意識レベル等約15項目を点数化してその得点の総和で表し,合計が大きいほど死亡する可能性が高い。)によると
,60%程度救命の可能性があったと判断している。
2 医学的知見
(1)PCO症候群
PCO症候群は,排卵障害と卵巣における多発性の嚢胞(PCO)の存在とが主病変を構成する。その診断基準は,日本産科婦人科学会生殖.内分泌委員会報告による判断基準が有用である。具体的には,〔1〕臨床症状として,〔ア〕月経異常(無月経,稀発月経,無排卵周期など)の存在
,〔イ〕男性化,〔ウ〕肥満,〔エ〕不妊,〔2〕内分泌検査所見として,〔ア〕LHの基礎分泌値高値(基礎分泌7.0で疑い,10以上でほぼ確実),FSHは正常範囲,〔イ〕LHRH負荷試験に対し,LHは過剰反応,FSHはほぼ正常反応,〔ウ〕エストロン/エストラジオール比の高値
,〔エ〕血中テストステロン又は血中アンドロステジオンの高値,〔3〕卵巣所見として,〔ア〕超音波断層検査で多数の卵胞の嚢胞状変化が認められる,〔イ〕内診又は超音波断層検査で卵巣の腫大が認められる,〔ウ〕開腹又は腹腔鏡で卵巣の白膜肥厚や表面隆起が認められる,〔エ〕組織検査で内莢膜細胞層の肥厚.増殖及び間質細胞の増殖が認められる
,とされている。以上のうち,各項目の〔ア〕に掲げた事項が必須項目であり,それら全てを満たす場合をPCO症候群とする。その他の項目は参考項目として,必須項目のほかに参考項目をすべて充たす場合は典型例とする。
(2)OHSS
ア 発生機序,病態等
OHSSは,排卵誘発剤の使用に附随して発生する医源性疾患であり,最近の不妊治療における体外受精を中心とした補助的生殖技術の普及によって,その発生頻度は著しく増加しており,いかに投与量や投与方法を工夫しても,個体の卵巣反応性や基礎疾患によってはその刺激が過剰になることは避けられない。OHSSは
,自然月経周期やクロミフェンを卵巣刺激に用いた周期では稀であり,その発症の大部分はhMG製剤やFHSを用いた卵巣刺激とそれに引き続く卵胞の最終成熟及び排卵誘発のためのhCG製剤の投与に起因する。
OHSSの発症頻度の高い場合や重症化しやすい場合としては,患者が,35歳以下であること,PCOであること,黄体期にhCG製剤の投与を受けたこと,それにより妊娠,特に多胎妊娠した場合であること等が挙げられている。
病態は,多大の存続卵胞や黄体嚢胞の存在による卵巣腫大,体液の急激な体腔内や間質内への移動による腹水あるいは胸水の貯留,血液濃縮及び循環血液量減少を三大症状とする症候群であり,他に体重増加,食欲不振,電解質異常,乏尿を伴う。重症例では,その合併症として肝障害,血液凝固能亢進
,脳などの血栓症,腎不全,呼吸不全を合併して多臓器不全(MOF)などで死に至ることもある。
OHSSの発生機序は,毛細血管の透過性の増加により蛋白質を多く含んだ血管内液が腹腔内に漏出して腹水を生じ,これにより腹腔内圧が上昇し,時には大量の胸水,心嚢水が発生する。この結果,大量の腹水による横隔膜挙上及び胸水貯留により呼吸困難が生じ,さらには肺胞壁に水分が貯留して肺水腫となり
,呼吸不全が起こることがある。血液の循環量の減少と濃縮が起こる。血流の減少及び下大動脈の圧迫により静脈環流量が減少して心拍出量の低下が起こり,腎不全,心不全となることがある。血液濃縮により血液凝固能が亢進し血栓を生ずることもある。腎血流の減外により腎不全となることがある。しかも
,生体のホメオスタシス機構により悪循環が発生する。
発症頻度としては中等度3~4%,重症度0.1ないし0.2%~0.5%程度と報告されているが,本件当時である平成6年の時点では国内での死亡例は報告されていない(日本産科婦人科学会生殖.内分泌委員会報告によると,平成8年には死亡例は1件あったが,因果関係は不明であるとしていた。)。海外の調査では
,卵巣刺激による死亡例は40万から50万周期に1件と報告されていた。
イ OHSSの治療
本件発生当時である平成6年においては勿論,今日においてもOHSSの病態は必ずしも明らかでなく,原因に対する確立した治療法は存在しないが,OHSSが軽症や中等症の場合には治療を必要としないで,経過観察を厳重に行い,重症化した場合は入院させて治療をする必要がある。重症の場合の治療については
,血管外への水分と血漿成分の漏出が止まるまで,循環血液量と腎灌流量を維持し,自然の回復が始まるのを待つという対症療法が中心となる。そして,そのために,患者を入院させ,体重,一般状態(脈拍数,体温,血圧)を測定し,胸部レントゲンにより腹水,胸水の貯留の状況をみるほか
,時間尿量測定,臨床検査として血清,電解質(Na,K,Cl),蛋白,腎機能(Ccr,BUN,クレアチニン),肝機能,血液凝固能,血液ガス検査を行う。また,妊娠の可能性を考慮して,妊娠反応検査も行う。そして,入院中は,厳密な水分の投与量及び尿量を記録し,また,血清
,電解質,蛋白,腎機能,肝機能,体重測定,血液凝固検査を行うほか,卵巣腫大の程度,腹水量の把握等を行い,これらの検査結果の変動に応じて治療をすすめることが大切である。治療に際しては,尿量の確保を急ぎ,水分を過剰に投与したときは腹水や胸水のさらなる貯留を招くことになるので
,避けなければならない。また,尿量の確保や腹水,胸水の減少を図るための利尿剤の使用については,ラシックスのような血管内の水分を除去するタイプの利尿剤は,血管透過性の亢進が起きているために,血流濃縮あるいは循環血液量の減少を生じさせることとなるからである(ただし
,アルブミン50ml点滴後あるいは新鮮凍結血漿投与後に膠質浸透圧の上昇に伴い水分が血管内に引き戻され,血液希釈が達成された後も乏尿が続く場合にはラシックスの適用となる。使用の場合には,循環動態,バイタルサインの確認が必要である。)。利尿剤を使用するのであれば,マニトールのような細胞間質より血管内に水分を移動させるタイプの利尿剤か
,アルブミン製剤(アルブミンは,1gで18gの水分を血管内に戻す作用がある。)などで循環血液量を確保する。時間尿量が30ml以下であれば,バルーンカテーテルを留置する。血中蛋白量が減少しているときは,アルブミン製剤の投与によるが,循環血液量の減少が高度の時は血漿剤も使用する。
過剰なナトリウムの補充は,血管透過性の亢進により腹水を増加させ,OHSSを悪化させることがある。また,腹水の穿刺吸引は呼吸不全,心不全を改善する効果がある一方,血液濃縮及び循環血液量の減少をもたらすことがあり,注意が必要である。
OHSSの患者に妊娠が成立していない場合は2週間程度で回復するが,妊娠が成立していると,重症化しやすい。これは,妊娠成立によって絨毛から分泌されるhCGにより卵巣が刺激され,その結果エストロゲンが増加するためと考えられている。hCGの分泌量の減少する妊娠8週ころになると
,OHSSの症状は改善するようになる。
OHSSの治療に際して入院が必要な場合,重症の場合(卵巣腫大が12cmを超え,ヘマトクリット値が45を超え,乏尿が見られる場合)や,危機的状況の場合(即ち卵巣腫大は重症と同程度の12cmを超え,非常に多量の腹水が貯留し,ヘマトクリット値が55,白血球数2万5000を超え
,高度乏尿が見られる場合)であるが,特に危機的な状況下では,ICUにおける全身管理が必要となり,十分な補液,蛋白の補充や胸.腹水の穿刺のみならず,もし妊娠していれば中絶せざるを得ないこともある。
毛細血管透過性の増加は腹水,胸水,心嚢液を貯留させるため,循環血液量が減少して,血圧,中心静脈圧が低下するとともに腎血流量も減少する。OHSSでは,体内に貯留されようとした水分及びナトリウムは,再び血管透過性の亢進により腹水,胸水となり,悪循環が成立する。
腹水の貯留は,循環血液量減少と血液濃縮,血清電解質異常から乏尿に至る危険なサインであり,腹水が貯留し始めたら十分な管理が必要である。PCOの既往がある場合には,急激に重症化する可能性がある。
OHSSの検査データとしては,血液濃縮の目安としてヘマトクリット値が重要であり,ヘマトクリット値が45以上,血清総蛋白6.0以下がOHSSとして治療を開始すべき目安とされている。
重症化したときは,内科,麻酔科などの医師と協力の下,呼吸管理.循環動態,血栓形成の予防,治療など責任の所在を明らかにする。
電解質補液と蛋白の補給のため,輸液の内容(通常は生理食塩水を血液濃縮を避けるために投与する。)と投与量(1.5から3リットル)を決め,ヘマトクリット値を45以下に保つよう輸液を行う。治療に反応すると急激に尿量は増加し,100mlを超えるようになったときは,尿量が時間当たり30から60mlに維持されるように輸液量を調整する。
電解質液のみで水分バランスをコントロールできないときは,低蛋白血症を改善して,膠質浸透圧を維持する必要がある。このため蛋白製剤を追加投与する。
呼吸困難がある患者では,腹水,胸水の量や程度などを胸部レントゲン撮影により検討する。胸水がなくても,多量の腹水が貯留すると,横隔膜の圧迫,挙上により無気肺となり,呼吸不全が起きることがある。また,ごくまれには肺毛細血管透過性の亢進により,肺胞内への液体貯留から肺水腫を起こし
,肺の炎症変化による肺構築の破壊により,成人型呼吸窮迫症候群(ARDS)が発症し,急性呼吸不全から心肺機能停止に至ることがある。
腹水の貯留による腹腔内圧の上昇は下大静脈を圧迫し,還流血液量が低下する。このため右心機能障害から,心拍出量低下を招き,心不全に至ることがある。
腹部.胸部の圧迫症状や呼吸困難が著明で全身症状が厳しい症例に対しては,緊急避難的に,腹水の除去を目的として腹水穿刺が行われる。腹水の吸引により圧迫症状が劇的に軽減し,一時的に全身状態の改善が認められることから,安易に行われる傾向があるが,穿刺直後から速やかに水分の移動が起こり
,循環血液量の減少や低蛋白血症の助長にもつながることを十分に考慮する必要がある。
ウ OHSSの機序,治療に関する文献等
OHSSの機序,治療については本件当時及びそれ以降の医学文献には以下のような記載がある。
(ア)平成4年の医学文献
OHSSの発生機序は不明であるが,治療としては,ヘマトクリット値が45以下に保つようにする。循環血液の膠質浸透圧を保ちながら,腹水が血液中へ移行するようにアルブミン製剤を用いる。利尿剤の使用は禁忌である。腹水,胸水が多く,呼吸困難を訴える場合は穿刺排液する。穿刺排液する場合には
,1回の排液量は1000から1500mlにとどめる。常に妊娠の可能性を考慮に入れる。
(イ)平成6年の医学文献
OHSSで入院した患者の症例報告である。OHSSにより入院した患者の乏尿に対しては,一般に血管内脱水の状態であるため通常は利尿剤の投与を控えるが,本症例では1日当たり血漿アルブミン製剤を500ml(濃度不明)を,4日間投与し,十分な補液(1日1000ml)と同時にフロセミド20mgを適宜投与し
,利尿を促した。胸水腹水による著しい呼吸困難を生じたときは,半座位にて安静にし,酸素投与,胸水穿刺を行い,症状の軽快をみた。
(ウ)平成7年の医学文献
OHSSの発生機序が不明であることから,根本的治療は困難であり,妊娠の可能性を念頭に置きながら経験的知識を加味した保存的治療に頼らざるを得ない。
重症OHSSの治療法の選択についての必須の検査項目としては,一般状態(脈拍,血圧,体温),体重,尿量,CBC,検尿一般,超音波断層法,血液生化学(蛋白,電解質,
腎機能,肝機能),血液凝固能,血液ガス,胸部X線,心電図,中心静脈圧が挙げられている。アルブミン製剤を投与するときは,循環血液量が減少し,かつ低蛋白血症を併発している場合や,腹水,胸水が貯留している場合に使用される。通常アルブミン量としては,1日当たり5から12.5gを2から4回投与する。腹部圧迫症状や呼吸困難が著明で全身状態が厳しい症例に対しては
,緊急避難的に,腹水除去の目的で腹腔穿刺が行われる。腹水吸引量は,血液循環量を考慮し,最大4000mlとする。集中治療による全身管理にもかかわらず,腎不全,動脈血栓症,ARDSを発症した場合には,患者救命のため妊娠中絶を行う。
(エ)平成11年の医学文献
OHSSの管理指針は,ヘマトクリット値,血清蛋白を指標に,水分摂取制限と血清蛋白補充を基本とし,病態が変化し,血液濃縮が改善する回復期に利尿剤を使用することにより,腹水の急激な減少を図る。即ち,上腹部に及ぶ腹部膨満があるとき,ヘマトクリット値45以上及び血清蛋白6.0にて治療を開始する。治療原則は〔1〕経口水分摂取制限(食事のみとする)
,〔2〕減塩8g/日,〔3〕血清アルブミン製剤による補充(アルブミン製剤100ml+5%アルブミン製剤250ml)であり,ヘマトクリット値が40以下になった時点で利尿剤を投与し,血清総蛋白7.0以上になった時点でアルブミン製剤の投与を中止する。また,腹水穿刺は
,血漿蛋白を低下させるので,原則として避ける(呼吸障害や不穏状態になったときにとどめる)。
そして,それでもなお臨床上重要な合併症の発生が懸念されるときは,必要に応じて高カリウム血症の補正,乏尿時の低量ドーパミンの投与などの付加療法を行う。
(オ)平成15年の医学文献
1回の使用量は,アルブミン製剤では,20から50mlである。20から25%アルブミン製剤使用時には,急激に循環血漿量が増加するので,輸液速度を調整するとともに,
肺水腫,心不全などの発生に注意する。投与前にはその必要性を明確に把握し,投与前後の血清アルブミン製剤濃度と臨床所見の改善の程度を比較して投与効果の評価を3日間を目途に行い,使用の継続を判断し,漫然と投与し続けることのないように注意する。感染症の伝播等の危険性を完全に排除することはできないから疾病の治療上の必要最小限の使用にとどめるべきである。
(3)アルブミン製剤
アルブミン製剤は人の血漿を原料として分離精製された製剤であり,その主な機能は,〔1〕膠質浸透圧を維持し,血漿量を調節する作用と,〔2〕アミノ酸,脂肪酸などの栄養源その他各種の物質の運搬作用とである。アルブミンの総量のうち約40%は血管内にプールされ,残りの60%は血管外
,主として,細胞,組織間液にプールされている。各プール同士でアルブミンの交換をして平衡状態を保っている。静注したアルブミンは,10~15分後に血管内プールで平衡に達するが,血管外に移動するには約1週間を要する。また,循環血漿量の補充目的では主として5%のアルブミン製剤あるいは加熱ヒト血漿蛋白を行い
,低蛋白血漿の補正には高浸透圧製剤である20%あるいは25%のアルブミン製剤を用いる。
アルブミン製剤はOHSSの治療に用いられるところ,その適切な使用量については,証拠上必ずしも明らかではなく,以下,証拠上現れた文献の記載を列挙する。
ア 平成4年4月及び9月に改訂された献血アルブミン製剤—ミドリ十字の能書の記載
用法.容量として,1回20から50ml(人血清アルブミンとすると5.0から12.
5g)を緩徐に静脈内に注射又は点滴する。使用上の注意として,循環血液量が正常ないし過多の患者に対して急速に投与すると,心過負荷等の循環障害及び肺浮腫を起こすことがある。
イ 平成6年1月の医学文献
重症OHSSの治療方針として,アルブミン製剤を投与する(1回50から100gを2から12時間ごと)が,場合によりラシックスなど利尿剤を慎重投与することが相当な場合がある(アルブミンラシックスチェイス法)。
ウ 平成7年8月の医学文献
OHSSで低蛋白血症を併発している場合には,アルブミン製剤の使用が有効であり,アルブミンが主要喪失蛋白であるとともに強浸透圧調節作用をもつことから,循環血漿量の増加や利尿に大きな効果がある。アルブミン製剤100mlは正常血漿500mlに相当し,通常アルブミン製剤を
,1日当たり,5.0~12.5gを2~4回投与する。
エ 平成8年「日本内科学雑誌85巻6号」
アルブミンの使用量は,OHSSに関しては記載がないが,多量の出血など血漿や水分が急速に失われて血圧低下,ショック状態となった場合には,多量の出血が続くような場合でなければ,循環血漿量の約10%,通常成人であれば400~600ml以内を,肝硬変で腹水を伴う例では1日10~20gを目安とする。投与上の注意点として
,水を引き込む働きが強いため,急速投与すると循環器系に過剰に負担をかける可能性があり,心不全を引き起こすことがある。輸液速度として,アルブミンでは,1分当たり1~2ml程度で投与することが望ましく,輸液した後に次第に血管内に水を引き込むことから,1日25~50g
,3日間程度を目安にし,以後は効果を見ながら使用していくべきである。もし心不全が疑われる場合は,速やかに胸部X線写真(心胸比,肺うっ血の有無等をチェック),血液ガス等を施行し,対策を検討すべきである。
オ 平成12年4月の医学文献
OHSSにおいては,膠質浸透圧を維持するために,アルブミン製剤50~100mlを2~12時間おきに投与する。腹水穿刺により1回当たり1000から2000mlの腹水を除去されるが,排液中に含まれるアルブミンと電解質と同量程度を輸液により投与する。
カ 平成15年度の「日本医薬品集」
人血清アルブミン製剤であり,組成として5%,20%,25%がある。1回20~50mlを緩徐に静注又は点滴静注するが,症状により増減する。使用時には,急激に循環血漿量が増加するので,輸注速度を調整するとともに,肺水腫,心不全などの発生に注意する。50mlの輸注は
,25%製剤では約250mlの循環血漿量の増加に相当する。投与前にはその必要性を明確に把握し,投与後の目標血清アルブミン濃度としては,急性の場合は3.0以上,慢性の場合は2.5以上とする。投与前後の血清アルブミン濃度と臨床所見の改善の程度を比較して,投与効果の評価を3日を目途に行い
,使用の継続を判断し,漫然と投与することのないよう注意する。しかも,貴重な血液を原料として製剤化されたものであり,感染症の危険性もあることから,治療の必要を考えて最小限の使用にとどめ,循環血液量が正常ないし過度の患者に急速に投与すると,心過負荷などの循環障害及び肺浮腫を起こすことがある。重大な副作用としては
,ショック(頻度不明)を起こすことがあるので観察を十分に行い,呼吸困難,喘鳴,胸内苦悶,血圧低下,脈拍微弱,チアノーゼなどが認められた場合は中止し,適切な処置を行う。
(4)ICU
ICU(集中治療部)は,重症患者,心臓外科,脳外科などの大手術後の患者を一か所に集めて強力かつ集中的に治療することを目的に設置されている。ICUの入室となる主な疾患,病態としては,侵襲の大きな心血管,肺,気道等の手術や呼吸,循環系合併症を有する通常手術の術後
,呼吸不全などの呼吸管理を必要とするもの,心不全,心停止のあったものなどの循環管理を必要とするもの,意識障害.痙攣の頻発するもの,重症代謝障害等があげられているが,患者の重症度,治療効果,予後などを総合して判断することとなる。その評価のために考案されたのが,APACHE〈2〉スコアである。ICUにおいては
,呼吸管理,循環管理,血液浄化法,栄養管理,多臓器不全の管理,精神管理等を行う。
(5)血液ガス分析
呼吸不全,循環不全などの病態の評価と治療効果の判定,呼吸機能,特に肺のガス交換能の評価などと治療方針の決定のために用いられる検査であり,一般には動脈血が用いられる。検査の基本項目は,pH(pHはガスではないが,二酸化炭素などと密接な関係があるので,普通はpHを含めている)
,酸素分圧(PO2),二酸化炭素分圧(PCO2)の値が基本項目である。
肺水腫では,初期の間質浮腫のときは,酸素拡散の障害,肺胞水腫による微小無気肺のため静動脈シャント率が増加し,一般にはPaO2が低下するが,PaCO2は正常ないし低値に保たれている。肺胞水腫となり低酸素血症が進行すると換気血流比異常及びシャント血流増加により高度のPaO2低下とPaCO2上昇をみる。十分な酸素投与によってもPaO2が60~70mmHg以下の場合
,PaCO2が60mmHg以上の場合(急性の場合)は,人工呼吸を開始した方がよい。低酸素血症が続くと,組織での酸素利用はできず,乳酸アシドーシスを生じやすい。
(6)肺水腫
何らかの原因で多量の血漿成分が肺毛細血管に漏出し,組織間液が増加し,さらに肺組織,特に肺胞内へと漏出した状態をいう。肺浮腫と同義であり,肺うっ血は肺組織の血管外へ液体成分がしみ出たものの肺に水が溜まってはいない状態であるので,肺水腫の前段階といえる。初期には間質浮腫(肺うっ血)で始まるが
,重症になると肺胞にも水分が漏出して高度の呼吸不全を来す。
肺水腫の原因としては,肺毛細血管内圧の上昇,肺毛細血管透過性亢進,血漿膠質浸透圧の低下,肺間質組織内圧の低下,あるいは肺内リンパ管流の障害などを挙げることができる。各種の心疾患ないし心臓への過負荷が原因で起きる心原性肺水腫では心筋症や急性心筋梗塞などに伴う左心不全や過剰輸血
,輸液による肺毛細血管内圧の上昇によるものである。心臓以外の原因で発症する非心原性肺水腫では細菌性ショックや有毒ガスなどにより毛細血管内や肺胞などの損傷による透過性の亢進により,体液や蛋白が肺胞に漏出することによって生じることがあるほか,高度の低蛋白血症による血漿浸透圧の低下によるものなどがある。
肺水腫の症状としては,呼吸困難,過呼吸,瀕脈,チアノーゼ,喘鳴がみられ,聴診上湿性ラ音が聴取される。肺胞水腫では起座呼吸となり,喘鳴やピンク色(血性)泡沫状喀痰がみられる。胸部X線像は,間質浮腫では肺血管影の増強とともに蝶が羽を広げたような形状に見え,心原性では心陰影拡大などの所見を呈する。肺泡水腫になると
,更に両側肺門部を中心に不規則な湿潤影をみる。非心原性では,肺血管影の拡大はみられない。
治療としては,心臓の働きを強め,尿の出をよくする強心利尿剤の使用,酸素吸入,血液を抜き取る瀉血などが行われ,起座呼吸の姿勢をとるなどするが,肺水腫は心不全の極型であり,急速に進展し致死的経過をとるためICU監理が必要である。
(7)心不全(肺うっ血)
心不全とは,心拍出量が低下し,各重要臓器や末梢組織に対する血流需要に応じられなくなった状態をいう。心臓の働きが不十分となったことをいうことから,心原性の呼吸困難とほぼ同義に考えられる。したがって,呼吸困難と原因心疾患の二つを同時に検討の対象としなければならない。急性心不全及び慢性心不全の急性増悪の本態は
,肺うっ血と低心拍出量であり,特に後者では肺うっ血症状が前提にある。症状は,咳嗽,安静時呼吸困難,発作性夜間呼吸困難,心臓喘鳴,急性肺水腫,心原性ショックであり,これらは主に左心不全症状である。
(8)HMG日研
下垂体性性腺刺激ホルモン製剤(hMG製剤)であり,間脳性(視床下部性)無月経,下垂体性無月経における排卵誘発剤である。hMG製剤には,LH(黄体形成ホルモン)の含有量に違いがあるが,本剤はLHの含有率0.05%未満のpure FSHに該当し,従来のhMG製剤に比べてOHSSの発生が少ないとの報告がある。
能書には使用法として本剤を75IU/mlとなるように溶解し,FHSとして75~150IUを連続筋肉投与し,頸管粘液量が300ml以上,羊歯状形成結晶化が3度の所見を呈する時期を指標として(4~20日間,通常は5~10日間),胎盤性性腺刺激ホルモンに切り替えること
,作用として,本剤が卵巣に作用して原始卵胞から発育卵胞を形成する。次いで,LHとの協力により卵胞を成熟させ,卵胞ホルモンを分泌させて排卵を誘発すること,慎重投与として,多嚢胞性卵巣(PCO)を有する患者には投与しないことを原則とするがやむを得ず投与する場合には慎重に投与すること
,副作用として,卵巣過剰刺激(卵巣腫大,下腹部痛,下腹部緊迫感,腹水・胸水を伴うOHSS)があらわれたときは,血液濃縮,血液凝固能の亢進等を併発することがあるので,直ちに投与を中止し,血液循環量の改善につとめるなど適切な処置を行うとの記載がある。
3 争点に対する判断
(1)被告川崎市の責任について
ア AがPCO症候群であり,能書上投与が原則禁忌とされているにもかかわらず,D医師がHMG日研を投与した過失について
原告らの主張は,AがPCO症候群であったことを前提としているが,前記医学的知見によるPCO症候群の診断基準によると,PCO症候群と認められるためには,〔1〕臨床症状として,月経異常(無月経,稀発月経,無排卵周期など)が存在すること,〔2〕内分泌検査所見として
,LHの基礎分泌高値(基礎分泌7.0で疑い,10以上でほぼ確実),〔3〕卵巣所見として,超音波断層検査で多数の卵胞の嚢胞状変化が認められることが必要であるところ,既に認定した事実によると,平成5年12月21日当時,Aには,〔1〕の臨床症状及び〔2〕のLH値は明確ではないけれども
,〔3〕については排卵誘発療法開始以前の平成2年6月14日では胎胞嚢は認められないし,その後Aの症状が替わったとも認められないのであるから,PCO症候群を有する患者であったということはできない。
これに対し,原告らは,Aが,第一子妊娠前の不妊治療の際である平成2年12月19日の超音波断層検査で嚢胞化した卵胞が多数認められていることからAがPCOの卵巣の持ち主であったと主張するが,これは不妊治療開始前のPCOとは異なり,同年11月から開始された不妊治療の結果卵胞が嚢胞化し
,排卵から妊娠へと至る過程の中で見られる現象ということができるから,Aは,不妊治療を受ける前からPCOであったと認めることはできない。そして,本件記録中には,他にAが今回被告
K病院において診療を受けていた4月21日までの間にPCOであったことを認めるに足りる証拠も存しない。したがって,原告らの主張は採用できない。
イ 不妊治療開始に当たってOHSSについてA及びその夫である原告Bに対する説明をなすべき義務の違反について
(ア)不妊治療の危険性について
前記認定のとおり,D医師は,平成5年9月18日以降今回の不妊治療を開始するに際して,第一子(原告C)妊娠の際にAがOHSSに罹患していることから,OHSSを起こしにくいピュアタイプのhMG製剤を使用するが,なおOHSS発症の可能性があることから,その合併症等の危険性についても
,Aに対し具体的に説明していることが認められる。
また,前記認定事実によると,D医師は,今回の治療に際して,原告BにはOHSSに関する説明をしていないものの,Aが第一子妊娠中にOHSSに罹患した際,原告Bに対してもOHSSの危険性について説明をしていたことが認められるのであるから,原告Bも不妊治療に伴うOHSSの危険性は認識していたものとみることができ
,今回の治療に当たって,改めてD医師が原告BにOHSSの危険性を説明すべき義務を負うとは解されない。
なお,原告らは,OHSSの説明において,場合により妊娠を諦め,卵巣のみならず子宮の摘出もあり得ることを説明すべきであった旨主張する。前記認定事実によると,D医師がAや原告Bに,その主張する内容を説明したかどうかは明確ではないものの,そのような事態になることはhMG—hCG療法を行った場合にごく僅かしか生じない希有の事例と解されるから
,かかる場合まで説明しなければならないものとは解されない。したがって,原告らの主張は採用できない。
(イ)4月21日の説明義務違反について
前記認定のとおり,D医師は,4月21日の診療の際,Aに対し,排卵が近いと思われるので原告Bと性交渉をもつこと,大事な時期なので定期的に来院すること,Aがこれまで連休になると青森に帰ることから,帰省しないように注意を与え,Aもその指示を納得していたことが認められるのであり
,これにOHSSの危険性については既に説明済みであることに照らすと,この程度の説明で,患者の帰省を禁止する説明としては十分というべきである。原告らは,更にOHSSが重症化すれば卵巣,子宮の全摘出もあり得るので絶対に帰ってはならないという説明をすべきであった旨主張するが
,前記のとおり,そのような主張は採用できない。
なお,原告らは,4月21日に撮影された超音波検査写真においては,既に卵巣が,長径6.5cm×短径6.0cmくらいの大きさとなっており,卵胞も26mmと腫大していたことから,Aがこの時点で中等度以上のOHSSに罹患していたと主張する。しかし,前記認定のとおり,当該写真による卵巣の長径は6cmくらい
,短径は3cmくらいであると認められること,卵巣の大きさは個人差が大きいとされていること,排卵直前であったため卵胞が腫大していたこと,ヘマトクリット値は不明であるもののOHSSのその他の臨床症状である腹部膨満,嘔気.嘔吐,腹・胸水のいずれも見られなかったことから
,4月21日の時点でAが中等度以上のOHSSに罹患していたと認めることはできない。したがって,原告らの主張は理由がない。
ウ??経過観察義務違反について
上記認定のと??り,D医師は,4月2??日の診療の際??Aに対し大事な時期なので帰省しないで定期的に通院するように言い,Aもこれを了解したにもかかわらず,AはD医師の指示を無視し自らの意思で帰省して被告K病院に通院しなかったことが認められる。そうすると,D医師は,Aを直接診察することはできず
,原告BからAの容態を聴取することができたにとどまり,しかもその説明の正確性の保証もないのであるから,経過の観察を行うことは不可能である。
原告らは,危険な先行行為をした者は,自らその先行行為から生じ得る危険に対し,責任を持つべきである旨主張する。しかし,前記認定事実によると,Aは,従前の経験から,今後も2~3日おきに数回のhCG製剤の投与が予定されていることを認識していたとみられるにもかかわらず
,自己の意思で帰省してhCG製剤の投与を受けなくなり,D医師の意見を聞かないままに診療を受けなくなったこと,排卵誘発行為は医師の指示に従って生活すればそれほど危険なものではないことなどを認めることができるから,そのような患者に対して,なお経過観察義務を負わせることはできないというべきである。
また,原告らは,AがD医師に紹介状を求めたにもかかわらず,同人が紹介状を作成しなかったし,後日送付することをしなかった点を挙げて経過観察義務に違反すると主張する。しかし,既に認定したとおり,D医師は予定された手術を行うための準備を行っていたのであるから,それを中断してまで
,即ち,患者や医師,看護師などの手術関係者に迷惑をかけてまでAに会わなければならない程の緊急性があったものとは認められない。
また,紹介状の送付についても,本件全証拠によるも,A自身が,帰省後,D医師に紹介状の作成を求めたことも,腹部膨満感があるにもかかわらずその対処法について被告K病院に問合せたことも認めることはできないのであるから,それにもかかわらずD医師に紹介状を送付すべき義務を認めることはできない。したがって
,原告らの主張は採用できない。
エ 前医の後医への協力義務違反について
前医の後医に対する協力義務は,患者が同意し,又は同意したと推測されるような状況下で,後医からの要望があった場合に前医として患者の診療により得た情報を提供することで足り,後医が診療情報の提供を希望しないにもかかわらず患者の情報を提供すべき義務を含むものではないと解することが相当である。患者のプライバシーの権利は
,例え医療機関同士であるとはいえども,勝手に開示されるべきではないこと,後医には医療行為の裁量があるのであり,過去に医療行為をしたにすぎない前医の行為により妨げられるべきではないことを考慮すると,このように解することが妥当である。前記認定事実によると,D医師は
,原告Bの求めに対し,5月10日の時点では口頭で答えるのみで紹介状を作成交付しなかったものの,5月16日には,原告Bの求めに応じて,これまでの治療経過を記載した紹介状を作成交付していることが認められる。そうすると,D医師は前医としての協力義務を果たしているものというべきであるから
,原告らの主張は採用できない。
オ 以上検討したとおり,本件事実関係のもとでは,D医師について過失はなかったものと認めることができるから,被告川崎市の責任もないものというべく,原告らの主張は理由がない。
(2)被告青森市の責任について
ア 経過観察ないし全身容態観察義務違反について
(ア)争いのない事実等のとおり,Aは,被告青森市との間で,被告L病院入院時に判明していたOHSSに対して,臨床医学上の知識技術を駆使して,可及的速やかに適宜の治療行為をなすという内容の診療契約を締結したのであるから,被告L病院医師らがAに対して医療行為を行うに当たり
,
被告L病院医師としては,適切な検査を行って患者の状態を把握した上で,適切な時期に適切な医療行為を行うべきところ,患者が死亡した場合において,医師らがかかる患者の状態を把握していれば,患者はその時期には死亡しなかった可能性が高い場合には,医師らは,患者が前記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき債務不履行責任を負うものと解すべきである。
(イ)前記争いのない事実等,被告L病院における診療経過等において認定した前記事実,とりわけ,〔1〕本件当時OHSSの病態は明確ではなく,これに対する根治的な治療法も確立しておらず(なお,今日においてもOHSSの根治的治療法は確立していない。
),血管外への水分と血漿成分の漏出が止まるまで,循環血液量と腎灌流量とを維持しながら自然回復を待つという対処療法が中心となること,〔2〕そのために輸液やマニトールなどの利尿剤を投与するほか,アルブミン製剤や新鮮凍結血漿などの膠質浸透圧を上昇させる作用を有する薬剤を投与すること
,〔3〕患者が妊娠していない場合は概ね2週間程度で回復するが,妊娠している場合は8週ころまでは症状は継続し,その後回復に向かうことが通常であるが,その間重症化する場合もあること,また,〔4〕OHSSの治療に際し,アルブミン製剤を投与する場合に,その投与量の上限については
,今日においては,投与前後の血清アルブミン濃度と臨床所見の改善の程度を比較して3日間を目途に投与効果の評価を行って,使用継続の可否を判断すべきであり,漫然と投与し続けることのないようにとされてはいるものの,本件当時においては,投与量の上限に関しては,能書上も文献上も記載されていないこと
,〔5〕文献中にはOHSSに対するものではないが1回50~100gのアルブミン(アルブミン製剤では200~400mlに相当する)を2時間ないし12時間毎に投与するとするものも存すること,平成4年当時においても,アルブミン製剤を循環血液量の正常ないし過多の患者に対して急速投与すると
,心過負荷などの循環障害及び肺浮腫を起こすことがある旨指摘されていたこと,〔6〕本件においては,アルブミン製剤は5月7日,8日に各200ml(100ml宛2回,投与時間は当初30分以上と指示され,その後,輸液の投与量を減少してより時間をかける旨の指示があった。)
,同月9日から19日まで11日間に渡って連日400ml(200ml宛2回,投与時間の指示はない。),同月20日から27日までの8日間に渡って1日当たり800ml(400ml宛2回,投与時間の指示はない。)の投与がなされていること,〔7〕その間,日常的な診察の外は
,週1回血液の一般検査や生化学検査,CRPの検査や尿検査が行われたにすぎず,胸部X線撮影や血液ガス検査が行われていなかったし,各種機器,例えばECGやパルオキシメーター(指先に付けた装置により動脈中の酸素濃度を連続測定する装置)は着装されていなかったこと,〔8〕5月29日午前5時25分の血液ガス分析をもとに算出したAPACHE〈2〉スコアでは
,Aには60%程度の救命の可能性があったこと,の各事実によると,
被告L病院医師らによるAへのアルブミン製剤の投与は,本件当時は,その投与最大量自体が明確ではなかったのであるから,その大量投与による過失を認めることはできないにしても,被告L病院医師らには,以下のようなAの容態観察を怠った過失を認めることができる。
即ち,被告L病院医師らは,輸液を投与し,かつアルブミン製剤を,5月7日から同月27日までの21日間連日投与し,その投与量も1日当たり200ml,400ml,800mlと増加させ,それに反し,Aの腹囲や体重は一貫して増加し,1人でトイレに行くことも困難となり,入院当初から存在していた呼吸困難も増強し
,入院当初はなかった浮腫も下肢などにみられるようになり,卵巣も益々腫大したのである。アルブミン製剤の投薬は被告病院医師らが期待した効果を挙げていなかったのであり,その理由として,
被告L病院医師らは,Aが重症ないし危機的なOHSSに罹患しているためであり,そのために腹水や胸水の増加がみられると判断していた。しかし,入院当初はそのような判断はやむを得ないものとして,その後も継続的に悪化していたAに対する判断としては,従前の判断を維持することが適切であるかどうかについて検証すべきことが必要であるところ
,全く検証されていなかった。しかも,アルブミン製剤は,心不全などの循環障害や肺水腫を起こす危険性を内包している薬剤であるから,Aの呼吸困難などがアルブミン製剤の投与による副作用である心不全ないし肺水腫の前駆症状であるのかどうか,Aの胸水・腹水の増加や浮腫の存在は血液中の水分の漏出が続いており
,それが肺水腫にすすむのかどうか,あるいは他の原因からAの身体に異常を来していたのかどうかを各種検査や胸部X線撮影などを通じて注意深く観察すべきところ,
被告L病院医師らは,毎日の一般的な検査(血圧,脈拍,体温,体重,腹囲の測定など,なお尿比重の測定は指示に反し毎日行われてはいなかった。)や問診,聴診を行うものの,血液の一般検査や生化学検査,CRPの検査は週1回行われただけであり,胸部X線検査撮影については死亡直前以外は5月9日と同月17日の2回行われたのみであり
,血液ガス検査に至っては死亡直前に行われたのみであって,容態観察のための検査としては不十分であると評価することができる。胸部X線撮影が前記のとおりにしか行われなかった理由がAの妊娠にあるのであれば胸部X線撮影に代わる何らかの検査を行うべきところ,そのような検査を行っていた節もみられない。また
,検査を行わないのであれば,循環器内科や麻酔科など他科の診察を受けさせ,あるいは相談するなどして,Aの症状を検討することが相当であるにもかかわらずそのような姿勢もみられない。
以上のとおり,被告L病院医師らは,十分な容態観察とそれに基づく必要な検査をしていれば死亡直前でもなお相当の救命の可能性があったにもかかわらず,Aを肺水腫を原因とする心不全により死亡させたのであるから,容態観察義務違反の過失が存する。
(ウ)これに対し,被告青森市は,胸水の貯留から直ちに肺水腫を予見することはできないし,Aの死因となった肺水腫もうっ血性心不全による肺水腫ではなく,OHSS悪化による漏水性肺水腫であって,アルブミン製剤の投与による副作用ではないと主張する。しかしながら,外見上,突然発症したように見える場合であっても
,何ら予見できるような徴候が全く存在しない場合は殆どなく,多くの場合は,その発症を予見できるような徴候が存在するものであって,要は,そのような徴候を医師が気づいていたかどうか,あるいは気づくことのできるような手段方法をとっていたかどうかによるのである。前記のとおり
,
被告L病院医師らは,毎日診察や週1回の検査を行ってはいるものの,その限界を十分には考慮していない。例えば被告L病院医師らは,聴診により湿性ラ音が聞かれないから肺水腫には罹患していないとするのであるが,湿性ラ音が聴取されないことからその時点においては肺水腫を発症してはいないと判断する限度では正当であるとしても
,患者の状況が肺水腫を発症する可能性が全くないのか,幾分なりともあり,今後悪化すると肺水腫となりうるのか(即ち間質性肺水腫であるのか)に関しては聴診では必ずしも明らかとはならないのであって,このような場合には,血液ガス分析,各種の血液検査などを行ってその危険性を把握すべき必要がある。また
,5月28日にAが発熱と四肢の冷感とを訴えたことは,アルブミン製剤の副作用である心不全の前兆として,心臓の働きが低下して血液が身体全体に行き渡らなくなっているかもしれないと推測し,必要な検査を行ってその原因を把握する必要がある。しかるに
被告L病院医師らの対応は前記認定のとおり,Aに対する投与した薬剤の影響を判断するための検査も他科の診察を受けさせることもなかったのであるから,患者の現在の症状の原因の把握の仕方としては十分であったということはできない。そうすると,被告L病院医師らは,Aに対する継続的な容態観察を怠っていたものというべきである。
イ 上記注意義務違反とAの死亡との間の因果関係
弁論の全趣旨及び前記認定によると,Aには死につながるような既往症はなかったことが認められるから,上記注意義務違反がなければAが救命された蓋然性が高く,上記注意義務違反とAの死の結果との間に因果関係を認めることができる。
5 損害(円未満切捨て)
(1)Aの損害
ア 逸失利益 3794万7792円
前記認定のとおり,Aは,昭和38年9月24日生まれであり,平成6年5月29日死亡当時満30歳の,OHSS患者である以外は健康な専業主婦であり,その家事労働は,今後も継続することが推測されるので,67歳までの37年間の家事労働による逸失利益を,A死亡時の平成6年賃金センサス産業計
,企業規模計,学歴計,女子労働者の全年齢平均の賃金額年額324万4000円を基礎とし,生活費控除率を30%,中間利息控除を年5%として,ライプニッツ方式により37年間の逸失利益の現価を求めると3794万7792円となる。計算式は以下のとおり。
324万4000円×(1−0.3)×16.7112=3794万7792円
イ 死亡慰謝料 1800万0000円
被告青森市の過失により,死亡当時30歳という若さで,配偶者である原告B及び幼い1人息子である原告Cを残して死亡したAの無念さ,他方で,OHSSの既往症歴のあるAが,D医師より帰省しないように言われていたにもかかわらず勝手に帰省し,被告L病院に入院中にICUに入ることやIVHカテーテルをするように勧められたにもかかわらず拒否したこと
,その他本件審理に顕れた一切の事情を考慮すると,Aの被った精神的苦痛を慰謝するには1800万円をもって相当とする。
ウ 相続
原告らは,Aの配偶者及び子であり,他に相続人はいないから,上記Aが被った損害額合計を各2分の1ずつ相続した。したがって,原告らの相続した損害賠償請求権は各2797万3896円となる。
(2)原告ら固有の損害(弁護士費用) 400万0000円
弁論の全趣旨によると,原告らは,本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人弁護士らに委任し,弁護士費用として相当額の支払いを約したものと認めることができるところ,本件事案の性質,審理の経過,認容額その他一切の事情を斟酌すると弁護士費用としては原告らがそれぞれにつき200万円とするのが相当である。
(3)損害額合計 各2997万3896円
原告らは,上記(1)及び(2)の合計である各2997万3896円を有することとなる。
(4)遅延損害金の起算日
本件は,Aと被告青森市との間で締結した診療契約上の債務の不履行の結果Aに生じた損害賠償請求権に基づく請求であるところ,前記損害賠償請求権は期限の定めのない債権であるので,遅延損害金の起算日は,被告青森市に訴状が到達した日の翌日である平成11年11月19日とする。
6 結論
以上の次第であって,原告らの被告青森市に対する本訴請求はその余の事実について判断するまでもなく理由があるから主文記載の限度で認容することとし,被告青森市に対するその余の請求及び被告川崎市に対する請求は理由がないから棄却することとし,被告青森市の仮執行宣言免脱の申立てについては相当でないから却下することとして
,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 長久保守夫
裁判官 尾立美子
裁判官 山口勝久